大八島総合病院近くの児童公園を出た一行は、アオガキ川の畔を一時間ほど東へ移動した。ヤチヨ山の緑は暗くなり、舗装されていない足元には長い影が伸びている。
「あそこです」
 悠希が指差した先には六メートルほどの土手の斜面と、ゴツゴツとした鉄骨群が建って見える。
「工場……?」
 ツユクサの生い茂る斜面を登り、アスファルトを横断してフェンスの前に立つ。カーブミラーが割れたまま放置されている入り口には、『西湖(さいこ)ニット』という社名の看板が掛けられていたが、操業が停止されて日が経っていることは、外からでも容易に窺い知れた。
「雨風はどうにか凌げそうね」
 部分的にではあるが、辛うじて屋根が残っている建物は天井が高く、往時はそれなりに業績を上げていたのだろうか、敷地面積もざっと見たところ一ヘクタールぐらいはありそうだった。
「いや、けれどこれは屋根があるってだけだろ……どうやって寝るんだ?」
 錆びついた鉄柱が規則正しく並び、地面が剥き出しの屋内を見て、大和が絶望的な声を出した。
「どうせあんたはちょくちょく家に帰ってるんだし、関係ないでしょう? けれど、これは確かに手を入れないと、ここで生活っていうのは難しそうね」
 真が目の前に広がる、大きな水たまりを睨んで唸るように言う。広い屋内ではあるが、容易に風雨が吹き込むか、あるいはキラキラと光るガラスの天井が、穴だらけであるかのどちらかだった。
「そんな仲間外れみたいに言うなよ。仕方ないじゃん、学校あるしバイトあるし……なんだったら、夜はウチに寝泊まりするか? ここは昼間の拠点ってことでさ」
 発言のわりに、あまり真面目に学校へ行っている様子がない大和だが、本来、高校生である彼へ、家を出ている瑞穂や真と同じように動けということは難しい。それでも先日の中間試験が終わって以降、大和は寝食を共に過ごすことで、彼なりに仲間と連帯感を深めたいと考えているようだった。
「この奥にもっといい場所があります。付いて来て下さい」
 そう告げると、悠希は他の三人を率いて鉄柱群の間を通り抜けた。『安全第一』の注意喚起と緑の十字がペイントしてある看板の下を通過すると、クリーム色の壁面を持つ二階建てのプレハブがあった。よく響く足音を鳴らしながら鉄板で作られた階段を上がると、そこには六つの扉が並んでいた。
「部屋があるの……?」
 油の切れた鉄の扉を、耳障りな音を立てて開けて入ってみる。
「ほお……机に椅子と……テレビまであるじゃん」
 意気揚々と大和が飛び込み、埃っぽい家具類を触って回る。
「おそらく、従業員の休憩室か何かだったんでしょうね。たぶん、ここには冷蔵庫があったんじゃない?」
 日焼けを免れた白い跡が四角く切り取られ、コンセントがそのまま残っている一画を見て真が言った。
「テレビはさすがに壊れていますし、当然電気も通ってませんけど、机や椅子なんかはそのまま使えます。数も人数分揃ってますよ」
「ここは確かにいいね」
 東向きに作られているらしい窓からは細長いアオガキ川の流れと、彼方に市営環状線の架線が見えていた。 残り五つのうち、三つの扉は六畳間で家具はなく、二つは物置き部屋のようであり、旧式のパソコンや古びた洗剤、穴のあいたラケットや野球用のグローブという、とりとめのない雑多な物が、床へ直接に、あるいは段ボールへ詰め込まれ、乱雑に放置されている。
 四人は再び階下へ降りると、引き続き工場内を見学した。
「悠希はどうしてここを知っていたの?」
 安全第一の下を通過しながら、真は隣を歩く少女に質問した。
「暫く住んでいたので」
 どうということのないように答える少女の回答に、三人は茫然とする。
「住んでたって……一人でかい?」
