コマーシャル・ストリート署を出た俺は、続いてウェスト・エンドを目指した。
シャフツベリー・アヴェニューからウォーダー・ストリートを北上し、賑やかなオックスフォード・ストリートへ出たところで馬車を降りる。
御者へ支払いを済ませ、俺は胸のポケットから、昨日リジーに貰った紙片を取り出した。
「224Aというと、あっちかな・・・」
リジーが暴漢に襲われた場所はホワイトチャペル。
一緒に酒を飲んでいた相手は、共犯と思われるフィルという若い男で、身長は俺と同じぐらいだが、金髪に翡翠色の瞳を持つ、俺とはとても似つかない良い男。
リジーが奪われたペンダントは、不動産屋のギルバートから貰ったもの。
そして、リジーを襲撃して暴行グループが逃げて行った路上に、落ちていたのが1枚のメモ用紙。
現状わかっているのは、そのぐらいだ。
貰った紙には、この辺りの住所と思われるメモ書きがあった。
『224A Oxford Street』。
そして行を変えて、『ICE RIVER』。
ポーランド・ストリートの手前で立ち止った俺は、メモ用紙と角の建物を見比べる。
「ここか・・・」
5階建てのビルには、入り口に『ICE RIVER』の店看板。
どうやらパブのようだった。
「いらっしゃい」
早い時間のせいか、幸い店は混雑していない。
カウンターから声をかけてくれたウェイターへ近付く。
「お仕事中に申し訳ありません。ベスナル・グリーン署のジョージ・ゴドリー巡査部長ですが、少しお話を・・・」
リジーから聞いた暴漢者達の特徴をあげて話を聞いてみるが、残念ながらこれと言った反応が得られなかった。
続けて奥のカウンターで飲んでいた男達にも声をかけてみたものの、彼らも知らないという。
諦めて俺は店を後にした。
一度話を聞いただけでは何とも言えないが、あるいはこのメモ用紙は事件とまったく関係がないか、ただ単純に路上へ落ちていた紙屑だった可能性も考えなければいけない。
空いている馬車を探しつつ、何気なくソーホー方面へ向けて歩いていた俺は、不意に思い立って行き先を変えることにした。
アバラインが捜査を進めている男娼館の住所であるクリーヴランド・ストリートは、この近所である。
店の名前こそ知らないが、行ってみればあるいはこの目で確かめられるかも知れない。
ニューマン・ストリートを北上し、モーティマー・ストリートを横断して、俺は壁に埋められた、『CLEAVELAND ST.』のプレートを確認した。
だが、それらしき建物を見付けることができない。
同性愛行為が法律で禁じられている以上、それを売り物にした商売を大っぴらにすることはできないから、わかりやすい看板が出ているわけでもあるまい。
それぞれの建物へ出入りする人物に注意しながら、ここは勘で見つけるしかないだろう。
そう思い直し、何度目かの往復をしていたところ。
「どこかで見たことあるな・・・」
一軒の豪奢な白亜の建築から、紳士が一人出て来る様子を、俺は注意深く見守った。
年齢は50歳ぐらいだろうか。
小柄だが赤い巻き毛は肩に付くほど長く、人目を引く容貌である。
見覚えがあると感じたのはこの紳士ばかりではなく、建物の玄関に刻まれている、『J』と『S』が絡み合った、装飾的な字体のレリーフに、強い既視感を覚えた。
どこで見たのか・・・。
何かの営業施設であるらしい建物の玄関には、看板が出ていた。
「ジャーディン・シークレット・・・いや、ジャルダン・スクレか?」
JARDIN SECRET。
フランス語で秘密の花園を意味するらしい屋号からは、施設の営業内容は皆目想像がつかない。
「失礼。そこを通して頂けますか」
「ああ、すいません・・・」
後ろからやって来たらしい、男に声をかけられて慌てて道を開ける。
随分と背の高い、若い紳士だった。
「ひょっとして、ゴドリー巡査部長ではないかね?」
「はい・・・そうですが。あの・・・」
そして紳士の同行者に突然名前と階級を呼ばれ、俺は戸惑った。
「おや、彼はライアンのお友達?」
「まあ、そんなところだね。・・・しかし、妙な場所で会ったものだな、巡査部長。驚かせてすまない。CID本部のライアン・ジョウゼフ・キャラハン警視だ」
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