建設業者の空き地では、隣にあったお化け屋敷がテントを畳んでしまっており、見世物小屋だけが営業をしているようだった。
看板イラストが大きく変わり、そこに書いてある文句を見つけて、俺は目を瞠る。
「美貌の両性具有がチンパンジーと愛し合う・・・?」
看板に描かれたイラストは、昨日の蛇女にも勝る妖艶さで、どことなく東洋的なその顔立ちと、長い黒髪が、一瞬アザミを思い起こさせた。
次の瞬間俺は、殆ど勢いで見世物小屋のテントに足を踏み入れていたのだ・・・。
ショーは既にかなり進行していたようで、ステージでは小人が自転車を乗り回し、その上で逆立ちをしたり、両手を放して胡坐を掻いたりして見せている。
間もなく小人のショーが終わって、いよいよ本日のメインイベントのスタートだ。
ノーマンがステージの袖に現れ、ほぼ同時にステージ中央には、黒い布が掛けられた大きな箱が現れる。
箱を運んできた畸形達が布を取り去ると、中には一人の美少女が入っていた・・・いや、両性具有というのはこの子のことなのだろう。
確かに東洋人であり、アザミが着ていたような、東洋のドレスを身に付けているところを見ると、この子もまた日本人なのだろうか。
だが、アザミではないとわかり、俺は安心と落胆を同時に覚える。
シルクハットにタキシードを着たノーマンが、手にした小槌で観客の注意を引くと、天涯孤独だというこの両性具有の身の上を聞かせてくれる。
両性具有は名をサキ・オミナエシといい、ノーマンが「彼」と言っていたところを見ると、実は少年のようだった。
「サキは摩訶不思議な両性具有として、遠い東洋の日本で生を受けました。祖国では侯爵家の庶子という身分でありながら、両性具有として忌み嫌われ、サキが心を許せる相手は、買っていた猿だけだったのです。そのうちに二人は心を通い合わせ、愛し合うようになりました。しかしながら種を超えた二人の恋が許される筈もありません。あるときサキがサルとまぐわっているところを、とうとう侯爵様に見つかってしまい、サキは町にいられなくなってしまったのです・・・」
観客を煽りたてるノーマンの演説は、このあたりがピークだったことだろう。
その後サキは石礫を浴びながら日本を追い出され、船乗り達に助けられながら、大英帝国へやってきた。
道中は荒くれ者の船乗りたちともいろいろあったようだが、ホワイトチャペルまでやってきたサキは、かつて愛した猿を思い起こさせる、チンパンジーのジョーと電撃的な恋に落ちた。
「さっさとサルを出せー!」
「その子とサルの、いいところを見せろー!」
容赦ない観客達のストレートな要求を受けて、ノーマンは負けじと声を張り上げる。
「それでは、この哀れな東洋の両性具有とチンパンジーの愛を、祝福を持って迎えてやりましょう!」
ノーマンがショーのスタートとも言える文句で締めくくると、ステージにはシャム双生児の少女達が鎖で繋がれたチンパンジーを連れて来る。
一人の少女がチンパンジーを引き寄せるようにして、鎖を手繰り寄せ、もう一人の少女が檻の扉を開く。
実に不思議な光景だった。
その様子を両性具有のサキは、ただ茫然としながら見ているだけだ。
チンパンジーは檻に入れられ、少女達が容赦なく扉を閉めると、外から鍵を掛けてしまう。
観客達が、脱げだの、誘えだのと、サキに要求を突きつける。
彼らの興奮が伝染したかのように、チンパンジーのジョーも、落ち着きなく檻の中を行ったり来たりしては、ときどきキイキイと鳴いていた。
サキはすっかり気おくれしたかのように、なすすべなく立っているだけである。
これからこの子が、本当にチンパンジーと・・・?
我知れず、俺は生唾を飲み込んでいた。
不意にサキが動き出し、腰のあたりに巻き付けていた長い帯を解き始める・・・どうやら衣装を脱ぐようだった。
途端に会場からは冷やかしの歓声と口笛が盛んに飛び出す。
俺も思わず前のめりになっていた。
彼が着ていた水色のドレスの下には、同じような形の赤いドレス・・・いや、生地が薄いところを見ると、これが東洋の下着なのかもしれない。
サキは赤いドレスの帯も解いてしまうと、肩からそれを羽織っただけの姿で、チンパンジーのジョーに近づいた。
下は・・・残念ながらよく見えなかった。
檻の隅に四つん這いで立っていたチンパンジーの前で、サキが跪き、その小さな顔に両手をかけて口唇を合わせる。
その様子が、いかにも恐る恐るといった感じだ。
次の瞬間、サキが立ち上がり、観客席の方を向く。
しかし意図的な演出なのだろうか・・・照明が半分ほど消されてしまい、またしても彼の腰はよく見えない。
さすがに観客達は怒りだし、明るくしろと騒ぎ始めた。
そのとき、不意に凛とした響きで歌が聞こえてくる。
檻の中でサキが歌い始めたのだ。

