『あなたに会いたい』

石鹸でぬるつく登り棒の頂上で、戦利品のハモンを手に喝采を浴びていた俺は、その日確かにヒーローだった。
あの日の勇姿を、もしも彼が見ていてくれたなら・・・

 

「えっとぉ、あっちが市庁舎で、こっちに行くと駅だからぁ・・・」
ステアリングを握る俺、東照宮小次郎(とうしょうぐう こじろう)の隣で、屋久島義輝(やくしま よしてる)が地図を手にしながら、外の景色をキョロキョロと見回した。
到着の目安にしていた時刻は、とっくにすぎている。
こんな小さな町なのに、どうして店一軒まともに見つからないのだろう。
道路脇に止まったままの車の助手席で、地図や窓から目を離し、屋久島の頭が横からズイッっとこちらへ飛び出して、俺の手元を覗き込んできた。
握られた携帯電話の液晶画面には、一通のメールが表示されている。
単語二つだけで構成された、簡素な本文。

no encontro

近づきすぎる後輩の頭を軽く押し戻すと、その行為が気に障ったらしい彼が、少しだけ頬を膨らませてみせた。
真昼の陽光を反射させ、脱色した金髪の縁取りが、キラキラと白く輝いている。
「ねぇ、もっと中心部じゃないですかぁ? この辺なんか閑散としてて、ショボイ店ばっかり並んでるしー・・・」
「ここが中心部だよ屋久島、・・・・・・めったなことを言うな。ウインドウを下ろしたまんまなんだから」
人口一万人に満たない長閑な村といっても、人通りがまったくないわけではない。
10分間も停車しているせいか、さっきから何人かの通行人が俺たちに気づき、手を振ったり、声をかけてきたりしている。
何しろ中にいるのは、この男だ。
一緒にいるのが地味なファンラ・カスティリョやティト・ヒラルならさほどでもないのだが、コイツや春日甚助(かすが じんすけ)といるときは、その目立つ風貌のせいで、大抵ファンに見つかってしまう。
とくに彼の場合は、脱色してギンギンにスタイリング剤で立たせた頭といい、七つも空いてる耳のピアスといい、いるだけで「俺が屋久島義輝だ!」と主張しているようなものだから、横に並んでいるこちらまでが、顔をさして仕方がないのだ。
お世辞にも繁華街とは言えない田舎の通り筋。
自分たちは車の中にいるというのに、たった10分ほどで、5人が声をかけてきた。
いくらラナFC第二のお膝元とはいえ、たいした発見率である。
「とにかく、ここにいても仕方ないし・・・、他の通りも覗いてみましょうよぉ」
そろそろ地図に飽きたらしい屋久島が、シートベルトをいそいそと締めなおし、ゼスチャーで車を発進させよと言ってきた。
「それもそうだな」
俺も携帯をしまった。
「じゃ、今度はあっちの通りへ行ってみましょう〜?」
反論する理由もなし。
とりあえず彼に従う。


午前中の練習終了後、石見由信(いわみ よしのぶ)とティト、春日のキャプテン組は、ミーティングの為、監督や会長と共にどこかへ向かった。
おおかた会食を兼ねて、近くのレストランへでも行ったのだろうが、帰りは春日に送ってもらうつもりでいた俺は狼狽えた。
「悪いけど、他をあたってくれ」
泣きつく俺をよそに、ふわふわとした長髪の愛らしい天使のようなキャプテンは、無表情であっさり俺を追い払おうとした。
「だって今日は16日だよ?」
「それが?」
「君のバースデーだろ」
「奢ってほしいのか?」
日本と違い、この国ではなぜだか、誕生日主にタカるという奇妙な風習がある。
鳶色の瞳が鋭く睨んできた。
この忙しいときに何を我侭な、とでも言いたげだ。
「いや・・・そうじゃなくて」
日本人の俺相手に、どうしてそういう発言になるんだよ、という気もするのだが・・・追い返す口実だとしたら、ありだ。
俺はちょっと悲しくなった。
二日前のバレンタインデー。
「懐かしいだろ・・・?」
そう言って手作りのレモン・ジェラートが入ったクーラーボックスを片手に俺の部屋にやってきた春日。
再発した膝の故障がなかなか良くならず、一人塞ぎ込んでいた俺の心を、春日のジェラートは甘やかに溶かした。
ジェラートは部活の帰りの味がした・・・。

 今日、お前の奢りな・・・!
 