「当たり前じゃないの、坊や。誰かいるなら今も一緒か、その人の家でお世話になっているわよ」
「いやいや、そうかもしれないけどさ。だって、女の子が一人でこんなところに住んじゃうなんて、かなり危ないでしょ?」
 どうやら、定着されつつある坊や呼ばわりを受け入れたらしい大和が、眉根を寄せながら言う。悠希は苦笑すると。
「お金がなくて、どうしようもなかったときの話ですよ。今は一応、それなりに貯金も溜まったから、ちゃんと漫喫で寝泊まりしてるし、もちろんお風呂も入ってますけど……」
 悠希の言葉が、また敬語に戻っていた。さきほどは、大和へ敬語を使って損をしたなどと言っていたが、恐らく敬語が癖なのか、あるいは慣れてしまったのだろう。
「ちゃんと漫喫なのか……」
 大和は遠い目になりながら、悠希の回答を部分的に繰り返す。
「あの、でも……、もしもご迷惑でなかったら、あたしもご一緒させていただけないでしょうか」
 そう言いながら傍らの真を仰ぎ見る悠希の目は、どこか縋りつくようにも見えた。
「そりゃあ、べつにかまわないけど……でも、こんな廃工場暮らしから、お金を貯めてやっと抜け出したんでしょう? ここに比べれば漫喫の方が、温かいしドリンクは飲み放題だし、よほどいいんじゃないの? ここじゃあ、収入なんて見回り中にたまに持ち込まれる、掃除や雑木伐採、ビラ配りの報酬ぐらいで、自由はあるけどお金はないに等しいから、暮らしぶりは不安定極まりないわよ」
 真に説明されて、悠希が微妙な表情をした。
「なんだか便利屋さんみたいですね……。それにしてもビラ配りって、活動の宣伝もなさってるんですか? ああ、でもその場合の報酬って、一体どこから得るんでしょう……?」
「桜花の宣伝じゃなくて、ヒノデ商会のビラ配りのことだぜ。ヒノデ町の自治会長が社長やってる会社だよ。俺達の後援みたいなことやってくれちゃってる良い人。考えてみりゃあ、大学卒業したって碌に就職先もないこのご時世に、有難い金蔓だよなあ」
「金蔓って、あのねえ……、一応私の師範なんだから、言葉には気を付けてくれる? まあ、確かに普段はただの変わり者の小父さんだけど……」
 大和の乱暴な言葉遣いを、少々焦りながら真は窘めた。日頃はニコニコとした丸顔の社長だが、ひとたび道場に入れば厳しい師匠だと瑞穂も聞いている。
 悠希が目を輝かせた。
「つまり、真さんの人徳ゆえ、そういう素晴らしいスポンサーがいらっしゃるっていうことですね」
 氏森正平は地元の名士であり、確かに現在のところ唯一の桜花の固定スポンサーと言っていいだろう。弟子の真がいるからこそ支援があると考えれば、そういうことになるかも知れない。
 大和が苦笑する。
「スポンサーって言っても、要するに雑用があるときに声をかけてくれるってだけなんだけどな。収入はあくまで労働報酬だし。けどまあ、考えたらあの人が口コミで広めてくれてるから、他にもあちこちから掃除とか雑木伐採とか持ち込まれるわけで、そう考えりゃあ、こうして活動だけやってられるのも、あの小父さんのお蔭かもなあ。っていっても、本当に俺達の生活はサバイバルだぞ?」
 大和も釘を刺した。悠希はクルリとこちらへ背を向けると。
「あたしも出来れば節約はしたいんです。それに、みなさんと一緒なら心強いし……あの、真さんがご迷惑でなかったらですけど」
 真へ変わらない意思をせつせつと伝えた。
「おーい、俺の事は無視かーい」
 目の前の小さな背中へ向かって、宙に拳を振り上げながら抗議を示す大和を、悠希はまたもや鮮やかに無視してみせた。ここまで相手にされないと、さすがに瑞穂も哀れに思う。
