誰がために鐘は鳴ると問うなかれ ***************************************************** それは遠征地での、ある夜のこと。 もうダメだ・・・・・・そう思った次の瞬間、目の前に首里の顔が飛び込んできた。 「黙って聞くんだ」 ああ、誓ったよ・・・・・・でも・・・! 「だから行ってくれるよな?」 首里の話はこうだった。 「無事でよかった」 ****************************************** END
『影〜For whom the bell tolls』
そは汝の弔いの為に鳴る(ジョン・ダン)
「うっ・・・・・・」
突然襲った衝撃に、俺、那智泰綱(なち やすつな)は思わず目を覚ました。
やめろよ、首里・・・。そう言いかけて隣で眠る恋人、首里伝鬼房(しゅり でんきぼう)をチラリと見遣り、息を呑む。
窓から差し込む月明かりの下、仰向けに寝転んだ暢気な寝顔は、天井に向けて大きく口をあけたまま、ビクリとも動かない。
おい、そんなに口を開けて寝るから、朝起きたときに喉が渇くんだぞ?
・・・・・・人の心配はともかく、今は自分の問題が先だ。
首里は仰向けなって眠っている。
となると、この重みはなんだろう?
うつ伏せになり、首だけを横へ向けてベッドへ横たわる俺の背中には、明らかに70キロ近い重量が圧し掛かっていた。
この重量は断言できる・・・・・殆ど首里と同じ重さだからだ。
これが彼でないとすると一体?
俺は首を後ろへ向けて、その正体を確認しようと考え、そして気がついた。
金縛り・・・・・・・?
首も、下に敷いた枕を抱くようにして、頭の脇へ置いていた腕も、伸ばした足も、・・・・・・どれ一つ動かなかった。
だが、見開いた目だけは、仰向けに横たわった首里の顔を真正面から凝視している。
ということは、目だけは見えているということか。
首里、なに暢気に鼾なんてかいているんだよ!? 助けてよ!
俺は心の中で叫んだ。
そのとき、ある異常に気がついた。
うつ伏せに横たわり、首だけを首里の方へ向けた状態で横たわっているはずの俺。
なのに、隣で仰向けに寝ている首里の顔を、どうやって”真正面から”見ているんだ?
そして、恐る恐る首里の隣へ・・・・・自分が寝ているであろう場所へ視線を逸らそうとした瞬間・・・・・・。
「ううん・・・・・・」
苦しげに呻く首里の声に、俺は意識を引き戻された。ふたたび彼へ目を向ける。
仰向けに横たわったまま、眉間へ皺を寄せた姿は、悪夢にうなされているように見えた。
首里、大丈夫なの?
言葉をかけようとしたが、声すらも自由が利かない自分の状態を思い知らされ、苛立った。
よく見ると俺と首里の間に、・・・・・つまり、今俺の意識がさまよっている空間と、ベッドに横たわる彼の間にもうひとつ、何かが存在していることに気がついた。
それは黒いような白いような、はっきりとしない影であり、首里の上へ覆い被さり、彼の顔を覗きこんでいる。
誰だよお前? そこで何してる?
思考は声帯を震わせて声にならず、そいつと首里、そして俺の間には、見えない壁でも存在しているような感じだった。
影はじっと目を凝らすと、徐々に人の形に見えてきた。
俺とほぼ同じぐらいの体格をした成人男性・・・・・・いや、少し年下だろうか?
帽子を被り、腰の辺りに拳銃ホルダーのようなものを着けている。
襟元が随分嵩張って見えるが、毛皮で裏打ちされたレザージャケットでも着ているのだろうか・・・・・・。
少し丈が大きいように見える・・・彼のものではないのかもしれない。
ベッドへ突いた膝から先は、だぶついたジャケットを着込んだ上半身に比べてほっそりとしている。
男は彼の腹にまたがり、頭の辺りへ手を突き、首里の顔を覗きこんでいた。
「んん・・・・・・」
苦しいのだろうか、首里が低く呻いているのが聞こえる。
起こしてやりたかったが声は出ない。
「那智・・・」
細く声を絞るように名前を呼ばれて、俺は自分の目を疑った。
良く見るとその影の手がシーツの上ではなく、すこし仰け反った首里の顎の下あたりにかけられていた。
首を絞められている?