夏休み中の部活の帰り道、駅前の売店で、ジャンケンに負けたヤツが全員にアイスを奢る。
一番人気は名東製菓のミルクジェラート・レモン味。
「すごい・・・あの時の味だ」
「再現するのに苦労したんだぜ。味わって食べろよ」
俺の部屋で一緒に食べて、それと同じぐらいに甘酸っぱいひとときを共に過ごした。
そう思っていた。
「だったら何だ?」
少しイライラした感じで春日は言うと、コートの袖を少しあげ、タグホイヤーの複雑な文字盤を覗き込む。
おまえと話している時間はない、そう言われた気がした。
「だから・・・そのさ、特別な日ぐらい、一緒にいさせてくれよ。だって俺は君の・・・」
そこでストップ。
この先を言うことは、イコール、彼を怒らせること。
案の定、一瞬目を見開いた彼は、しかし次の瞬間、美貌の面を柔らかくした。
春日が少しだけ考えるように天を見上げる。
雲ひとつないパロハボンの、澄み切った冬の空。
昼間のうららかな日差しが、春日の柔らかい栗色の髪と、整った横顔に燦燦と陽光を降り注ぐ。
「わかった。・・・じゃあここで待っていてくれ。でも、遅くなると思うから、先にメシは済ませていてくれないか? こっちも終わりそうになったらメールする」
そう言って彼は目の前で携帯電話を取り出すと、店の名前だけを打ち込んで俺の携帯へ送信してきた。
「市庁舎通りにある。そこまでは、申し訳ないけど、誰かに送ってもらってくれ」
それだけ言って彼は自分の車へ乗り込むと、先に出て行った監督たちの後を追って出ていった。


どうにか約束をとりつけて、俺は少し安心した。
そこへ屋久島義輝がやってきた。
居残ってフリーキック練習に参加していた屋久島は、着替えを終えてエナメルのライダースジャケットに継ぎ接ぎだらけのデニムを履き、練習中には人間らしく靡いていた金髪を、再び引力に対抗して逆立てていた。
ネックレスやピアス、指輪にバングルの類を合わせ、装身具の数はどう見ても二桁台・・・どこからどう見ても、屋久島義輝だ。
「東照宮先輩〜、ひょっとして、お困りですかぁ?」
外見に合わない間の抜けた声が俺に呼びかけてくる。
もう少し的確に表現するならば、知能指数が低そうな・・・いや、言うまい。
彼とは、高校のランクが大して変わらない。
俺はできる限りの敵意を込めて、声の主を振り返る。
「非常に困っているよ、誰かがオカマを掘ってくれたお陰でね」
あれは五日前の練習終了後、この駐車場の出入り口で一旦停止をして左右を確認していると、後ろからコイツの車がマトモにぶつけてきやがった。
幸いスピードはほとんど出ていなった為、大事には至らなかったものの、車はバンパーが破損して、そのまま修理に出すことになった。
もちろん費用はしっかり請求させていただくが、腹立たしいのは、ぶつけた本人の車が無傷だったことだ。
「またまたそんな言い方して・・・、頼んでも絶対に掘らせてくれないくせにー・・・」
「てめぇ、今何か言ったか?」
「いいえ、いいえっ・・・・。 あ、それより先輩。どうして今朝はあんな早くに出かけちゃったんですかぁー? 迎えに行ったら、誰もいないんだもん。誘拐されたのかと思って焦っちゃいましたよ、俺」
「なんで自宅で誘拐されると思うんだよ、その飛躍が理解できねーよ。・・・つか、東寺さんに頼んで来てもらったんだよ。あの人通り道だからな。そもそも、お前に迎えに来いなんて、俺はべつに言ってなかったろうが」
イラッ☆としながら後輩に言い返した。
「言ったじゃないですか〜。先輩のお車が帰ってくるまで、俺がちゃんと面倒みますってぇー。車もお体も、何から何までご満足のゆくまで、天国に行けるまで・・・」
「俺 は 頼 ん で な い。大体、わき見運転した挙句、止まっている車へツッコんで来たヤツに、んなコト頼めるか!」
つーか、「車」以外の不純なオプションサービスが激しく余計だ。
事故の翌日は確かに迎えに来てもらった・・・というより、勝手にコイツが押しかけてきた。
だが、さすがに停車している車に向かって、徐行しながら、わき見運転でぶつけるだけの男だ。
そのドライビングテクニックは危険極まりなく、とても心臓に悪い。
俺は一回で、この車の助手席に乗るのは金輪際無しだと思った。
てめぇの車じゃ言葉通りの意味で天国送りだ。
「とにかくお前はもう来なくていいから。・・・それより東寺さんはカフェテリアにいたかい?」
俺に突き放されて悲しそうな顔をしている後輩を押し退け、俺はクラブハウスへ戻ろうとした。
グラウンドを出て来るとき、東寺勢源(とうじ せいげん)は後ろでフリーキックの練習をしていたから、ひょっとしたらまだロッカールームかも知れない。
「えーと、東寺先輩だったら、もう帰っちゃいましたよぉ〜」
「何?」
そんなわけはない。だって”カフェテリアで待っているから、春日に送ってもらえないときは、また呼びに来い”って、彼は言ってくれた。
「カフェテリアで先輩の居場所を東寺さんに尋ねたら、”春日とどこかへ行くとか言っていた気がしたけど、屋久島だったのか”とかなんとか言って、そのまま・・・・・・あれ? ひょっとして俺が帰しちゃいましたぁ?」
次の瞬間、俺は目の前にいるヤツの腹に一発グーでお見舞いしてキーを奪い取ると、ヤツの車までさっさと歩き、運転席へ乗り込んだ。
助手席は断じてお断りなので、そうなると自分で運転するしかあるまい。

