『君に溺れる〜side 祥一(上)』 日の傾きだした西峰寺(さいほうじ)の参道は、下校時の中高生達で人通りも増え始めていた。西日を眩しく照りかえす白いテント屋根がひと際目を引く煉瓦作りの店舗は、オープンテラスに二組の客が、名物のケーキセットを楽しみながら、会話に花を咲かせている。一組は先日放送された『さくらフィエスタ』について、もう一組は女性教諭の不倫写真晒し上げツイートについてだ。年齢層は推定四十代後半に十代後半という違いはあれど、いずれも女性客である。ガラス扉を押して入った店内もまた、満席に近いテーブル席の殆どが女性客で埋められていた。 「いらっしゃいませ!」 有線放送のゆるやかなジャズとともに、峰祥一の耳に飛び込んできた言葉は、元気ではあるが些かやけくそ気味で、疲労を感じさせる掠れた声だった。ともあれ、予期していた人物のものではないと気がつく。 午後四時過ぎのイタリアンカフェは近所にある母校の城陽(じょうよう)学院高校の制服姿が来店客の半分ほどを占めており、残りの半分ほどの来客とともに午後のティータイムを楽しんでいた。 「いらっしゃい。ケーキセットを食べに来たなら歓迎だけど、秋彦君に会いに来たなら、ちょっとタイミングが悪かったね」 袖まくりをした白衣の右腕がすっと伸びて、座したテーブル席に冷水を満たしたグラスが置かれる……オーナー自らホールの対応をしていることに祥一は違和感を覚え、続いて入店早々報らされた、幾分歯切れの悪い物言いに不穏な心持が込み上げる。 そういえば、最初に自分へ声をかけてきた城西(じょうさい)高校の狂言自殺マニアも、カフェ店員にあるまじき乱暴な物言いだった。いや、元城西高校生というべきか……原田秋彦(はらだ あきひこ)が言うところによると、彼は威勢のよい物言いに似合わず苛め被害者というヘビーな体験を背景に持っており、城西高校を二年で退学して現在はオーナーの出身校でもある製菓学校で二年目の春を迎えている美少年ということだ。……ちなみに最後の形容も秋彦によるものだが、お互い十八を過ぎて未だに少年でもなければ、狂言自殺マニアのウェイターを美少年と評している秋彦こそが、よほど綺麗な顔をしているだろうと、祥一は常々思う。城南(じょうなん)女子学園の純白セーラー服でも着せて上目遣いに「お兄ちゃん」などと呼びかけた日には、『百合学園Part2』の椎野(しいの)めぐみが裸足で逃げ出すほどの、爆発ヒットAVの誕生が約束されて、妹モノAV史上に金字塔が打ち立てられると本気で祥一は信じている。もっとも、祥一にそんな権利があるかはさておき、秋彦のAV出演など許す気もなければ、『百合学園Part2』は妹モノAVではなく、三十代のAカップ主演女優がツンデレ系美少女を無理なく演じる、ソフトレズプレイものの人気AV作品だ。ともあれ。 「南方さん、何かあったんですか? ……その、秋彦は……」 問いかけたところで、オーナー南方譲(みなかた ゆずる)が、言葉もなく表情を曇らせ、祥一は不穏に感じた。そこへ、当カフェのウェイター兼パティシエ見習いである香坂慧生(こうさか えいせい)が、カウンターから勢いよく飛び出して。 「どうもこうもないよ、ほんの一時間前にカミジマの前で会ったばかりだっていうのにさ……っていうか、お前最近ちょくちょく秋彦に会いに来てるけど、ひょっとしてアイツの今カレ? だとしたら、気を付けた方がいいよ。アイツ無自覚にオトコ振り回すとこあんじゃん? 昼間もどっかのオヤジと一緒だったからさ」 「まだ付き合ってるってわけでもないんだが……つまり、秋彦はまだ来ていないということか?」 「なんだ、カレシじゃねえの? だったら、別にはっきり言っちゃっても構わないのかな……そのオヤジっていうのが、チョイワルっていうの? 背はそんな高くねえんだけど日焼けしててガッシリしてて、雰囲気イケメンでさあ……伊織ほどじゃねえけど、いい感じのオヤジで、秋彦狙ってるっぽかったんだよね。僕は仕事中だったから先に店へ戻ったけど、帰り際もう一度振り返ってみたら、なんか親密な感じで話しててさ……と思ったらコレだよ」 そう言いながら慧生が苛々とした感じに、手にしたトレイで自分の顔を扇ぎ始めた。癖のある柔らかそうな茶色い髪が、フワフワと空調に踊った。最初の宣言は何だったのかと首を捻りたくなるぐらい、少しもはっきりしていない。 「すまん、今イチちゃんと把握できないんだが、要するに香坂はつい数時間前に買い物先で秋彦が元気に外出しているところを見ており、既に出勤時間を回っているというのに、秋彦が遅刻しているばかりに退勤できないということで主旨は合っているんだな?」 若干死語じみたチョイワルなんたらというくだりを完全に無視して、祥一が論点を拾い上げた。ついでに言うと、彼の恋人であるアラサーの進藤伊織(しんどう いおり)をオヤジでひとくくりにした点についても綺麗にスルーさせて頂いた……なぜなら進藤は、ここにいる『Cappuccino』のオーナー、南方の同級生だ。 「何言ってんのさ」 小さな顔には少々不釣り合いの大きな目をさらに大きく見せて、異様に赤い口唇をツンと尖らせながら慧生が振り向く……その仕草はあざといと祥一は思うが、世の中ではこういうのを可愛いと褒めそやすのだろう。 「あ……違ったのか」 慧生の背後で、空になったグラスを掲げた妙齢の女性客が、遠慮がちに自分達へ視線を送っていたが、ウェイターの慧生はそれに気付かない。オーナーはというと、レジに出来始めている列の対応で追われていた。よく考えなくても忙しそうであり、秋彦もいないのなら今日は帰ろうかと思った。 「おいおい、何してんのさ。……だから僕はね、これでもお前らのこと心配してやってんの。……あ、誤解すんなよ。別にお前に気があるとかじゃないから。お前なんて趣味じゃないし、お前だったらまだ秋彦の方が好みだし、大体僕には伊織っていうれっきとした……」 「安心してくれ、そんなことをまるで思っていないから。……どうやら忙しそうだ、邪魔になるから引き取らせてもらおう」 なぜこの自殺志願美少年(肩書)は、こうも話がとっちらかるのか。祥一が再び踵を返すと、ほぼ同時に細い指が腕に絡みつき、やれやれと溜息を吐きつつ振り返る。後ろで客がお前を待っていると、せめて教えてから辞そうと慧生の背後へ視線を向けてみれば、妙齢女性はオーナーとは別の白衣から水のお替わりを貰っていた。厨房の仕事を投げ出して飛び出してきた、パティシエの名和真人(なわ まさと)だろう。気の毒に。 「話を聞けよ」 慧生が声を高くする。 「いや、お前こそ残業を切り上げられないぐらい忙しい仕事中だろうに」 祥一が指摘する。しかし祥一の突っ込みも気にならないとばかりに慧生は眉間に皺を寄せた……そんな表情も整い過ぎており、人形めいてい見える。 「秋彦のこと好きなんだろう?」 「お前には関係ないと思うが」 「アイツがどうなってもいいのかよ」 さすがに聞き捨てならないセリフだった。 「……どういう意味だ」 腕を組み、慧生に強い視線を送った。ここに来て、初めて峰祥一(みね しょういち)は目の前の話に集中したのだ。 02 『城陽学院シリーズPart3』へ戻る |