「本当にいいの……それはあなたじゃなく、全部僕のせいなんだから……」
「お前は単にビジョンを送っただけだろう、それによってお俺がどう感じたなんで、お前が知るわけがない!」
「知ってるんだよ……だって、僕が送ることのできるビジョンは、視覚、聴覚、触角、味覚、嗅覚……細部に至るまで、僕の体験そのものなんだから」
「それは…………どういう……」
アンシーの体験そのもの。つまり、獣姦の映像はアンシーが経験した記憶の転送ということなのか……言いかえると、彼は、犬と交わった経験がある……そういうことになる。
「厳密に言えば、経験していないことでも、送れないことはない。たとえば月面着陸とか、墜落事故とか……一応はニュースや雑誌を通して、景色だけは知っているから。けれどそれは、本当に漠然としていて、細部の再現は不可能だ。だから送れるビジョンも漠然としたものになる」
「つまり、リアルなものを送るには、自分の体験したことでないと不可能……そういう意味か。だったら、お前……」
「その通り……でも、お願いだから、深くは突っ込まないで。僕にだって、羞恥心ぐらいはある」
「なら、どうしてあんなことをしたんだ。…………そうか、マルセルか」
思い返してみれば、俺があの体験をする直前、マルセルは思わせぶりな態度でアンシーに何事かを囁いていた。正確を期すなら、唆していたのだろう。
「君が過去にした仕事の中で、とびきりの思い出を、彼に見せてやってほしい……そこにいる、犬にまつわる、非常に珍しいものをね。……マルセルは僕にそう言った」
「お前がしていた仕事って、その……」
「街娼だよ。マレ地区あたりで夜の街角に立っていたら、いろんな人が僕を買ってくれた。その中に、ペットと僕を絡ませて喜ぶおじさんがいたってだけのこと。但し、犬はグレートデンだったけどね……」
ドーベルマンよりもはるかに大きな種類だ。
だとすれば、アンシーから記憶のトレースを受け取りながらも、俺が頭の中で勝手に犬をメイユイに置き変えてしまったのか、あるいはアンシー自身が獣姦映像を、予め目の前のメイユイに変更して、俺にビジョンを送ったのかもしれない。あの映像に出て来たマルセルやルイ、はたまたアンシーと思われる白い手も同じことなのだろう。そんなことを、どうやって技術的に可能にするのかは、想像もつかないが。いや、そもそもアンシーの能力自体が理解を超えているのだから、どうでもいいだろう。
それよりも。
「あの野郎……」
聞けば聞くほど腹が立つのは、忌々しいマルセルだ。
なぜアンシーがマルセルの言いなりになっているのかはわからない。だが、マルセルは明らかに俺を辱める目的で、アンシーにこんなことをさせただろう。細かい点は承知しないが、そこだけは絶対に間違いない。あいつはそういう人間だ。
内心歯ぎしりしていると、不意に寝室の扉が解放される。
「おやおや、目が覚めた途端、すっかりうちとけたみたいだね」
噂をすれば、小賢しい影。
入口から、踊るような足取りでマルセルと、頭一つ分背が高い、中国人クオーターの青年、ルイが入ってくる。
慌ててアンシーが俺から身を引き、俯く小さな顔が、やや赤く染まっていることに気が付く。ルイがすぐにアンシーの元へ走ってくると、外された襟のボタンを留めながら、俺を非難した。
「あんたっ、一体アンシーに何を……!」
「おいおい、ちょっと待てよ……俺は何もしていない……」
「信じられるか! まさか、アンシーの方からあんたみたいなオヤジを誘惑したとでも、言う気か!」
銃を突きつけながら人を勝手に誘拐しておいて、酷い言われようだ。
「誤解しないで、ルイ……本当に何でもないから」
「けどっ……!」
「ただ、ちょっと……気分が悪くなったから、ゆったりした服に着替えようとしただけ。そしたら、あの人が起きたから、今まで話をしていたんだよ……」
そう言いながらアンシーが寝台から離れると、視界の奥へと消えていく。
首を巡らし、視線で追い掛けると、そこには大きなクローゼットがあった。どうやら本当に着替えるつもりらしい。
「大丈夫かい? ……またしんどくなったんだね、可哀相に」
そう言って追いかけながら、視界にルイが現れる。
