9月6日木曜日。
午前中はキャッスル・リバー・ビルで起きた殺人事件の、裏付捜査に追われた。
昼前になり、テムズで人間の左腕が見つかったと、シティ警察に通報があって、一連の殺人事件との関連を調べるべく俺たちも現場へ急行した。
左腕は若い女の物で、脇の一部が付いたままになっていた。
発見したのはビリングスゲート・マーケットの運搬人で、ボートと船着き場の埋め立ての間に、挟まるようにして川面にぷかぷかと浮いていたらしい。
夕方、ウェントワース・ストリート50番地の商店、『イエロー・ローズ』へ、コマーシャル・ストリート署が踏み込むことになり、俺たちも応援に呼ばれた。
付近住民から通報があったのは、1週間前に遡り、表向きは普通の雑貨店であるこの店で、人身売買が行なわれているというものだった。
コマーシャル・ストリート署の刑事が聞き込みや監視を続けた結果、生活用品をとり扱うこの店へ、夕方から早朝にかけて、10代の少女や下町に不釣り合いな紳士が出入りしていることがわかり、さらに少女を連れている男が馬車で出て行く現場を巡査に目撃されたため、家宅捜索が決定した。
午後6時4分、刑事達が現場へ到着。
ウェントワース・ストリートとオールド・キャッスル・ストリートの角に建つ店舗は、既に閉店時刻を迎えており、扉は施錠されていた。
それにも拘わらず、オールド・キャッスル・ストリート側の煉瓦塀脇には、4輪馬車が2台停まっており、人待ち顔の御者が煙草を吹かして立っていた。
その傍に裏口への通用門があり、トマス・アーノルド警視に続いて制服警官が次々と近づくと、御者が慌てて馬車を出す。
令状を持った警視を先頭に、いよいよ店へ踏み込んだ。
香を焚かれた店内は、裕福そうな紳士と、東洋風の着物を身につけた少女で溢れ、聞き慣れない言語が飛び交っていた。
どうやら少女達は皆、外国人のようだった。
「警察だ。全員そのままで。一歩も動くな」
ウォルター・ベック警部補が声高に叫ぶ。
あちこちで泣き出す少女の声がした。
巡査達がその場にいた全員を連行していく。
「店主のエイドリアン・グラントを探せ」
アーノルド警視の号令で刑事達が捜索を開始した。
グラント以外の人間も、当然見つけ次第、片っ端から連行だ。
東洋趣味に溢れた室内から一歩出ると、廊下は薄暗く、壁際には乱雑に物が置いてあり、足を進めるのも容易ではなかった。
一番最初の扉を開けると、一斉に甲高い悲鳴が起こる。
「うわっ・・・、え、え〜と・・・俺はベスナル・グリーン署の刑事で、君達から事情を聴取するために、コマーシャル・ストリート署まで連れて行きたいんだけど・・・と、とりあえず全員服を着て!」
中にいた少女達は7名ほど。
全員が怯えた目で身を寄せ合っていた。
ユダヤ系、ロシア系、東洋系・・・英語を話さない彼女達は、最初に入った部屋にいた少女達と同じで、いずれも10代前半に見える、外国人ばかりだ。
着替えや化粧の最中だったのだろう彼女達は、下着姿や、着物を肩からかけた状態で、戸惑っている。
泣き出している子もいた。
「巡査部長、何やってんですか、こんな入り口で・・・警察だ! 大人しくしろ!」
後ろからやってきたアルフレッド・ロング巡査が、ずかずかと部屋へ入り、半裸の少女達を容赦なく部屋から連れ出して行く、後から入って来た数名の巡査達も、次々と少女達を連行して行った。
「だって、その子達はどう見ても被害者だろ・・・」
俺は足下に残された衣を拾い上げる。
絹の手触りをした、赤く長ったらしいそれは、おそらく日本の民族衣装だろうか。
この店はどうやら東洋風の演出で客寄せをしているらしい。
少女達は皆同じような格好をしていた。
不意に部屋の奥で何かの物音が聞こえた。
「誰かいるのか?」
着物を足下へ落として、音が鳴った方へ近づいてみる。
「・・・・・」
姿見の裏で蹲っている者がいた。
身につけている衣裳は、今し方自分が手にしていた着物と、同じような赤い衣。
「君に危害を加える気はないし、俺たちは君を保護する為に来た。・・・・怖がらなくていいから」
英語が通じるのかどうかもわからない状況だったが、艶やかな黒髪を肩に垂らしている少女へ、ゆっくりと言葉を伝えながら、俺は彼女の前へ回る。
そして息を呑んだ。
「・・・・あの、刑事・・・さん」
両耳の上に赤いリボンで細い束を結んだ、まっすぐな黒髪。
東洋人にしては・・・いや、正確には東洋人とのハーフなのだが、色白のきめ細かな瑞々しい肌と、俺を見上げる褐色の瞳の大きな目。
ふっくらとした赤い口唇。
そこにいた少女は・・・違う。
少女にしか見えないこの少年は、俺がほんの数日前に訪れた、『マダム・マギーの家』で下働きをしていた筈の彼だった。
「アザミ・・・なんで、君がここに・・・」


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