爆撃を受けたような衝撃を伴って、花火は深夜のオフィスを明るく照らしだした。 火薬が爆発するたびに、夜空には鮮やかな花の輪が広がり、人々を熱狂させていた。 **厳島景政(いつくしま かげまさ)編 「明日の夜? それってアラメダの花火ってこと?」 練習の帰り、駐車場で珍しく1人になっていた春日甚助(かすが じんすけ)を呼び止めて、俺はさっそく彼を誘いだした。 大抵記者に捕まっているか、石見由信(いわみ よしのぶ)と一緒にいるか、東照宮小次郎(とうしょうぐう こじろう)がつきまとっているのが常なのだが、この日春日は珍しく1人で帰ろうとしていた。 「ああ、アラメダの花火だよ。火祭りのメインイベントの一つさ。見たくないか?」 春日は少し考えるような素振りを見せて、 「そりゃ見たいけど・・・でも、あの混雑に入っていく勇気はないな。椰子の木通りの辺りまでなら、確かに近づけないことはないけど・・・」 その為に、わざわざ出かけていくのが億劫だと言いたそうだった。 実際には彼が言っている椰子の木通りでさえ、花火の時間が近くなると、大変な人ごみと化してしまう。 もっとも、火祭り期間中のチューファは、どこもかしこも人だらけではあるのだが。 「俺が言っているのはアメリカ広場のことだよ」 「近づけるわけないじゃん、そんなとこ!」 春日がただでさえ大きな目を見開いた。 キャンディーのような鳶色の瞳が、コロンと零れ落ちそうな錯覚に襲われる。 「それがそうでもないんだな。・・・実は最近仲良くなった友達が、あの辺りにビルを持っていてね、最上階が彼のオフィスなんだけど、祭り期間中は仕事も休みだし、花火が見たいなら貸してやるって言ってくれているんだ」 悪友は俺にこう言った。 『女房に話せないようなヤボ用があるなら、自由に使って良いぞ』 「へぇ、いい人だね」 春日の顔が段々と輝き始めた。 「ああ、最高の友人さ」 その代わりに俺は、グエル戦とチューファ・ダービーのパルコ席を、二人分づつ用意するはめになった。 女房にも話せないような、悪友のヤボ用の為に。 「どうしようかなぁ・・・」 「先約でもある?」 そういえば彼は、毎年この時期、誰かとどこかへ出かけていたような気がした・・・。 少し悩んで、でも顔を上げた彼の返事は、これ以上はないぐらい、いいものだった。 **春日甚助編 厳島が誘ってくれた話は、とても魅力的だった。 火祭り期間は大きなイベントが幾つもある。 爆竹ショー、闘牛、献花パレード、クライマックスのクレマ・・・。 だが、盛大な花火こそが、このお祭りにはもっとも欠かせないものだと、俺は思っている。 期間中、大きな花火は、街の二箇所で上がる。 ひとつはもちろん、クライマックスの市庁舎広場。 そしてもうひとつが、彼が誘ってくれているアラメダの花火だった。 これは祭りの期間中、毎日上がる。 花火が打ち上げられるのは、日によって時間は少しづつ異なるが、いずれも深夜。 午前1時過ぎ、花火を見るためにアラメダの橋の周りに、人々は集結するのである。 そして厳島の友人が、近くにビルを持っているというアメリカ広場とは、花火が上がる橋の目の前にある。 チューファへやって来て3年目になるが、俺はまだ火祭りをまともに楽しんだことは、一度もなかった。 もちろん、シーズン中というのもあるし、それは俺だけじゃなくて、ラナFC、ナランハCFどちらのクラブの選手達に聞いても、大抵同じ答えが返ってくるだろう。 けれど、もしもあの美しい花火が目の前で見られるチャンスがあるのなら・・・、という気持ちはずっと持っていた。 「でも、本当によかったのかな」 厳島はいつも俺に優しくしてくれるから、つい甘えてしまうけれど、考えてみれば彼とて家族がいるわけで・・・火祭りのような特別なイベントに、俺なんかがノコノコとお邪魔してよかったのだろうか。 ・・・そこまで考えて、今さら気になった。 「あれ? ・・・奥さんとか友達とかが、たぶん来るんだよね? それとも厳島と二人なのかな?」 「何ひとりでブツブツ言っているの?」 「うわっ・・・なんだよお前か。びっくりしたじゃないか」 とつぜん隣に現れた東照宮に声を掛けられて、俺は心臓がバクバクいっていた。 そのときになって初めて、ちょっとした後ろめたさを感じていたことに気づかされた。 