『La boheme, la boheme <<six>>』中

 身体にぴったりと張り付くような中国服は、目にも鮮やかな赤いシルク。胸が平坦で、細いながらも骨っぽい体格から、アンシーはやはり若い男なのだろうと思われるが、両サイドの黒髪を頭上で纏め、艶やかな長い髪を背中へ垂らし、ボトムから見せた変わった靴は、中世のイタリアで流行したチョピンに少し似ている。高く太いヒールには、いくつもの宝石が埋め込まれ、環状や卍などの幾何学模様を描いていた。石の色はピンク色や水色、薄い黄色などが使われており、パステル調でかなり女性らしい。
 表情からは感情の起伏がはっきりと見えない東洋の少年アンシーが、先ほど壁に架かっていたモローのサロメとダブって見えた。
 アンシーの隣に、マルセルが移動すると、滑らかな民族衣装に包まれた細い腰に腕を回し、小さな顔を隣に並べる。そうすると、どこか倒錯的な光景に見えるから不思議だ。満開の花園にひっそりと綻び、人を狂わせるほど甘ったるい香りを放つ、妖しくも美しい二輪の毒花のよう……とでも言うべきか。男同士の筈なのに、二人は危険な女達のようにも見える。
 ドーベルマンが背後に近付き、二人の隙間からにゅっと顔を突き出した。こうして見ると、犬の大きさがよくわかる。
 小指と薬指にだけ、煌びやかな飾り爪を嵌めたアンシーの左手が、自分の腰辺りに来ている犬の頭を、ゆっくりと撫でる。
「ねえ、ピエール……今から良い物を見せてやるよ」
 そう言うとマルセルがこちらへ視線を送りながら顔だけ横を向き、アンシーの耳へ口唇を押しつけ、何事か囁いた。
 その瞬間アンシーの頬がバラ色に紅潮し、薄く開いた二枚のバラの花弁を思わせる、小さな口唇の間から、なんともいえないあえかな吐息が漏れた気がした。官能的なその様子に、俺は思わずゴクリと音を鳴らして唾を飲み込んでしまう。
 僅かにしなだれかかったような姿勢のアンシーの耳朶には、沢山の真珠を環状に繋ぎ、さらに細長い翡翠を幾つもぶら下げた、重そうなピアスが二つ飾られており、それはマルセルが何事かを囁く度に、艶めかしい白いうなじの隣で揺れ動いている。
 淫蕩な女にしか見えないアンシーは、マルセルの腕の中で良い様に翻弄され、まるで性行為の前戯でも見せつけられているような二人の光景から、俺は目が離せなくなっていた。ルイが声を上げるまでは。
「いつまでやってるんだ、まったく……!」
 尖った青年の声が、俺の意識を引き戻す。振り返ると、ルイもまた頬をアンシーのようにピンク色に染めあげていたが、灰色の双眸は憎々しげに二人を睨みつけていた……いや、マルセルをだろう。
 彼が叫んだお蔭で、漸く気付く。美少年二人の絡みに、俺がどれほど食い入るように見入っていたかを……。アンシーはともかく、マルセルのような極悪非道の詐欺師野郎から目が離せなくなるなど、我ながら狂ったとしか思えない。軽いショックであると同時に、無節操な己が許せなかった。
 そして視線を降ろしながら、ふと目に入った光景に気付く。
「わかったよルイ、……まったく。アンシー、君の幼馴染は本当にせっかちだねえ」
 マルセルを睨みつけているルイの拳は、関節の色が変わるほど固く結ばれ、小さく震えてさえいるということに。
 もはや確信せざるを得ない。
 なにゆえマルセルが、間違いなく中国人であろうアンシーと、恐らくは中国人クオーターあたりなのであろう、アンシーの幼馴染だというルイの二人と、チームを組んで俺を襲ったのかは、今もって謎である。だが、けして三人は一枚岩ではないであろう。少なくともルイは、マルセルを快く思ってはいない。もしかすると、三人を結びつけている原因はアンシーにあるのだろうか……そこまでは、まだわからないが。
 そんなことを考えていると、ある種の答えに近い言葉をルイが口にした。
「君がどうかしているんだ。マルセルは本当にわかっているのかい? こんなことをしている時間は、僕らにはないんだ。いつ鉄道部の連中が乗り込んで来るかも、わからないっていうのに……」
「ルイ! わかったからその辺にするんだ……そろそろ、いいかい?」
 ずっとふざけた調子を続けていたマルセルが、珍しく声を張り上げると、ルイの言葉を遮った。
 鉄道部……とは、一体何だろうか。
 文脈からか察するに、彼らはその鉄道部という連中から狙われてでもいるように思えたが。
 窘められたルイも、喋りすぎたと反省したのか、口を閉じてしまう。そしてマルセルから何かを促されたアンシーが、ゆっくりと俺に近づいてきた。
「えっ……」
 そのまま華奢な身体が俺に覆い被さり、白く小さな顔が寄せられる。ふと辺りに、甘い香りが漂った。それこそが花園にひっそりと綻んだ毒花の芳香だったのかどうか。
 口づけられる……そう考えた瞬間、俺の意識は混濁した。



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