ホランドを連れて、俺は馬車を出る。
「ひょっとして夜勤だったのか? 早かったり夜通しだったり、大変そうだな」
挨拶をかねて俺が日々の勤めを労うと。
「聞きたい事があるんだろ、疲れてんだ。さっさとしろよ」
つっけんどんな声でホランドは、尋問を促した。
夜勤明けのせいか、早朝からヘンリー少年は、不機嫌全開である。
まあ今日は俺が悪い。
筋金入りシスコン少年であるホランドの目の前で、彼の可愛い姉君に、つぶらな女の象徴を見せて貰おうとしていたのだから。
もっとも、あの展開で、レズビアンのリリーが、本気で俺にそんなものを公開したとは思わないが。
身長160センチ前後のホランドを俺は見つめる。
麦藁色の長めの髪は、目や耳にかかる程で、その隙間から長い睫毛に覆われた緑色の瞳が、非難をするように俺を睨みつけている。
服装はよれよれのシャツに裾を折ったスラックス、丈が膝に届きそうな、厚手のジャケット・・・どれもサイズが合っていないものばかりだ。
頭には、これもまた大きめのハンティング。
貧しい少年がよくしている恰好ではあるのだが、顔は本当に姉に似ている。
髪を綺麗に洗って、赤いドレスでも着せればさぞ似合うだろうに・・・そう考えると、少し残念でならなかった。
苦笑が漏れそうになるのを必死で堪えると、俺は胸のポケットから手帳を取り出して、話を始める。
俺が考えていたことをもしも本人が知れば、またキャンキャンと何を言われるやらわかったものではない。
「改めて当日の事が聞きたいんだ。ハンバリー・ストリート29番地で遺体を発見した君は、その足でスピッタルフィールズ・マーケットへ向かった。間違いないな?」
俺が尋ねると、ホランドはいきなり怒り始めた。
「何回言わせる気なんだ・・・」
「わかっている、わかっている・・・ここはただの確認作業でしかないから、適当にハイハイと言ってくれていたらいい。もちろん、違うところがあれば、それは訂正してくれよ?」
「俺は今夜も早出の夜勤で、これから帰ってさっさと寝ないといけないんだ。刑事の確認作業に付き合っているほど暇じゃない。それだけなら、もう行くぞ。人がせっかく、話を聞いてやろうと思ったら・・・」
ホランドが背を向けて、本当に出て行こうとしたので、俺は慌てて彼を引きとめる。
その体勢が不味かった。
「ごめん、ごめん・・・わかった、じゃあこうしよう。確認作業は、仕事が終わった後で。よかったら一緒に食事でもどうかな、飯でも食いながら、ゆっくりと話をしよう。けれど、今はどうしても聞きたい事があるから、それだけ教えてくれるといい」
俺はいつのまにか、ホランド少年の細い肩に手を回し、もう片方の手で、彼の小さな顔を捕えるようにして顔を近づけていた・・・まるでキスする寸前である。
「てめえ、何しやがる!」
当然俺は張り倒された。
尋問中の刑事に手を出すとは、これだから世間知らずのガキは油断がならない。
まあ、今のも完全に俺が悪いのだが。
ちなみに拳はヘナチョコパンチである。
どこまでも、燃えではなく萌えしか男に感じさせてくれないホランド君だった。
俺は改めてホランドにお願いすると、今度こそ本当に伝えたいことを彼に話した。
チャンドラーの一件である。
「本人は否定している。ウィスキー・ボトルに関しては、あるいは持っていたかも知れないが、飲んでいたわけではないとね。俺達警官は当直という仕事があって、限られた時間でちゃんと睡眠をとるために、職場へ寝酒を持ち込むことがある。俺はそんなことをしなくても寝られるけどね。けれど、中にはそれが出来ない人もいて、俺も実際に酒を持ちこんでる同僚を何人か知っている。もちろん仮眠中に事件が起きてしまえば、酒が入った躰で犯人と格闘することになり、それが危険であるのは当然で、当直中は仮眠時間といえども業務時間内なのだから、言うまでもなく就業規定違反だ。けれど、そういう物に頼らないと、眠れない奴もいるのは本当で、君が見た物も、その為の酒だったということらしい。けして酒を飲みながら、いい加減に仕事をしていたのではなくてね」
言ってどうなるものでもないし、俺もチャンドラーの話に納得したわけではない。
ホランドとて、そんな言い訳を聞きたくもなかっただろう。
それでも、俺がホランドの立場であれば、やはり有耶無耶のまま流されるよりも、なんらかの回答が欲しいだろうと思った。
だから、俺は彼に説明することにしたのだ。
「そんな話で誤魔化せると思ったのかよ」
「いや、全然。君の怒りはごもっともだからね」
もしも彼自身が犯人に襲われていて、助けを求めに飛び込んだ警察署で、対応した警官が酒瓶を持っていたら、警察不審どころではない。
納得できなくて当然だ。
「俺は言った筈だぜ。あの警官は本当に酒を飲んでいたって」
「だから、それは飲んでいたわけではなく、寝酒として彼が持ち込んでいたもので・・・」
「疑うのかよ!」
ホランドは拳を握りしめ、顔を真っ赤にしながらそう叫んだ。
ただならないその様子に、俺は引っかかりを感じる。
「いや、そういうつもりじゃなく、これはある意味詭弁に聞こえるかもしれないけど、チャンドラー警部補はあの酒を仮眠室で飲むつもりで・・・・・まさか、違うのか?」
「何回言わせる気なんだ、あんたは・・・?」
「君は実際に、チャンドラー警部補が酒を飲んでいるところを見たと・・・?」
「だから最初からそう言っているだろう」