でもどうして、そう思っていたのだろう? 東照宮はムッとした顔を見せた。 「俺で悪かったね。誰だったらよかったの?」 トレーニングウェアの裾を引っ張り両頬をぷぅっと膨らませて見せる姿は、まるで子供。 俺はちょっと吹きだしてしまった。 「どうして笑うんだよ! ・・・それより春日、今夜ウチに来るんだよね?」 「あっ・・・」 思わず口元を押さえた。 「ゴメン・・・先約入った。」 しまったと思った。 火祭りイベントの大きな花火といえば、市庁舎前とアラメダの2箇所だが、実は祭り期間中、結構いろんな場所で小さな花火が上がっている。 彼のピソの近所でも、クライマックスの前夜と前々夜、わりと華やかな花火をあげているのだ。 ここ2年、俺はずっと彼の部屋で花火を見ていた。 最初の年は俺だけじゃなく、セルブロやエドも一緒だったが、去年は彼と二人になった。 俺の返事に、案の定東照宮は怒り始めた。 「どういうこと? 先約って何だよ。誰かが君を誘ったの? 俺はどうなるんだよ?!」 「お、落ち着けよ・・・。先約ったって相手は厳島だよ」 「余計に心配だよ!」 「大声出すなって・・・皆見てるだろう?」 ロッカールームへ向かう道すがら、興奮する東照宮へ何事かと振り返ってきたカンテラの選手達に、俺は適当に愛想笑いをして誤魔化すと、厳島からの誘いを東照宮に説明した。 「・・・あっちはどうせ家族や友達を連れてくるだろうし、俺はちょっとその場に混ぜてもらうだけの話だよ・・・まったく何勘違いしているんだ」 だいたい『余計に心配』って、どういう意味だよ。 「本当に? 厳島がちゃんとそう言ったの?」 「疑うなって(汗)。・・・とにかく、お前には悪いと思っているけど、俺たちはちゃんと約束していたわけじゃないし、誘ってくれたのは向こうが先だったし・・・何より、俺が花火を見たいんだ」 最後に俺がそう言うと、彼は興奮した様子が収まり、今度は悲しそうな目になった。 「・・・わかったよ。そうだね、せっかくチューファにいるんだから、こんなチャンスがあるなら、行かないともったいないよね」 「ごめん、東照宮」 「ううん・・・、俺こそ怒ったりしてゴメンね」 紅潮していた頬からすっかり色が消え、そのまま首を項垂れた。 とても見ていられず、だからつい俺は、こう言ってしまった。 「・・・その後で良かったら、お前んち行ってもいい?」 言った瞬間マズかったと思ったが、もう遅かった。 東照宮の顔がパッと華やぎ、目が爛々と輝きを取り戻した。 **東照宮小次郎編 春日がアラメダの花火を見た後、俺の家に来ると約束してくれた。 最後まで見ているとこっちに間に合わないので、適当に言い訳して、途中で抜け出してくると彼は言ってくれている。 アラメダの花火が上がるのは、深夜の1時半。 そしてウチの花火はアラメダより少し遅く、上がるのは深夜の2時。 もっとも毎年時間通りに上がった試しはないので、どうせ終わる頃には3時を回っているだろう。 明日の午前11時に選手達はスタジアムへ集合し、バスで空港へ移動して、飛行機でチームはビルバオへ向かう。 ・・・つまり、 「今夜は泊まるしかないよなぁ・・・」 そう考えると、自然と頬が緩んでしまいそうで、俺は顔を引き締めるのに必死になった。 去年も確かにいいムードにはなった。 目の前で美しい花火があがり、それを見上げる二人が、いい雰囲気にならないわけはない。 でも、勇気がない俺は、その空気が壊れるのが怖くて、あと一歩が踏み出せなかった。 「よし、今年は頑張るぞ」 となると、色々と忙しくなってきた。 これから帰って、春日が来るまでに部屋をきれいに掃除して、薬局行って・・・。 「でも、・・・それまでは厳島と一緒なんだよな」 桃色吐息なセーフティーアイテムの調達にまで妄想が疾走しかけていた俺は、厳しい現実を思い出し、ガックリと肩を落とした。 厳島の家族や友達に混ぜてもらうと春日は言っていた。 でも、どうしてそんなところへ春日を誘うだろう? そして花火の途中で・・・いや、花火が終わったとしても、本当にそのまま春日を帰らせたりするだろうか・・・? 厳島はハッキリ行って、 「怪しいよな」 やっぱり止めるべきじゃないか?! 