「そういうことならもちろん歓迎するわよ。ここのことは私達より、悠希のほうがずっと勝手がわかっているから、いてくれるとこっちも助かると思う。そもそもここは私達の場所ってわけじゃあないんだしね……だから、所有者に見つかって追い出されるまでの間ってことにはなるけど」
「嬉しいです! あたし、精一杯頑張って、真さんのお役に立ちますから!」
真の歓迎を受けて、悠希は声を高くすると、大きな目をキラキラと輝かせながら両手で真の手を包み込み、何度も振り回して喜びを表した。真は戸惑いながらも、悠希に極上の微笑みを返す。そして、どこまでも男二人は蚊帳の外であることを目で確認し合う、瑞穂と大和だった。
 その後一時間ほどかけて、広い工場内を見て回った。西湖ニットなる、名前から察して間違いなく、かつては繊維会社だったこの廃工場は、大きく分けて三つのブロックに分かれていた。
 ひとつは機械が並んでいたらしい、メインの作業場。天井の高いこの場所は、編み立て機械は全て撤去された今、鉄骨の支柱だけが延々と立ち並ぶ閑散とした場所であり、外光を取り入れる為なのか、ガラス天井の効果もあって、やけに広く感じられる。
 もう一箇所は先に見て回った二階建てのプレハブ。二階が休憩所や倉庫のようになっていた建物の階下は、比較的大きな床にスチール棚や事務用の机と椅子が残されていた。おそらく元々は事務室だったのだろう。
 そして最後の一画は、最初に通り抜けてきた、壁のない作業場だ。高い天井とアスファルトが敷かれたそのスペースの片隅には、破れたダンボールの破片と汚れたナイロン袋に端切れ、書き損じた伝票、インクが干からびていそうなマーカー、片方だけの軍手等が乱雑に放置されている。往時はここにフォークリフトやトラックが出入りして、商品の出荷が行われていたのだろうことが察せられた。
「面白いものがあるんです」
 悠希がそう言って、出荷所の奥へと導く。そこには手動式の小型リフトが放置されており、壊れたパレットが山積みになっていた。
「産業廃棄物ってやつじゃないの? こういうことしていく企業があるのよね。……あら?」
 パレットを動かしながら顔を覗かせて、真が手を止めた。
「今朝見付けたんですよ。これ、売れると思いませんか?」
 誉めてくれと言いたそうに、キラキラと目を輝かせて見上げてくる悠希の視線を受けながら、真が完全に固まっていた。
「いや、売るとかそういう問題じゃなくってね……、これは……」
 顔を見合わせ、瑞穂と大和が二人に追い付き、そこにあるものを確認して目を瞠る。
「うわ……、なんでアサルトライフルがこんなとこにあっちゃったりするんだよ! しかも凄い大量じゃないか……!」
 頑丈そうな木製ケースにアルシオン語で基地名や部隊名らしい名称と、通し番号と思われる数字を印刷したラベルが貼られている。ケースの中には比較的軽そうな銃身を持つアサルトライフルが、六丁ずつ収まっていた。しかも同じような箱が、裕に十ケース以上幾つかの山に分けて積み上げられている。
「AM16だ。凄い……ちゃんと弾もある」
 瑞穂もケースの前に座り込み、アルシオン製の武器と、同梱されている銃弾の小箱を確認する。
「ニット工場がなんでこんなもん隠しちゃってるんだ? ええと、一箱に六丁あって、一、二、三、四掛ける三列で、……マジかよ全部で七十二丁もあるぜ! ドキドキしてきた」
 中腰になりながら数えていた大和が、勘定を終えて興奮気味に叫んで立ち上がる。
「これって闇市で売ったら、あたし達結構お金持ちですよ」
「いやいや、その前に捕まるか殺されちゃうでしょ」
「AM16ってどのぐらいで取引されてるんでしょう」
「よくわかんないけど、二、三千はするだろ」
「二千だとして、十四万四千ディール……! 一生遊んで暮らせますよ!」