 

「思い出しても腹の立つ」
パロハボンの中心部をグルグルと巡回しながら、一軒のバルを探し始めて、はや1時間。
「先輩、ステアリングを握り締めすぎて、指の関節が白くなっていますよぉ?」
「それらしき店は見つかったか」
癇に障るバカ声の主へは振り返らず、俺はなぜだか一向に見つからないバル探しの経過情報を確認した。
こんな小さな町だというのに、どうして見つからないのだろう。
俺はジーンズのポケットから携帯を取り出して、もう一度店の名前を確認する。
何度見ても同じだ。
「え〜と、このあたりの店はもう、虱潰しに探したようですね〜。・・・あ、そういえばあそこ、あの椰子の木が立ってるあたりで、俺、ハモン切り落としたんですよぉ!」
「ハモンを落としたって、・・・お前まさか『ラ・トマティーナ』に参加したことあるのか?」
人口一万人もないこの町が、一年に一度だけ人口が四倍以上に膨れ上がるお祭りイベント。
いい大人たちがトマトをぶつけ合いたいという単純な目的だけの為に、世界中から人を集めるというバカ祭り。
その発祥は、楽隊の男の演奏があまりに下手なので、怒った観客がトマトを投げつけたのが始まりだとか、パレードの最中に転んだ男たちが、その場にあったトマトを投げ合ったのが始まりだとか・・・・・・。
まあ諸説あるわけだが、どれも祭の内容と同じぐらいに馬鹿馬鹿しい。
屋久島が言っているハモン落としとは、その祭の前座イベントで、石鹸を塗りたくってぬるぬるした棒のてっぺんに釣るしてある景品の生ハムを目指し、勇者達が先を争うようにして棒上りを競い合う。
一番に先端へたどり着いた者が、生ハムを括りつけている紐を切り、それが合図となって、その年のラ・トマティーナがスタートするのだ。
だから切り落とした者は、もちろんその年の祭の英雄である。
「アスル・グラナのユニ着て参加したでしょ? もう、すんごい目立っちゃって。いや〜、早朝から特急列車と、乗車率200パーセントのローカル線乗り継いで、グエルから参加しただけのことはありましたよぉ」
・・・眩暈がしてきた。
「あのときの勇姿、先輩にも見せたかったな〜、・・・きっと一発で俺に惚れたと思うんですよねー」
屋久島がトロンとした目で俺の肩を引き寄せてくる。
少々焦ってその腕を振り解くと、
「屋久島、前々から言おうと思っていたんだが・・・」
そのタチの悪い冗談をやめろ・・・俺がそう続けようとした瞬間、
「あれ、先輩の携帯鳴ってますよ・・・」
指摘されて、シートの端で光る携帯を取り上げた。
春日からのメールだった。
”今からそっちへ行く”
どうやらミーティングが、もう終わったらしい。
こちらも早く店を見つけないとマズイだろう。
「屋久島、お前はそっち。俺はこっちの窓から外を探す。もう1回言うが、店の名前は『no encontro』だ。頼んだぞ」
言いながら俺は再びシートベルトを締めなおし、車を出した。
「は〜い、『no encontro』ですねー。・・・ノルテ駅の近くにあるやつなら、俺もしょっちゅう遊びに行くのになぁ・・・うわっ!」
スタートした瞬間、俺はブレーキを思いっきり踏んだ。
「お前、今なんと言った?」
「・・・びっくりしたぁ〜。先輩危ないじゃないですかぁ! 俺の運転さんざん悪く言ったくせに自分だって・・・」
「いいから、早く教えろっ! ノルテ駅がどうした! まさかノルテ駅の近所にあるのか、『no encontro』って名の店が?」
俺の剣幕に驚いた屋久島が、つかまれたシャツの胸倉もそのままに、震えた声で続けた。
「・・・ありますよぉ〜、でもぉ春日先輩は市庁舎通りってぇ・・・、あれ・・・、まさか?」
そうだ、誰もパロハボンのうら寂れた市庁舎通りなどとは言っていない。
もっと言えば、俺も彼もコイツも、住んでいるのはチューファ市内だ。
だから春日は、おそらくはチューファの国鉄駅からまっすぐに伸びた大通りを思い浮かべて、市庁舎通りと言ったのだろう。
でも俺はパロハボンの練習場にいたから、この辺のことだと誤解した。
「おい、屋久島。しっかりシートベルトを締めておけ。飛ばすぞ」
「は、は〜いっ、先輩」

