「お前はひょっとして、あの女の子を知っていたのか?」
こちらへ背を向けながら、テントの破れ目に指を入れたり出したりしているホランドへ、俺は話しかける。
あれから間もなく、アリス・レヴィは遺体安置所へ運ばれ、俺とホランドは見世物小屋に戻ったリリーの寝顔を確認してから、馬車のすぐ傍で話すことにしたのだ。
彼を発見したときは、俺を睨みながらまっすぐ歩いて来る様子に、またいきなり文句を言われるのだろうかと身構えたが、意外とホランドは普通に挨拶をしに来ただけだった。
そして遺体が本当にアリス・レヴィなのかを聞かれ、そうだと知ると、そのあとは群衆の中でじっとこちらを見ながら立っていた。
おそらく俺の仕事がひと段落つくのを、待っていたのだろう。
それから二人で、リリーが大人しくベッドへ戻ったのを確認して、今に至る。
現場から立ち去った彼女の様子が、まるで幽霊のようだったので、いらないことを考えていないか確かめる必要があったのだ。
「ああ、知ってたよ」
テントの穴弄りを止めない目の前の少年から、思いがけず冷静な返事が帰ってきて、逆に驚かされる。
続いてホランドは、遺体に縋りついていた少女、デイジー・キャボットのことを教えてくれた。
かつてアリス・レヴィは、確かにリリーだけの恋人だったが、半年以上も前から、アリスはデイジーとも付き合っていた。
「ということは、デイジーはやっぱり、アリスの恋人なのか?」
「そうだと思う」
断言ではないものの、ホランドは俺の質問を肯定した。
彼に言わせれば、一体誰が本当の、アリスの恋人なのか、はっきりとはわからないようだった。
アリス・レヴィは仕事柄、親密な人付き合いが極めて多い。
彼女に接する全ての客は、彼女を自分だけの恋人だと思いたがり、アリスもまた仕事としてそれに応える必要があった。
所謂娼婦ではないかもしれないが、客の心理を恋心に近い状態で引きつけるという意味では、同じような仕事だろう。
もちろん、『ナイト・ホーク』の客ではなく、金でアリスを引き留めていたわけでもないリリーが、他のパトロン達と異なり、普通の恋愛感情の上に二人の関係が成り立っていたことは間違いない。
しかし、見たところそれはおそらくはデイジーにも同じことが言えるだろうし、パトロンから関係がいくらか発展した相手が他にいるかは未知数だ。
それでもレズビアンであったアリスが、男性客と恋に落ちることはさすがになかったようだが、贔屓にしていた高級娼婦達とは、それなりに深い仲になっていたらしい。
ヴァイオレット・ミラーもまた、その一人だったようである。
要するに、アリス・レヴィはリリーにとって、けして良い恋人ではなかったということだ。
あるとき、デイジーとデートをしているアリスを見つけたホランドは、姉の恋人を呼び止めたという。
「お前はそのとき、どうしたんだ?」
俺が聞くと、ホランドは一瞬だけこちらを振り返り、再びテントの穴へ視線を戻しながら応えてくれた。
「もちろん問い詰めたさ」
「相手は認めたのか? それともシラを切った?」
ホランドは空を見上げる。
その時のことを、思い出しているのだろうか。
とても悲しそうな表情をしていた。
「シラなんて切りやがったら、とことんまで追及してやったさ。白状するまでね。それでも、否定してくれたら、まだましだったのかもしれない。・・・姉貴が一番だって証拠だからさ。でもあいつは、あっさりとあの子が自分の女だと、認めやがったんだ」
つまり、アリスにとっての一番は、少なくともリリーではなかったということだ。
「お前は何て言った?」
「だったら、すっぱり姉貴と別れてくれと言ったさ。いい加減な気持ちで、振り回してほしくなかった」
何も知らない癖に・・・!
麦藁色の前髪の隙間から、悔しそうな目をして睨みつけていたホランドは、アリスのことで俺にそう言った。
その言葉の裏にあった出来事を、恐らく俺は今彼の口から聞かされているのだ。
俺はホランドに対して、アリスの容姿を褒め称え、リリーとの関係を、温かく見守ってやれなどと言っていなかったか?
なんという迂闊さだ。
我ながら己の言葉の軽さに吐き気がする。
俺は何も、わかっていなかったのだ。
「すまなかった・・・適当なことを言って」
俺は深く頭を下げたが、ホランドはそれを見ていない。
「別に。あんたが知らなくて、当然だからな」
それからホランドは、彼がアリス・レヴィから受けた屈辱を教えてくれた。
リリーを思っていないのであれば、別れてくれと迫ったホランドに、アリスはある日こう言った。
本当に彼女自身が必要なのは、寧ろリリーやホランドの方ではないのかと。
見世物小屋の大夫という職業柄、若い娘のリリーは、性質の悪い客に絡まれることが、少なくない。
そんなリリーを、アリスは度々守っていた。
それだけではない。
クラブのマネージャーとして稼ぎも充分あるアリスは、生活面でも姉弟を援助していたうえに、当然ながら恋人役として女であるリリーを満足させてもいた。
そういう実態をアリスは、19歳という年齢以上に幼く見えるホランドを相手に、赤裸々に言って聞かせ、その上で。
君に私の役目が果たせるというなら、そうしてみるといい。
そう言い放って、姉思いのホランドを残酷に皮肉ったのだ。
体格的にも160センチ前後しかないホランドは、女であるアリス・レヴィよりも見劣りし、寧ろ姉と良く似て少女のように可愛らしい。
失礼だが、今のホランドではとてもリリーのボディ・ガードにはなれないだろうし、アリスが言葉に含ませて挑発したような禁忌を犯すとは思えない。
もっとも、ホランドにそのつもりがあったとも思えない。
収入も学もなく体力も無い彼には、市場の清掃員ぐらいしか仕事がない。
一軒の店を運営し、自ら多くのパトロンを持つアリスとは、勝負にならないかもしれない。
アリスとデイジーの関係を知りつつ、哀れなリリーを思うホランドは、密かに小さな拳を震わせているしか出来なかったのだろう。
「そのことを、お前の姉さんは?」
肝心のリリーはどうだったのだろうか。
「たぶん、知ってたと思う・・・それとなくはね」
「そうなのか・・・」
知りながら、昨日のようにアリスに身をゆだねていたリリーの心中は、俺には計り知れない。
「絶対に犯人捕まえてくれよ・・・じゃないと、姉貴があんまり可哀相だ」
漸くこちらを向いたホランドは、縋るような目をして俺に訴える。
そこに昨日までのような、強気な光はもう見えない。
いつにもまして、まるで弱々しい少女のようだった。
「ああ、お前も姉さんを守ってやれよ。もう、お前しかいないんだからさ」
その小さな胸を目がけて俺はトンと拳を突き出した。
「わかってるよ」
ホランドも可愛らしい拳骨を、俺の拳に合わせて来る。
男と男の約束だった。
ホランドに誓いつつ、しかし事がそう簡単でないことは、昨日のアバライン達の話からも明らかだった。
背景にあるのは、フリー・メイソン。
そして王室だ。
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