自分の車まであと2メートルというところで立ち止まり、まだクラブハウスで監督や石見たちとミーティングを続ける春日を、カフェテリアで待って説得しようかと振り返った俺は、 「せ〜んぱいっ!!!」 バカみたいな声とともに、真正面から襲撃された。 「放してくれ屋久島・・・」 「今夜デートしましょうよ〜」 ギュウギュウ抱きしめながら、屋久島が俺の身体を左右に揺らしてくる。 「人が見ているからやめなさい」 奇怪な目を向けてくるカンテラたちに適当に愛想笑いをして誤魔化すと、俺を羽交い絞めにする屋久島義輝(やくしま よしてる)の腕をどうにか振り解いた。 まったく恥ずかしいったらありゃしない。 「どうして俺がお前とデートしなきゃならないんだ?」 呆れて俺が問い正すと、屋久島は夢見心地な目で答えた。 「花火を見るんですよ〜俺と二人で(はあと)」 「やなこった」 「せ、せんぱい〜っ、そんなに即答しなくてもいいじゃないですか〜っ、待ってくださいよう〜」 クルリと背を向け、クラブハウスへ向おうとする俺は、今度は屋久島に背中から襲撃された。ええぃ、暑苦しい。 「だから放せって」 「聞いてくださいよ〜、アメリカ広場にあるビルの最上階から、アラメダの花火が見られるんですよ〜、これってちょっとスゴくありません?」 **屋久島義輝編 先輩があんなに花火が好きだなんて知らなかった。 確かに俺は、1時間でも2時間でも先輩を車に監禁して説得する覚悟はしていたが、正直ちょっと自信がなかった。 先輩は春日先輩が好きみたいだし、俺のことは後輩として可愛がってはくれているけど、恋愛感情はゼロってカンジだし。 最終的には誘拐でもするしかないだろうと、自分の車にエンジンをかけて準備もしていたのだ。 なのに、あんなに快諾されると、逆に調子が狂ってしまう。 まったく、先輩らしくない。 ・・・まあ、とにかく、理由は判らないけど俺は先輩を誘い出すのに成功した。 アメリカ広場のビルと聞いた途端、先輩は「だったら絶対行く」と、目を輝かせて返事をしてくれたのだ。 OKを貰った以上、これで条件は揃ったわけだ。 「花火」、「高い場所」、そして「深夜のデート」・・・あとは、この美しい宝石を先輩へ渡して、愛の告白をするだけ。 ・・・ひょっとしたら、これも『不思議の石』のお陰かもしれない。 俺は首からぶら下げた、キレイな宝石を指先でつまんで眺めてみた。 最初は占いなんて信じていなかった。 でもあの占い師は、店に入ってきた俺の顔を見たとたん、ピタリと胸の内を言い当てた。 「あなた、悩んでいますね」 俺はびっくりして、彼の顔を見た。 「ど〜うしてわかるんですかあ?」(注・占いの店に入って来た人は100人中99人以上悩んでいると思います) 小さな占い小屋の折りたたみ椅子に跨り、俺は30分の制限時間料を支払ったあと、彼に話の続きを聞いた。 「この『不思議の石』が、すべてを教えてくれるからです。・・・あなたは仕事のことで悩んでいる・・・違いますか?」 「うわ〜っびっくりした・・・。スッゴイ悩んでいますよう〜、今ぁ! 開幕当初はチームにめちゃくちゃ勢いがあったけど、途中から審判にヘンなジャッジばっかりされ始めて、そのうえ段々チームのムードが悪くなってきて・・・」 「でも、あなた自身は調子がいい・・・そうでしょう?」 「うわ〜、うわ〜、凄い! どうして判るんですかぁ〜?(注・彼は一応有名人です)そうなんですよう〜、俺はここのとこ、結構ゴールを決めているんだけどぉ、試合にはなかなか勝てない・・・どうしたらいいんでしょう〜?」 「私に任せなさい。・・・ほらこの『不思議の石』を手にとって・・・この石はあなたにパワーを与え、すべてが上手くいくように導いてくれます」 俺は言われるままに、その透き通ったオレンジ色の石を両手で握った。 「この石はオレンジ・ダイアモンドと言って、ボクワナにある世界的に有名なオパラ鉱脈から採掘されており、そのあまりに美しい色合いから、あの高価なレッド・ダイアモンドより宝石としても値打ちがあると言われているものです」 「レッド・ダイアモンドってぇ・・・、携帯会社がスポンサーについて、ユニフォームがマンチェ(自主規制)イテッドとソックリになったトコぉ?」 「それは浦(自主規制)ッドダイアモンズです。・・・サッカーチームと宝石を比較してどうするんです(汗)。