返す言葉もなかった。
「あの、刑事さん・・・・。話の途中で、その・・・寝てしまってすいません」
リーズ氏が恥ずかしそうに、顔を赤くして言ってきた。
「大丈夫ですよ。だいたいのお話は、ベイツ氏から伺いました。お躰はもう大丈夫ですか?」
「はい。・・・あの、信じて頂くのは、難しいと思っています」
「リーズさん?」
相変わらずの、おずおずとした声だったが、やや語調を強めてリーズは訴えようとしていた。
「幻視というのは、具体的な現象ではありません。あの似顔絵は、確かにマンスフィールドの『ジキルとハイド』に似ているかも知れませんが・・・、その、だからマンスフィールド氏が殺人犯だと、言いに来たわけではないんです。誰が殺人犯なのかは僕にもわかりませんし、・・・そんなことがわかる筈はないんです。ただ・・・」
「・・・・・・・・」
一点を見つめながら、必死に考えを纏めているように見える、リーズ氏のまどろっこしい言葉を、俺は辛抱強く待った。
「この殺人犯は、悪魔です。・・・・善人の仮面を被った、恐ろしい悪魔です。けっして、野放しにしてはいけない!」
「ええ、わかっています」
「あの幻視体験から、僕はとてつもない、悪意を感じました。憎悪・・・恨み・・・殺意・・・快楽・・・、刑事さん、快楽ですよ!? 今にも哄笑が聞こえてきそうな興奮と、楽しくて仕方がない・・・そんな精神の高ぶりが、うねるように僕を取り囲んでいたんです。目の前には切り刻まれる死体・・・・。この犯人はその女性を嫌悪しています。けれど、近づく瞬間は・・・とても紳士的なのです」
「紳士的・・・。ちょっと待って、幻視っていうのは、犯人や被害者の姿、あるいは光景のような瞬間的なものではなく、行為の流れそのものが見えているものなの? ・・・たとえば、写真や絵画のような切り取られた場面じゃなくて、それこそ舞台の上で役者が演じている様子を、ある程度のまとまった時間、ずっと鑑賞しているような・・・?」
「一概に正しいとは言えませんが・・・・そのときはそうでした。時間の組み合わせもバラバラなもので、一連の行為がずっと脳裏に再現されていることもあれば、最初はその瞬間の情景だけがパッと見えて、後から前後の出来事が、頭に浮かんでくるということもあります。それこそ、誰かの顔だけが見えることもありますし・・・。感覚的なものなので、この辺を説明するのは難しいです」
リーズ氏は、すまなそうな顔をした。
「いや、こちらこそ、無理に聞いてごめんなさい。今日は本当に、お疲れ様です」
そう言って、俺はリーズ氏を玄関まで見送った。
階下ではとっくに帰ったと思っていたベイツが待っていた。
外の馬車へリーズを先に乗せたあとで、ベイツは俺に近づいてくると。
「クリーヴランド・ストリート19番地・・・何かわかりました?」
「ああ、本人から聞いたよ」
またその話題かとうんざりした。
そして。

お前にだけは、信じてほしい・・・。

アバラインの悲しそうな瞳。
「その件でどういうわけか、王室がソールズベリ侯爵を呼び出したそうですよ」
「王室?」
なぜ王室が、ただの男娼館事件ごときに首を突っ込んでくるのだ。
しかも首相を呼び出しただと?
「本当に、どうしてでしょうね。変だと思いませんか? 元CIDの警視監自らの内偵捜査に、片や、イギリス中が注目している事件の、担当責任者であるアバライン警部補。単なる男娼館の問題に、なぜここまで警察の大物や、大事件を抱えている捜査官が関わってくるんです?」
「確かに変だな・・・ってちょっと待て、ベイツ。お前、この間は元CID部長とアバラインが同性愛だの何だのって、俺に・・・」
「ああ、そんなこと言いましたっけ? うわ・・・ちょ、ちょっと・・・苦しいっ」
「言いましたっけって、お前なあ! お陰で俺はフレッドに、酷いこと言って、それでフレッドは・・・」
掴みやすいベイツの蝶ネクタイを締めあげていた俺は、話の勢いで、そのときアバラインに切ない声で訴えかけられたことを明かしそうになり、さらに彼からキスをされたことを、うっかり思い出してしまった。
「麗しのフレッドが・・・どうかしたんですか? 顔が赤いですけど」
見るとベイツがニヤニヤと笑って、俺を楽しそうに眺めていた。
「何でもねえよ・・・! さっさと帰れ」
「わっ・・・っと、相変わらずの暴力刑事ですね! ったく、それじゃあ僕は帰りますが、せいぜい頑張って殺人犯を逮捕してくださいよ! すいません、リーズさんお待たせして・・・」
「ああ、とっとと帰れ! ったく、王室が首相を呼び出したからって、何だってんだ。それが男娼館がらみとも、限らねえだろうに・・・」
何気なく呟いてから思い出した。
「王室っていえば、今朝はフレッドもヴァッキンガムに行っていたんだよな・・・」
ただし、こちらは呼び出しではなく、能動的に出向いていたようだが。
いずれにしろ、今はまだその事を追求するときではない。
俺にはホワイトチャペルの事件を解決する仕事が残っている。
「それに、・・・聞こうと思えば聞けるんだよな」
キス以上の関係になったら、教えてくれる・・・・彼はそう言っていた。



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