「いや、べつに……」
なぜ、それを部屋から持ってきたのかとか、そういえば先ほどからやたらと峰が俺に絡んできているなあとか、俺も急に峰にドキドキし始めている不自然さとか…………。
「そうか……でだな、スペースクッキーっていうのはつまり、ガンジャ系クッキングの一種で、ガンジャっていうのは神の草を意味するヒンディー語で、つまりマリファナを意味するらしく、そのマリファナを細かく砕いてさまざまな料理へ入れることがあるんだが、そういったものを、スペースクッキーとかスペースケーキと呼んだり……どうかしたか?」
やけに饒舌に語る峰。
俺が急にドキドキし始めたその直前……峰は俺にキスをしていた。それも結構深く、舌を絡められていて……。
「お前……今……いや、いい」
峰から、もう一歩距離を取る。
「とにかく、世界には奇妙な料理が沢山あるということだな。お前、ひょっとして寒いのか?」
距離をとるべく1メートルほど空けていた空間が埋められ、さらに肩を引き寄せられた。
「いや、別に。そういや、お前にこの上着借りっぱなしだったな。お前こそ寒いだろうに、これ返……離れてくれないか、脱げないだろう」
「別に返さなくていい、こうしていれば俺も暖かい。……料理といえば、この間お袋が料理教室で……」
結局この晩の峰はやたらと賑やかで、一晩中飽きもせずに喋り倒していたが、翌日は反動が来たようにぼんやりとしていた。
そして朝っぱらから、黒木さんが風雅さんを連れて謝りに来てくれた。
「だって、楽しく過ごしてもらおうと思ったから……」
「だからって、高校生を相手に何て真似をするんだ! 秋彦君、峰君本当にすまなかった……ほら、お前も謝れ、っていうかお前こそが誠心誠意謝罪をしろ!」
「わかったってば、ごめんなさい……」
「いや、もう別にいいですから……俺は平気ですし、峰もなんか夜通し喋っていただけなので……」
黒木さんは、後日改めてきちんと詫びると念を押すと、風雅さんを連れて部屋から出て行った。去りゆく二人の背中を見送る。
「……そもそも、お前はああいう連中といつまで付き合っているんだ!」
「コウは関係ないでしょ。スペースクッキーはたまたま、アムスから来た友達がお土産にくれただけで……」
「お前、まだあの仙崎って男と会ってるのか!?」
「声大きいって、和彦さん……お客様の迷惑……」
部屋を出てからも扉越しに聞こえていた二人の会話は、このあたりで途切れた。おそらくそのタイミングで、やって来たエレベーターに乗ったのだろうと思われる。
「朝から随分賑やかだったな」
「まあね。大丈夫?」
まだ目が半開きの峰はコクリと頷くと、ぼんやりと座っていたベッドから漸く立ち上がり、よろよろとした足取りでクローゼットへ向かった。
一晩中起きていたのであろう青白い顔は、目の下が真っ黒で、声も完全に掠れている。普段使い慣れない声帯を、夜通し酷使するというハードな体験は、コミュ障の峰にとって人並み以上のダメージだったようだ。
「ああ。……隣、声かけなくていいのか?」
「う〜ん……どうすっかな……。また藪蛇になっても、怖いだけだからな」
俺は考えつつ、リュックに自分の荷物を詰めてゆく。
スペースクッキーは俺達に、予想以上の効果をもたらしていた。お陰で峰は、ハイテンションで夜通し喋り続け、俺は珍しい峰を見ることになっていちおう満足できた。昨夜、峰が俺に抱きついたりキスをしたり、そういう彼に俺がドキドキしたことも、あるいはスペースクッキーの影響かもしれないが、結局食べなかった俺が少しでもそういう気分になったというのが、クッキーの影響だとは、やはり考えにくい。多分、俺は単純に、思わせぶりな峰の態度に乗せられたというあたりが、正解だろう。あるいは、キスをしてきた峰の舌へ残っていたであろうマリファナの成分が、俺にちょっとした悪戯をしたせいかもしれない。
いずれにしろ、昨夜、俺達に間に起きた出来事はそれが全てだ。
当然だ。
スペースクッキーというものが、正確にはどういうものかは知らないが、公共のスペースであるオランダのコーヒーショップで、そこまでハードな麻薬を売っているわけがない。それもまた、俺の推測に過ぎないが。
考えた結果、とりあえず慧生に俺からメールを入れておき、俺と峰は一足先にホテルを出ることにした。
慧生から返事が来たのは、その日の夕方すぎ。二日間遊び倒した俺が、漸く手を付けた年末大掃除の手始めとして、風呂場のカビとりをしていたときのこと。やたらとハイテンションなメールが到着し、添付されていた写真を目にして、俺は水び出しの冷たいタイルで尻もちを突いた。
「なんじゃコレは……!?」
濃密な時間を過ごしていた彼らは、定刻よりも1時間遅れてチェックアウトをすると、そのまま二人の愛の巣へ戻り、さらにイチャイチャしていたようだった。充実したときが過ごせて何よりだと思うが、スペースクッキーがあろうがなかろうが、結局彼らにとってはいつも通りのことだったのかもしれない。とりあえず、ウサ耳カチューシャと裸に黒革の首輪が、進藤先生と過ごす慧生の日常ファッションだという仮定が合っていればの話ではあるが。
Fin.