「那・・・・・・智・・・・・・」
首里が助けを求めている。
そう確信した俺は、あらん限りの力を掻き集めて、彼を呼んだ。
首里、首里!!!
今助けてやるからな、こんなヤツにアンタを連れて行かせたりはしない!
首里・・・・・・!!!
そのとき彼の上に居たはずの影がふっと身じろいだかと思うと、こちらを振り向き、俺の方へ襲い掛かって来たように見えた。
*****************************************************
俺はこの人に説得されていた。
「旅行は延期だ。でも俺の心はお前と一緒にいる。行ってくれ」
彼は落馬し、足を負傷していた。
山林に潜んだ反乱軍の部隊が、すぐ背後で彼を狙っている。
季節外れの雪に覆われた山の斜面へ、蹄が跡を残し、赤い血痕が点々とここまで続いていた。
こんな身体でここに止まっていては、すぐに殺されてしまう。
「嫌だ、一緒に残るよ!」
俺は少し先で待つ仲間を気にしながら、それでも彼を見捨てることができず、一緒にここで戦いたいと訴えていた。
彼を守りたかった。
「・・・・・・一人でしたいことがあるんだ。お前の行くところには、いつも俺も居る。・・・・・・一心同体だよ」
「嫌だよ、・・・・アンタといたい!」
彼の足からは血が流れている。
痛みを堪えているせいか、それとも我がままを言う俺に手を焼いてか、彼は弱ったような笑みを見せた。
「こういうときは一人がいい。お前が逃げてくれれば、俺も助かる。行ってくれるな? ・・・・・・二人の愛のために」
「一緒にいたいよ・・・」
アンタを残してなんて行けない。
「判ってくれ。俺の心はお前と一緒に行くんだ。一心同体だとお前も言っただろ? 昨夜あんなに誓い合ったじゃないか。お前は俺なんだ」
共和国軍の国際義勇兵である彼は、鉄橋爆破の任務を負っており、俺たちゲリラは彼に協力していた。
そんな仲間たちから少し離れた林の中で、昨夜俺はこの人と、愛を確かめ合った。
そのとき誓った。
二人は一心同体であり、どちらかが生き延びれば、もう片方の魂も共に生きるのだと。
ふわりと身体が温かくなる。
肩から羽織らせてくれたレザージャケットからは、いつも彼がつけているコロンとともに、すっかり染みついた硝煙の匂いが強く立ち上ってきた。
「離れたくない・・・」
俺にはずいぶん大きい上着の袖のあたりを、ギュッと握りしめる。
「行け。できるだけ遠くへ。」
「嫌だっ・・・」
「俺達の魂とともに・・・きっとアメリカへも行けるさ。・・・・・・さあ、立って行け。立つんだ」
段々と弱ってゆく声で彼は言い続けた。
仲間の一人が俺を呼びに来る。
そんなの嫌だ・・・・・・放してくれ!
「お前は俺だよ。俺の代わりに行ってくれ」
仲間の手によって俺は馬へ乗せられ、残された彼の手にはマシンガンが持たされていた。
嫌だよ。ここでお別れなのかい? 約束したじゃないか、戦争が終わったら、一緒にアメリカへ行くって。
「お別れじゃないんだよ。振り返るな。強く、生きてくれ・・・・・・俺のぶんも」
行かせないで・・・・・・一緒に残らせて!!
首里・・・!
