「それが本当なら、普通は故宮博物館にでも収蔵されてるべきだろう。なんでこんなところにあるんだ……? だいたいこの絵はどうみても油絵だろ。女は確かに、中国の貴婦人風だが、東洋の絵じゃない」
俺が疑問を口にすると。
「ルイのお祖父さんは骨董品輸入業者で、かつてC.T.ロー商会からここを買った人なんだよ」
アンシーが言った。
C.T.ロー商会……最近その会社の名前をどこかで聞いたような気がしたが、俺はすぐには思い出せなかった。
「ってことはつまり、このデカそうな屋敷は、こいつの家ってことか」
俺は背後で未だに俺を威嚇し続けている、中国人クオーターの青年を目線で示しながら言った。
「そうだ。ルイはこう見えても、ものすごい資産家の出身なんだよ。まあ、今はちょっとばかし複雑な事情があって、当局から逃げてるみたいだけどね……」
「マルセル……」
ルイとこの屋敷について説明をしていたマルセルを見ながら、アンシーが彼の名前を呼ぶと、マルセルはおどけたように掌を見せて目を丸くして見せた。それはまるで、アンシーが何かを隠したがっているかのように……いや、間違いなく喋りすぎのマルセルに釘を刺したのだろう。
何を……当局からルイのお祖父さんが逃げているということか? つまり犯罪をしたということだろうか。それとも、体制に睨まれる理由が、他に何かあるのだろうか。
俺が考えてると。
「この絵を描いた人は、カールというアメリカ人女流画家で、西大后が懇意にしていた、数ある外国の文化人たちの一人。ちなみに、当時の清には多くの外国人達が入国していた。あの時代の支那大陸が、どれだけ西洋列強の脅威に晒されていたと思ってるんだよ。西大后は知ってるくせに、義和団事件知らないの?」
「知らない……すまんが」
俺が正直に応えると、ルイは一瞬だけ馬鹿にしたような表情を浮かべたが、すぐにその灰色の双眸は怒りの焔を揺らめかせて俺を睨んできた。その原因は、果たしてどこにあるのだろうか。どうやらルイが気付いているらしい、俺がアンシーに対してときおり向けてしまう、男の本能的な下心を滲ませる下卑た視線を、初なルイ青年の恋心が許せない為なのか、それともかつて西洋が進めたアジアへの植民地政策に対する根源的な憎しみが、彼の身に四分の一だけ流れている東洋の血を滾らせてしまうのか。……あるいは、もっと別のところに、さきほどからずっと彼を苛立たせる明確な原因が存在しているのだろうか。
とにかく今は、ここに数あるアンティークが西大后ゆかりの品々であることさえはっきりしていればいいだろう。そして、ルイの爺さんが骨董商であり、当局に追われているということが間違いないことと。
さらに俺は広い屋敷内を連れ回され、見るからに高そうな焼き物や衝立、絵画などを見せられた。いちいちアンシーが先導して説明を聞かせてくれたが、あまりに数が多すぎてほとんど頭に残らなかった。彼らの要求は、できるかぎり早くこれらの品を屋敷から運び出すことだという。
最初の小物と西大后の絵画ぐらいなら、ルイに昏倒させられたパーキングに停めてある俺の車で、どうとでもなるが、全部を運び出すとなるとそうはいかない。最低でも一トントラックぐらいは必要だろう。梱包もするなら、何度かに分けて運ぶか、あるいはさらに大型車が必要となる。どこへ行けと言うつもりか知らないが、あまり道が細くなければいいのだが。
「できれば、明日中になんとかしてほしいんだ」
アンシーが言う。
そうなると、早急に車を調達したほうがいい。どこへ行くかにもよるが、往復している暇はないだろう。ついでにいうと、梱包も諦めてもらうしかない。その辺りは、このあと彼らに説明して納得させるしかないが、返事をする前に、はっきりとしておきたい疑問がひとつあった。
「今一度訊くが、ここにあるものは本当にヤバイもんじゃないんだろうな。」
俺が確認すると。
「どういう意味?」
「つまりさ、本当に盗品じゃないんだろうなってこと。もちろん、これから盗むつもりってのも御免だぞ」