・・・とにかく、原産国のボクワナでは昔から、結婚式で神官が被る冠にこのオレンジ・ダイアモンドが必ず入っていて、そこから『誓いの石』、『運命の石』とも呼ばれ、開運、恋愛成就の守護石として広く知れ渡るようになりました」 「恋愛成就・・・、好きな人と結ばれることができるのっ?!」 俺は思わず身を乗り出した。 「そう。・・・・やはりそうでしたか。私はあなたの顔を見た瞬間から判っていましたよ。あなた、恋に悩んでいるでしょう」 「うわ〜っっ、そんなことまで判るんですか〜?」 「もちろんです。でもご安心なさい。この石のパワーは絶大です。あなたがこれを身につければ、明日からゴール量産。女にもモテモテ。人生ウハウハですよ。もちろん彼女だって、間違いなくあなたのものになっちゃうってことです」 「相手は男なんだけど・・・」 「えっ・・・(狼狽)」 占い師は一瞬絶句すると、「つまりその、私が言ったのは、便宜上『彼女』と表現しただけであり(滝汗)、ようするにあなたの『想い人』が、あなたのものになると申したかったのです」 「彼が俺のものに・・・?」 「そうですよ。(華麗に復活)・・・さらにこのオレンジ・ダイアモンドを身につけて、深夜のデート中、夜景が見下ろせるような高い場所で、さらに美しい火祭りの花火でも眺めながら愛を告白し、同じものを相手にも贈ると、お互いのパワーが強烈に結びつき、彼は即、あなたにメロメロになるでしょう」 「俺に・・・、メロメロ・・・」 「決めましたか? ではこの契約書にサインを・・・」 **醍醐半兵衛(だいご はんべえ)編 「しまった!」 不動産屋の旧友が突然大声をあげ、俺は飲んでいたビールを噴き出した。 バルのマスターが呆れた顔でナプキンを差し出してくれる。 「なんだよ、いきなり・・・たねぇな。」 俺の聞いたことには答えず、旧友はおもむろに鞄からスケジュール帳を取り出すと、今月のカレンダーを開いた。 「おい醍醐、今日ってまさか・・・金曜か?」 「そうだな、18日の金曜日だったはずだ。長かった火祭りも、あと1日で終わりか・・・早いもんだな」 せめて一度ぐらい、あの可愛い彼を誘いだしたかったという、くだらない妄想が頭をよぎり、俺は自分に苦笑する。 「マズイ、このままじゃ鉢合わせちうまう」 忙しい旧友が、今度は携帯電話を手に取りながら、目に見えて段々狼狽えだした。 「なんだよお前・・・、まさかご自慢の幽霊オフィスのレンタルでも、うっかりバッティングさせちまったのか?」 30代で不動産屋の社長なんぞをしているやり手の彼は、アメリカ広場の近所にちょっとしたビルを持っている。 その最上階が彼のオフィスなのだが、火祭り期間のこの時期は会社も休みということで、花火目当ての金持ち相手に、夜のオフィスのロビーを開放しては、昔からちゃっかり小銭を稼いでいるのだ。 バカなサッカー選手なんぞは、彼にとって格好のカモらしい。 「うわっ・・・現在使われておりませんって、何だよ一体ソレ・・・。おい醍醐、厳島と屋久島の携帯番号、今すぐ教えてくれ!」 「マジかよ・・・」 そういえばその二人は、イタ電が増えてきたとグチっていて、ごく最近番号を変えたはず。 ミスして、うっかり今夜バッティングさせてしまったらしい厳島と屋久島の携帯番号を教えてやる引き換えに、俺は彼にこう言った。 「そのかわり、今夜は俺がそこをリザーブするから、あいつらにはキャンセルさせろよ。これであの子にロックオンだ。」 ちなみに後半部分はナレーションである。筈だ。 友はそうとう悩んだ結果、しぶしぶ承知した。 信用を失うよりはマシと判断したらしい。 **白川兼陳(しらかわ かねのぶ)編
