日は既にだいぶ西へ傾いており、アオガキ川の水面が柔らかい黄金色に輝き始めていた。スザク拘置所の灰色をした影が見えた頃、漸く一時的な難聴が治まり、静かなエンジン音が順調に聞こえだす。
 運転しながら、志貴は仲間と打ち合わせてあったという計画の全容を教えてくれた。AM16を持った志貴たちが分散して侵入し、外ではリュウが機関銃で出迎える。殲滅次第退去し、正門ゲートで全員脱出を確認出来たところで、賢が発煙筒を上げる。それを合図に、瑞穂が撃ちこんだロケット弾で武器庫を破壊して終了……ほぼ予定通りだ。
 ちなみにSRPG-7は高威力対戦車砲と呼ばれる非常に破壊力のあるロケットランチャーで、仕様書には半径二メートル以上が使用条件と書かれているが、一般には屋外使用が常識だ。屋内で使用したが最後、間違いなく同室にいる相手の兵士を仕留めることは可能だろうが、窓ガラスやコンクリートの壁面、天井が衝撃で吹き飛ぶ為、使った方も無傷での脱出はまずあり得ないという諸刃の剣である。後方に味方兵士でもいた日には、バックブラストで死ぬこともあるそうだ。
 そもそも対戦車砲を人に対して使用すること自体がオーバーキルもいいところだろう。
 話を聞いた瑞穂は今さらながらに青褪め、無知の恐ろしさを知った。
「お前を単独で侵入させたことは、俺のミスだったけどな」
 志貴が眉根を寄せながら、忌々しそうに呟く。
 ハンドルを握る右手の負傷は軽くない。志貴が二の腕を撃たれているのを確認した瑞穂は、車を出す前にネクタイを使って腕の付け根から縛った。運転を代わると伝えたが、そのぐらいは片手でも余裕だと断られた。
「けど、俺の活躍は認めてくれたんでしょ?」
 瑞穂が言うと、あからさまに嫌そうな顔をして睨まれる。
「俺が追い付いてからの後半については認めるが、それまでは最悪だ。二度と勝手なことはしないと約束しろ。それに俺を殴ったことも謝れ」
「兄さんが悪いんじゃない、あれは……」
 言いながら、襲撃直前に兄からされたことを思い出し、瑞穂は落ち着かない気持ちになる。顔がどんどん赤くなり、何気なさを装って窓を向いた。
 外は暮色に染まったマホロバの、長閑な風景が広がっている。彼方に見える小高いシルエットはヤチヨ山。直前にこの兄と言い争い、母に諌められ、月読から切々と訴えられた記憶が蘇る……志貴から目を放さないでほしい、嫌な予感がするのだと。
 いつもであれば、瑞穂の反論へ必ずさらに言い返してくる志貴が、珍しく大人しいと気が付き、頬の火照りが収まったところで運転席へ視線を戻す。黙ってハンドルを握る兄の美麗な横顔は、すっかり前髪が下ろされて、白い肌は血や埃で汚れ、少しばかり疲れて見えた。
 月読の期待に応えられず申し訳ないが、志貴が何を考えているのかは瑞穂にさっぱりわからない。
「どうかしたのか?」
 視線に気付いた志貴が、顔は前に向けたまま問う。車は既にアオガキ市へ入り、桜花の拠点である西湖ニットの工場へ近付いていた。
「何でもないよ……あ、あれ……?」
 返答した瑞穂は、しかし不自然に言葉をとぎらせる。
「どうした。……ひょっとしてどこか痛いのか?」
 志貴の声も緊張したものになる。
 瑞穂は身を捩らせ、両脚の間を強く閉じた。身体の奥から伝わる感覚……チーセダにされたことを思い出す。SAK-47のバレルで胎内を掻き回され、パジュに肛門を犯された。あのとき中に出されはしたが、それは後ろであり、違和感が生じているのは前だ。奥からどんどんと溢れ出してくる不快な感覚に、じっと耐えるが、すぐにそれが意思で制御出来るようなものではないことを思い知る。
 志貴から借りているジャケットの端を少し持ちあげ、その部分をそっと確認してみた。
 兄が隣で息を呑み、車を左端へ寄せると停車させる。
「おい、瑞穂……怪我してるならなんで言わないッ?」
 隣から上着を大きく広げられ、下半身をまじまじと見られる。
「ち、違うって……怪我じゃなくて、これは……」
 陰部からはとめどなく鮮血が溢れだし、それは志貴の上質な夏物スーツの上着を染め、本革のシートを汚していた。
「お前……ひょっとして、それ……」
「たぶん……生理になったんだと思う」
 言った途端、志貴がゲラゲラと笑いだした。
「何が可笑しいんだよっ……笑ってないで、コンビニかどっか寄ってよ」
 顔を歪ませ、肩を震わせながら志貴は右側に指示を出すと、再び車を流れに乗せる。顔では不貞腐れながらも、遅れてやって来た二度目の生理に、瑞穂は内心ほっと胸を撫でおろしていた。
 スーパーの駐車場へ入り、瑞穂の為に下着と上下のスウェット、そして生理用品を揃えた兄から、買ってくれた物を受け取る。些か草臥れていたとはいえ、日頃は生活用品の買い物など縁がなさそうなこの兄が、どのような顔でそれらを持ってレジに並んで来たのかを想像すると、少々滑稽であり、とても感謝をした。
 心で志貴に対する思いが、明らかに変化しつつあることを、瑞穂は不思議な気持ちで噛み締める。
 後に志貴が伝えてくれたところによると、瑞穂達との銃撃戦により武器庫を壊滅されたチーセダは、リーダーのパジュと構成員の殆どを失い、事実上の消滅に追いやられた。この襲撃を経て、マホロバには暫しの平和が訪れることになった。


(了)

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