******************************************
「おい、那智!? 大丈夫か?」
「首里・・・・・・首里なの?」
心配そうな表情をした顔へ手を伸ばし、彼がそこにいることをしっかり確かめると、俺は強くその身体を抱きしめた。
「よかった・・・・・無事でよかった」
ぬくもりを素肌で感じ、すぐ側で聞こえる彼の鼓動を耳で確かめ、俺はこの人が生きていること、それ自体を、純粋に神様へ感謝していた。
「おい、何言っているんだよ突然・・・・。っていうか、それはむしろこっちのセリフだ」
ぴったりとくっつけていた頭を引き剥がされ、耳の辺りを両手で捉えて、正面から顔を覗きこまれる。
薄暗い闇の中で、首里の瞳が真剣なまなざしで俺を射抜いていた。
「・・・・・・ひょっとしてあのまま、お前を・・・・・・されるんじゃないかと思って、心底焦った。・・・・・・でも無事でよかった」
優しくも厳しいその表情が、夢だか幻だかわからないアメリカ人義勇兵の彼と重なり、俺は一瞬眩暈を覚えた。
夜中に俺がうなされる声で、彼は目を覚ました。
見ると、うつ伏せに横たわる俺の背中へ、彼と同じぐらいの体格を持った白っぽい影が圧し掛かり、そいつが・・・その、俺をレイプでもしようとしているように見えたらしい。
道理で言い淀んでいたはずだ。・・・本当は押さえつけられていただけなのだが。たぶん。
首里は俺を起こそうとしたが、声は出ず、身体も動かなかった。
どうにかして俺を助けようと思っていてくれた彼は、そのとき俺の口から自分の名前が呼ばれるのを聞いて、その瞬間身体が自由になるのを感じ、すぐに俺のことも起こしてくれた。
気がつけば、白っぽい影もどこかへ消えていた・・・・・・・。
もう一度繰り返すと、彼は俺を胸に引き寄せて頭を優しく撫でてくれた。
愛しむようなその仕草で、俺は深い安堵に包まれる。
「ひとつ聞いていい?」
たがいの温もりを直に感じながら、どこかでまだ不安定な精神状態にあった俺は、ふと彼にある事を確かめたくなった。
「何だ?」
「もしもそのまま俺がその影に捕まえられて、俺を助けようとすると、首里も危険な状態になるとしたら、首里はどうした?」
心の中で、義勇兵が切なく叫んでいた。
生きてくれ・・・・・・俺のぶんも。
「そんなもん、助けるに決まってるだろう」
一瞬の躊躇もなく返ってくるその答えに、少し照れながら、それでも俺は非情な質問を繰り返す。
「もしも俺が、それを望んでいなかったとしたら? 二人は一心同体であり、どちらかが生き延びれば、もう片方の魂も共に生きる・・・・・・だから、首里には俺を助けて命を危険に晒すのではなく、俺のぶんも生きて欲しいって、俺自身が言ったとしても? それが二人の誓いだったとしても?」
あのような愛が、俺たちにも成り立つのであろうか?
俺があの義勇兵のように、首里の生存を何よりも優先的に願ったとしたら・・・・・・?
俺自身の命と引き換えに、彼に生きて欲しいと、俺が言ったとしたら・・・・・・?
たぶん、俺にはどこかで確信があった。
同じ時代に生まれて、同じ境遇にあったとしたら、おそらく俺は同じことを彼に託しただろう。
俺のぶんも彼に・・・・・・。
考えがまとまらないまま、なんとなく口に出しながら、いつしか感情が、先ほどの夢のような出来事の渦中へ引き戻され、俺はちょっとした混乱状態に陥りかけていた。
だが即座に首里の声で現実へ連れ戻される。
「なんでそんなこと言うんだよ」
強い語調にハッとする。
薄闇ではあったが、彼は少し怒っているらしいことが、声からはっきりと判った。
「お前が何んと言おうが、みすみす見殺すような真似を、俺がするわけないだろう?」
背中に回された腕に、強く力が込められる。
「首里・・・・・・?」
「命と引き換えって何だよ・・・・・・妙なこと言うな。俺がそんなことを許すと思うのか? お前が死ぬかもしれないなんて、そんなこと・・・・・・冗談でも考えたくないよ」
最後は殆ど、泣き声に近かった。
どうやら思った以上にダメージを与えてしまったらしい。
息が詰まるぐらいに締め付けてくる腕の中から、どうにか俺は彼の顔を仰ぎ見ると、
「・・・・・・ゴメン、変なこと言って」
素直に謝った。
「ああ、二度とそんな質問はしないでくれ」
これ以上はないほど、切ない声が耳へ届くのとほぼ同時に、優しい口付けが唇へ下りてきた。
「それにあの不埒な幽霊はお前を殺そうとしていたのではなく、犯そうとしていた。そんなもんますます許せるわけがないだろう」
まだ言ってる。・・・というより、この体制は?