アンシーは扉を開け、襟元が広い、フワフワとしたドレスを思わせるような、レース素材の白いワンピースを手に取っていた。そういう服装も似合うだろうなと考えていると、ルイがこちらを睨んでいることに気付き、慌てて視線を前に戻す。次の瞬間ハンガーに掛かった先ほどのワンピースを手に持ったルイが促すようにして、アンシーを連れて寝室を出て行ってしまった。
どうやらすっかり、俺はアンシーをいやらしい目で舐めまわすように見る、中年の変態親父だと、ルイから烙印をおされてしまったようだった。まあ、あながち間違ってはいないのかもしれないが。
「アンシーはどこか悪いのか?」
一緒に出て行ってくれればいいものを、先ほどアンシーがいた場所と同じような位置に立って、俺に視線を向けている、マルセルに訊いてみる。どうやらアンシーは体調がよくないみたいだが、ルイの話だと、ときおりその症状が出ているらしい。
「能力を酷使すると、身体に負荷がかかって、ああなるみたいだね。病気ってわけじゃないから、そう心配はいらないさ。ルイは幼ないときからアンシーの騎士気どりだから、過保護になるんだよ」
馬鹿にするような口調でそう言いながら、二人が閉じた扉を見るマルセル。
つまり、アンシーがあのビジョン伝達を行うと、彼はその分体力を消費するということだ。そして、あれほど克明な映像を……いや、彼の未だ生々しい記憶を、五感すらも再現しながら俺に送りつけると言うのは、大変な作業だったのだろう。それにより、アンシーは身体に変調を来したということだ。
「たかが、お前の個人的な鬱憤晴らしのために、アンシーが体調を崩したってことだろう……少しは申し訳ないと思わないのかよ」
マルセルが鳶色の瞳をまるまると見せて、俺を振り返る。
そんな表情も、腹が立つほど可愛らしい。
「おやおや、一体二人きりでいた間に、彼と何があったんだい? ルイが知ったら、ますますあなたにやきもちを焼いちゃうよ」
「勘ぐるな、何もあるわけないだろう。ただ、俺はお前より、ずっと常識的だというだけのことだ。人並みの痛みを理解し、気遣いができるんだよ、お前と違ってな」
「へえ、常識的ねぇ。……そして、そんな常識人のあなたが、犬に獣姦されて、どんなふうになったのか、とっても興味深いよ。当然、少しも乱れたりはしなかったんでしょう? それとも、案外良くって感じちゃったのかな……」
「それは、そうじゃなくて……」
相当の誤解があるマルセルの嘲るような言い方へ反論しようとして、俺は咄嗟に言葉を飲んだ。
果たしてアンシーの記憶を送りつけられている間、実際の俺がどのような状態だったのかはわからない。だが、もしもあの映像のように、俺が悶えていたのだとしたら……それをマルセルがどこかで見ていたのだとすれば……いや、見ていたに決まっているだろう。
だが、あの体験は俺のものではなくアンシーのものだ。だから、俺が示した反応は、そのままアンシーの記憶の断片ということになる。
それをマルセルは知らないというのか……そうじゃない、わかって言っている。これはただの挑発だ。そんなもので俺を貶めながら、同時に他ならぬアンシーを貶めているマルセルが、許せなかった。
「お前、本当に最低だな……」
「何とでも。……けれど、僕が単純にあなたを陥れるだけの目的で、こんなことをしていると誤解したなら、それは飼い被りだと否定しておくよ」
「違うのか」
「もちろん、あなたを陥れたり、苦しめるのは極上の暇つぶしにはなるけどね」
「念のいった暇つぶしだな、この暇人め。で、真の目的ってのは、一体何だ?」
「運んでほしい物がある」
「運ぶ?」
聞き返すとマルセルは付いてくるようにと言って、寝台から俺を立たせた。
そして目の前を歩きだす小柄な背中に、一瞬俺は誘われそうになる。今この背中に体当たりを食らわせたり、後頭部を目がけて渾身の蹴りをブチ込んでやれば、マルセル一匹ぐらい容易く倒せることだろう。だが、この屋敷からはそう簡単に脱出できるものだろうか。それが可能であれば、恐らくマルセルも、無防備に俺に背中を晒したりはするまい。そう帰結すると、俺は黙ってマルセルの後に従った。
06
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