「いつ飲んでいたんだ? つまりその、目撃した時の状況を・・・」
俺は改めてホランドから、彼自身がコマーシャル・ストリート署へ飛び込み、館内表示がよくわからず、同行していたケントやグリーンとともに手分けをしながら、探し回った揚句に見つけた刑事課で、課内にいたチャンドラーが同僚の刑事と喋りながら、手にしていた瓶の酒を呷っていたのだと聞かされた。
「同じ事を、俺はあのコマーシャル署に一昨日いた警官へも訴えた。なのに、そいつは、適当に相槌を打って面倒臭そうに聞いてただけだった。あんたはそうやってメモをとってるだけ、ましだけどな。・・・で、あの酔っ払い警官を、ちゃんと処分してくれんのかよ」
話しているうちに、いくらか怒りが収まってきたのだろうか。
少しだけ落ち着いた声で、ホランドが俺に確認した。
「俺に他の警官の処遇をどうこうするような権利はない。決めるのはもっと上の人たちだ。・・・けれどまあ、とりあえず上司に相談してみるよ」
言ってはみたものの、難しい問題というのが俺の正直な感想だ。
チャンドラーの件を問題にすれば、署内への酒類持ち込みを完全規制せざるをえなくなる。
元来が就業規定に反しているのだから、規則遵守を徹底すればいいだけだと言えば、そうなのだが、職員からの反発は強いだろう。
仮に今回の件において、チャンドラーが通報へ即時対応できていなかったとすれば、酒類の持ち込みも問題視され、彼個人も厳重に処分されたかもしれないが、実際はその逆で、チャンドラーはほぼ完璧な対処をした。
ホランドがコマーシャル・ストリート署へ来る前に立ち寄ったという、スピッタルフィールズ・マーケットの警官は、その件でなんらかの処罰対象になるとは思うものの、チャンドラーは仮に飲酒行為の事実が明るみになったとしても、せいぜい訓戒が関の山ではないだろうか。
ましてや、本庁のキャラハンが彼の友人だと俺に脅しをかけてきたところを見ると、ある程度上層部に人脈を持っているのであろうし、実際には恐らくお咎めなしだろう。
申し訳ないが、ホランドの腹の虫を収めることは、難しいと思った。
「まあ、期待はしてねえよ」
俺の考えが伝わったというわけでもないだろうが、気のない様子で呟いたホランドが、そう言って、サイズの合わないハンティングを手に取り、頭の後ろをポリポリと掻いた。
帽子がなくなれば、ますますリリーによく似ている。
それからホランドは、改めて一連の殺人事件や治安の悪さ、殆ど機能していない警察機構につき、一市民として俺に嘆きを訴えた。
初めて聞く彼の本音だったが、誰が来るともわからないこのような見世物小屋で、リリーが舞台に立っていることも、弟として気が落ち着かないらしい。
だからこうして、毎日見世物小屋へ姉に会いに来ているのだろう。
「けどさ、リリーには素敵な恋人もいるみたいじゃないか」
つい今しがた、馬車の裏側でリリーと愛し合っていた、男装の恋人を俺は思い出していた。
リリーが言っていたから、男ではないのだろうが、一見したところ女にも見えない。
身長もおそらく、アバラインぐらいはあるだろう。
彼女が傍に付いていたなら、そうそうリリーを襲おうとする奴もいないのではないだろうか。
仮に襲ってきたとしても、相手が凶器を持っていなければ、暴漢からリリーを守ってくれると思う。
「あんた、ひょっとしてアルに会ったのかよ?」
ホランドが目を見開いて俺に聞いた。
こうすると緑色の瞳が丸々と見えて、可愛らしい。
「ああ、偶然な。・・・女っていうのは、ちょっと吃驚したけど、男の恰好をしてれば、普通の恋人同士に見えないこともないじゃないか。体格も性格もしっかりしてそうだし」
「他人事だと思って、適当なこと言いやがって」
姉の恋人を、あまり良く思っていないのだろうか。
ホランドが、やや吐き捨てるような感じでそう呟いた。
弟として、複雑な心境なのは当然だろう。
「まあ、同性同士でそういう仲になるのは、普通は理解しがたいだろうけどさ・・・本人達が思い合ってるなら、そこは温かく・・・」
「そんなことを言ってるんじゃねえよ! 何も知らない癖に、あんたは・・・」
途中まで言いかけてホランドは、不意に口を閉じてしまった。
何かを言いたそうな緑色の瞳だけが、麦藁色の長い前髪の間から、揺らめいて俺を睨みつけている。
なんとなく、悔しそうに俺には見えた。
「どうかしたのか?」
俺が聞くと。
「何でもねえよ・・・怒鳴ったりして、悪かった。疲れてるから、帰るよ・・・今夜も早出なんだ」
そう言って、ホランドは背を向けてしまう。
「ちょっと待って、言いたい事があるんじゃないのか?」
歩きだした細い肩を、俺は思わず引き留めていた。
「何でもないって・・・いいんだよ。あんたに言っても、しょうがないことだから。じゃあな」
何かを諦めているような、どうしようもなく無気力な緑色の瞳。
つい先ほどまで俺に掴みかからんばかりに、怒鳴り散らしていた、やり場のない怒りを持て余している若者の、強い力に満ちた眼差しと、同じ人物とは思えなかった。
或いは、彼が言うように本当に夜勤明けで疲れていただけなのかもしれない。
それでも、目の前であのような顔をして関わりを拒絶されてしまえば、それ以上呼び止めることは、俺には出来なかった。
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