「首里、どうして後ろに回ってるの?」
もぞもぞと身体を入れ替えた首里が、後ろから俺の身体を抱えてきた。
「いやま、なんとなく・・・」
腰を押しつけながら言われる。元気で何より。
だがしかし、早すぎる・・・。
「幽霊を不埒と罵った高潔な人は、いったいどこへ行ったんだよ」
「うぐぅ・・・」
美少女ゲームのヒロインみたいな声を出しても流されないぞ。
「俺が怖い思いをしていた姿を見て、実は欲情してたなんてサイテーな男だな。信じられない」
「・・・仰ることはごもっともなわけですが、しかしその、下腹部的事情が思いのほか火急にのっぴきならない状態なわけでして、ここはひとつ寛大なご理解をいただきたいと・・・」
「不埒なのは幽霊じゃなく首里のほうだろ、まったく」
「しっ、仕方ないだろ〜。こればっかりは生理現象なんだから・・・・ねえ、いいだろ〜?」
開き直られた。もうあきれて涙も出やしない。
「まったく仕方ないな・・・」
俺はため息をつくと、手を後ろに回して少し触ってやる。
「ううっ」
バカ首里が気持ち良さそうにうめいた。
それを確認すると後ろへ振り向き・・・。
「そんなに気持ちいい?」
「・・・すごくいいです。でも今日はバックがいいかな〜(はあと)」
「そうかい」
それから俺は出来るだけ妖艶な笑みを作り、・・・手を放す。
「あとは自分でしたら?」
「・・・・・・・・」
絶句。
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・!?」
疑問。
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・!!!!!!!」
混乱。
実に愉快だ。
「冗談だよ」
俺はパニックへ陥りかけた彼に再び手を伸ばすと、何か言いたそうなその唇へ自分から強く口付けた。
そして、俺に突き放された瞬間の彼の今にも泣きそうな顔を思い浮かべて、心の中で一人ニンマリとほくそ笑む。
こんな軽口を叩き合いながらも、こうして確かめられるその温もりを、心から愛しいと感じながら。
「ああ、また出ちゃいましたか。もう60年以上も前のことになるんですがね・・・・・・内戦中のこの地へ、共和国軍義勇兵のアメリカ人がやってきましてね、フランコ側の輸送経路を経つ目的で鉄道橋にダイナマイトを仕掛ける任務を負っていた彼は、ジプシーのゲリラ部隊と協力して任務遂行にあたるんです。そのジプシーの中に一人の美しい青年がいて、・・・・・・まあ、二人はお互い強く惹かれあったわけです。彼らは協力しあい、どうにか鉄橋爆破も成功に終わるんですが、ところが最後の最後に悲劇が待っていた。鉄橋から逃げるとき、アメリカ人が乗った馬が砲弾にやられ、落馬した彼も足を負傷してしまうんです。彼は泣き叫ぶ青年を他の仲間に連れて行かせ、一人で追ってくる反乱軍の部隊に立ち向かった・・・・・・」
お気に入りの名画でも紹介しているかのように、熱の籠った声で昔話を語ってくれた、5つ星ホテルの老支配人は、そこで一呼吸を入れると、どこか悪戯っぽい目をしてこう付け加えた。
「その山間の戦地もすっかり開拓されて、いつのまにか街に変わってしまいましてねぇ。・・・今じゃその橋のあった辺りに、サッカー選手がよく泊まる5つ星ホテルなんかが建っているらしいですよ」
一緒に話を聞き終えた首里は、顔を真っ青にして沈黙していたが、俺は今の世へ生まれ、そして首里と出会った幸せを、静かに噛み締めていた。
時代に引き裂かれた恋を、心に抱えたまま散っていった、アメリカ人義勇兵とゲリラの青年を思い、そして、恐らくは俺たちを羨んで出て来たのであろう彼らの為に、心の中で弔いの鐘を鳴らしながら。
『ナランハCF&ラナFCシリーズ』へ戻る