アンシーに念を押して訊いた。
ルイの爺さんが当局に追われてるという点は気になるが、この二人だけであれば、俺も信じてやって構わないとは思う。だが、マルセルには何しろ前科があるのだ。強欲で、俺への嫌がらせに歓喜するような、胸糞悪い野郎と手を組んでいる以上、手放しに信用するわけにいかない。
すると。
「畜生っ、俺の爺ちゃんが泥棒って証拠でもあるのかよ!」
「い、いや……俺はそんなことを言ってるんじゃなくて、そもそも、その骨董商っていう爺さんが本当にお前の血縁にあたるのかとか、その爺さんってのが実在の人物かどうかって点を、俺はまだ納得できるほどにちゃんと説明してもらっては……」
「じゃあ、言わせてもらうけどな、この国が世界に誇るルーヴル美術館だって、イタリアやエジプトから強奪した美術品を、国家的財産としてあつかましくも公開してるし、エジプトからは返還請求されてるにも拘わらず、お前らは無視しまくってるじゃねえか! イギリスの大英博物館にいたっては、まるきり泥棒博物館だろ! 各国に戦争吹っかけて、殺し、略奪しつくしてる、お前ら白人どもが、どの面さげて俺の爺ちゃんを……んぐうっ!」
「もういい、話がややこしくなる。……ごめんなさい、ピエール。ルイは家族想いだから、お祖父さんを侮辱されると頭に血が昇って手がつけられないんだ」
前のめりになっていたルイを押しのけるようにして、アンシーが前に出る。
「い……いや、なんかしらんが、俺が悪かった。このとおり、詫びさせてもらおう……」
思わず先人の蛮行とやらを西洋を代表して謝罪しつつ、茫然とアンシーを、そしてルイを見た。
ルイの怒りの源泉が、本当のところはどこにあるのか知らないが、ひとまず遺伝子レベルで白人嫌いであるらしいことはわかった。果たして俺が謝る必要があったのかは、わからないが。
華奢な癖に思いのほか力があるらしいアンシーが、片腕一本で動きを封じてしまったその掌に押さえ込まれて、首を不自然に曲げながら側頭部を壁に押し付けているルイを、多少哀れに思いながら眺める。
「ルイの中国名は白琉衣(バイ・リュウイ)。ここのオーナーである彼の祖父は白安平(バイ・アンピン)といって、第二次世界大戦後、オーナーを失い、ロー氏の遺族が帰国したことで長らく国有物件となっていたこの不動産を競売で落札し手に入れた本人だよ。さらに、高級官僚である白暁東(バイ・シャオトン)はルイの従伯父で……おっと、アンシーがまた凄い目で睨んでるから、このぐらいにするけど、とにかく華麗なる一族を背景に持つルイの血統は確かなものさ。チンケなコソ泥や詐欺に手を染めるようなヤツじゃない。あなたを連れて来て貰ったとき、多少手荒だったかもしれないが、それは僕の指示に従ったのと、……たぶん、相手があなただったから、潔癖な彼の良心がそれほど痛まなかったんじゃないかな」
「お前に貶められる謂れはないんだが、……ともかく、ここにある物品を持ち出すにあたり、ルイが主張する権利に正当性がないわけではないことはわかった」
マルセルの話のみで、ルイと古美術商である祖父さんの繋がりや、この屋敷と美術品の関係を完全に信じたわけではないが、今ここで家系図を見せろだの、不動産権利証を見せろと言うわけにはいくまい。
どちらにしろ緊急を有する運送作業が、そう安全なものであるはずがない。その危険の正体は、恐らくさきほどからマルセルが口を滑らせそうになるたび、アンシーが止めている、官僚の親戚とやらにあるのだろう。端から危険な作業だというなら、そんなものに正当な理由を求めてもしかたがない。
俺が徐々に腹を決めかけていると。
「詳しいことは話せないけど、とにかくここにあるものは、間違いなくルイのお祖父さんのものだから、信じてほしい。パリの裏道を知り尽くしている、あなたの力を、貸してもらいたいんだ」
アンシーが縋るような目で俺を見てきた。
08
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