「だから、売った途端に逮捕されるか殺されるって言ってんの! っていうか、一生は無理でしょ。どんだけ貧乏生活しちゃう気だよ……」
「この量だと、まずアルシオン兵が誰かに横流ししたものだわね」
 悠希と大和の呑気な会話へ区切りをつけるように真が口を挟んだ。表情は極めて深刻だ。
 流したアルシオン兵は見つかれば厳重に処罰されるだろうが、その前にそこそこの金銭を手に入れている。そして武器を大金で買った人間は、マージンを載せて転売するか、あるいは直接に使用するだろう。どのポイントで関わっていたとしても、これほどの量となれば、まず堅気の人間じゃない。ましてや繊維会社の仕業であるわけはない。
「ここに保管なさってんのは、ひょっとしてチーセダあたりじゃないの? 下手すりゃウィットリアやソヴェティーシュのガチマフィアが関わっちゃってるかもね。やべぇでしょコレ」
「銃だけじゃないんですよ。ほら、あそこに手榴弾が」
 悠希が立ち上がって、傍らの木箱を指し示す。木箱には「AM67 Handgranade」と書かれていた。瑞穂はそちらも中身を確認する。
「アップルグレネードか」
 箱の中にはリングを付けた鈍色の手榴弾が、緩衝材に仕切られて一ダースばかり収納されていた。こちらも同じような木箱が幾つか纏めて置かれている。
「AM67っていくらぐらいするんです?」
「売っちゃったらヤバイんだって、さっきから言ってるでしょうが!」
「あたし一人では、とても持ち上げられませんでしたが、男の人が三人いたら、一日で闇市へ運んで行けますよね」
「だから、運ばないって何度言えば……、つうか既に転売未遂しちゃってたのかよ」
 あくまで換金しようとする悠希に対し、大和が早くもツッコミ疲れを感じているようだった。よもや悠希は、頑丈な木箱を運び出す男手を求めて、自分達をこの場所へ案内してくれたのではあるまいかと疑う大和だ。
「確かに転売は危険だよ……売った時点でシリアルナンバーから足が付くから。流出はすぐに把握しているだろうし、流される可能性が高い闇市には、まず間違いなくアルシオン軍が潜入して待ち構えてる。横流しをさせたカミシロ人だと思われたら、最悪の場合、その場で殺されるかもしれない。同胞でもない俺達に、あいつらが手加減するとも思えないし」
「ヤバイ、ヤバイ……こんなモン、とっととどこかに捨てちゃおうぜ」
 瑞穂が話す可能性論を受けて、大和が顔を顰めながら投棄を主張した。
「それこそ危ないでしょ。ここに保管したマフィアがいるんだから、戻って来て隠したものが見つからないなら、ここにいる私達を最初に疑うじゃない」
「そうですよ、真さんの言う通りです。だから、さっさとお金に変えて、それを元手にマンションかペンションでも買っちゃいましょう」
「そのお金に変えるまでが危ないって話なんだけど……。それに十四万ぽっちではマンションもペンションも買えないからね。……となるとだな、瑞穂、やっぱここにいること自体がヤバいんじゃないのか? 別にウチだったら、いつまでいちゃってくれても構わないんだし、宿探しはまた仕切り直しにして……」
 些か疲れながらも、几帳面に悠希にツッコミを入れた大和は、真面目な顔に戻ってリーダーである瑞穂に移動を促した。瑞穂は目の前にあるアルシオン製の火薬達を見つめる。
「マフィアもアルシオン兵もチーセダも……コレがあれば応戦出来る」
「ちょっと、瑞穂あんた何言って……」
「おいおい、マジかよ」
 過激な発言に、真と大和は目を見開いた。小造りで繊細な面立ちの中で、木箱に収まった武器を見つめる鳶色の瞳は、魅入られたような光を不気味に輝かせていた。


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