 

通常30分以上かかる道のりを、半分の時間で到着してみせた俺は、市庁舎広場の斜め向かいにデカデカと出している店の看板と、そのすぐ下に停めてある春日甚助の車を見つけ、慌ててシートベルトを外した。
「屋久島、車貸してくれてサンキューな。お前、気をつけて帰れよ・・・」
「あ、先輩危ないっ」
開けようとしたドアがバタンと閉じられる。
車の横を、老夫婦が通り過ぎていった。
「ごめん・・・俺も気をつける」
助手席から手を伸ばした屋久島がドアを引かなかったら、確実に彼らへぶつけていた。
「そうしてください」
耳元で聞こえた少し低い声は、なぜだかこんなときだけ大人びて聞こえた。
ざわつきそうな気持を押さえ、振り返らずに頷くと、
「じゃあな」
そう言って今度は左右を確認し、誰も来ないことを確かめてから今度こそ外へ出る。
「先輩、忘れ物ですよー」
「おっと、悪い・・・」
後ろから呼ばれ、下ろしたままだった窓を覗き込んだ。
・・・でも、忘れ物なんかしただろうか?
そう、思うまもなく。
「・・・・・・・・・」
ジャケットの襟元を強引に引き寄せられ、次の瞬間には重ねられていた唇。
「今のでチャラにしてあげます。じゃあ、いってらっしゃい〜」
ニタッと笑った顔で手を振り、あっという間に走り去る、口づけと同じぐらいに乱暴な急発進。
口元を押さえ、取り残される俺。
「下手くそ・・・・」
キスの感触よりも強く残された、前歯のぶつかり合う衝撃。
折れたらどう責任とってくれるつもりなんだ、まったく。
辺りを見渡す。
グエルほどではないとはいえ、パロハボンとは比較にならない人通り。
これでもプロのサッカー選手だ。
何人の人たちが、今の出来事に気づいただろうか?
そう思うと怖い気もしたが、それをどこかで楽しんでいる自分に気が付き、少し焦った。
いやいや、これではアイツの思うツボである。
「やべぇ」
見上げる街頭時計は、既に2時半を回っている。
ひょっとしたら店の中で、首を長くして待ってくれているであろう愛しい人を思い浮かべて、先を急がなければと、頭を切り替えた。
回れ右。
目の前に建っている、美しい白亜のチューファ市庁舎。
通りを一つ挟んで、ひっそりと佇む小さな店。
店の規模とはアンバランスに、かなり目立つ『no encontro』と書かれた黄色い看板。
パロハボンからの道すがら、屋久島が話してくれた情報によると、地下3階に広がっており、酒はもちろん、豊富なメニューからなる無国籍料理と、3つある特大スクリーンによるスポーツ観戦やライブ演奏まで楽しめる、最近出来たばかりの店とのことだった。
看板のすぐ下に停車された車。
その前に立っている小柄な人物を見て、俺はその場に凍りついた。
あれほど会いたかった愛しい人が、腕組みをして、むっすりとした表情のまま俺を出迎えてくれていた。

 

end



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