『幼い日々の情景が、過ぎ去りし幸せな思い出と共に、目の前に蘇る。
追憶の中で草原を駆け巡ってみても、古き良き家の中では、もう誰も私を励ましてくれる人はいない。
父と母はずっと前にいなくなり、姉妹や兄弟も今は土の下に横たわっている。
けれど、人生が私を励ましてくれる間は、しっかりと生きよう。
小さな菫のこの花を、私は母の墓から引き抜いた』

それは知らない歌だったが、どこか民謡のようで優しいメロディーと、悲しい歌詞を持っていた。
まさに天使の声と形容するに相応しい美声だが、表の看板から妄想を膨らませたような人間とチンパンジーの性交が始まるわけでなし。
これで観客が納得するはずはなく、場内が段々殺気だった男達で騒然とし始めたところで、俺は見世物小屋を後にした。
「刑事があの騒ぎを放っておいていいのかい?」
テントを出てすぐに、知った声から声を掛けられ立ち止まる。
振り返るとリリーだった。
そこで彼女のショーがなかったことを、俺は今更思い出す。
「今日は蛇を食べないのか」
「非番なんだよ」
明快な回答が帰ってきて納得した。
そういえば今日は、あの不気味な化粧をしていない。
サキという両性具有についてリリーに聞いてみる。
「あの子は今日入ったばかりの新人だよ。本当はチンパンジーとやっちまう予定だったんだけど、泣いて嫌がってね。歌が得意だっていうから、ノーマンがそれでやってみろって試したんだけど・・・あれじゃあね」
そういってリリーが苦笑した。
確かに美しい歌声ではあったが、あの流れで突然歌われて、納得がいく筈もないだろう。
これは演出の問題ではないのかと突っ込みたかったが、元より見世物小屋に来て少年が美しい声で歌ってくれたところで、満足する観客はいまい。
要するにノーマンは最初から、『両性具有』とチンパンジーの色っぽいショーをメインにしたかったのだ。
恐らくサキは、近いうちにそうせざるを得なくなる・・・・だったら、また数日後に来てみようか。
手厳しいあの常連客達のことだ。
彼がチンパンジーをしっかり受け入れるまで、そうそう満足をすることはあるまい。
人間の男すら知らないように見える、幼顔の少年が・・・赤い薄衣のドレスと長い黒髪を乱れさせて、獣と・・・。
仮に彼が両性具有でなくても、それはそれで興味深い・・・両性具有なら尚のこと。
そんな感じで、俺が勝手な妄想を暴走させながら、不埒なことを考えていると。
「いやらしい顔しちゃって、・・・刑事さんも変態だね。ああ、いやだいやだ、これだから男ってのは・・・」
リジーがそう言って、大げさな身振りを交えながら頭を振る。
そういえば彼女は、男に興味がないと言っていた。
「弟は今日、来てないのか?」
ホランドのことを聞いてみる。
「午前中に来てたけど、今日は夜勤だから、今頃はちょうど会社に着いたころだよ。どうせまた、帰りにでも寄るだろうから、会いたいなら明日の昼前に来てみなよ」
どうやら擦れ違ったらしい。
「あいつは毎日、ここに通っているのか?」
軽い気持ちでそんな質問を重ねる。
「姉離れが出来ない子でねえ。手間がかかるんだよ」
そう言いながら、わざとらしい溜息をリリーが吐いた。
昨日見せつけられた、微笑ましい二人のやりとりを思い出し、日頃の様子がなんとなく目に浮かぶ気がした。

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