五箇山宗冬(ごかやま むねふゆ)が俺を睨んでいる。 「だから・・・ちょっと今夜は無理なんだよね」 まだ睨んでくる。 「そりゃ、判っているよ。怪我をして苦しんでいるアンタが、自分は出られないにも拘わらず、初めて代表招集を受けた俺を祝って食事に誘ってくれるってことが、どんなに素敵なことかって」 ずっと睨んでいる。 「俺だって、誰よりもアンタに祝ってほしいよ。・・・でも、仕方ないじゃない。誘ってきたのは、アッチが先だったんだから。・・・怒ってるのは判っているから、いいかげんなんとか言ってよっ・・・(滝汗)」 「ラナのゴールキーパーが、一体お前に何の用だ」 ドスの効いた声で五箇山が、やっと口を開いた。 「よく判んないけど・・・なんかアメリカ広場にビルを持っている不動産屋さんのお友達がいるんだって。でも今はお祭り期間中でオフィスは使っていないから、彼に開放してくれたらしいんだよね。そこの最上階からだと、花火が凄くキレイに見えるんだって。ねぇ、これってスゴくない?」 つい興奮して五箇山に同意を求めた俺は、パワーアップした彼の視線に一蹴された。 だから、本気で怖いんだって〜! 「俺は、なぜ、ラナのキーパーが、お前を誘うのか、と聞いたんだ」 五箇山は一語、一語、区切って質問を繰り返した。 「だから、その・・・。ホラ、俺と彼って、ダービーの時に、ちょっと因縁作っちゃったじゃない? マスコミに変な騒がれ方しちゃったから、彼のほうが気にしてて、俺に連絡とってきたんだ。別にもう、何とも思ってないから誤解しないでくれって」 「それは一体いつのことだ」 段々五箇山が刑事に見えてきた。 階段の上の廊下を通りかかった天龍寺小熊(てんりゅうじ こぐま)たちが、異様なムードを察してこの踊場をチラリと一瞬見下ろしてくる。 けれど、結局そのままカフェテリアへ入って行った。 助けろよっ! 「ダービーの翌週ぐらいだよ」 俺は返事した。 「なぜ俺に隠してた」 「別に隠してたわけじゃないよ・・・変な誤解しないで。とにかく、そこからときどき電話がくるようになって・・・、その、たまに会ったりして・・・」 五箇山が壁を思いっきり蹴った。・・・殺されるかも。 「今すぐ断れ」 「それはさすがに出来ないよ・・・もう行くって言っちゃったし。それに本当に変な意味があるわけじゃなくて、・・・これは勘なんだけど、彼、たぶんちょっと、ナランハに興味があるんじゃないかな? なんか最近、いろいろと知りたがってて、今夜も多分そういうつもりで俺と・・・」 「断らないなら俺も行く」 はい・・・?(汗) **厳島景政編 夜空に広がる光の花。 一つが消えては、新しい花が次々と開き、また暗闇に消えていく。 そのたびに、地面をゆるがすような火薬の爆発音が鳴り響き、このビルの壁をも揺るがしてくる。 色鮮やかな光と、大迫力の音が織り成す、夜空に彩られた壮大な芸術。 「これがチューファの火祭りなんだね・・・」 目を潤ませて、うっとりと見惚れる彼の横顔こそが、花火なんかよりも数倍美しく、その小柄な肩を抱き寄せキスしたかった。 なのに。 「俺、シアワセっす〜・・・先輩と一緒にこ〜んな花火が見られるなんて・・・ろまんちっく〜」 「何がろまんちっく〜だ、放せバカヤロウ! ・・・それより、さっきからずっと携帯光り続けてるけど、出なくていいのか?」 可愛い彼の隣で、バカなガキどもが漫才をおっぱじめていた。 「春日・・・どうして、アイツらがここに?」 「東照宮と屋久島のこと? ・・・俺もよく判んないんだけど・・・、なんか屋久島がビルのオーナーと知り合いとかで、元々ここを紹介してもらってて、小次郎が彼に誘われて、俺は偶然来る途中に一緒になって・・・。それより厳島こそ、1人だったの? 奥さんは?」 「いや、そのナンだ・・・」 突っ込まれて俺は答えに窮した。 とりあえずあの不動産屋には、パルコ席のチケットを絶対返してもらう。 そしてジーンズの後ろポケットを手で探って、気が付いた。 「あれ・・・携帯忘れたかな」 **五箇山宗冬編 立ち並ぶ屋台に目移りする、子供のような白川を引っ張って、まっすぐ歩かせるだけのことに俺はさんざん苦労した。 何人かのサポーターから声を掛けられるたび、ヒヤヒヤものだった。 「ねぇ、占い小屋まで出てるよ! 五箇山、見てもらおうよ」 「いいからさっさと歩け。車まではまだ遠いぞ」 火祭り期間中、街の中心部は、市の許可が下りている一部の車輌を除き、事実上車は乗り入れ禁止。 したがって、サッカー選手であろうがなんだろうが、地下鉄に乗る以外は歩くしかなかった。 だいたい俺は、その占い小屋の名前からして気に入らなかったのだ。 『Orange Diamond』だなんて、いかにもニヤけた詐欺師みたいなヤツが占い師に化けて、パワーストーンだのなんだのと偽っては、ただのガラス玉を売りつけてきそうではないか。 「それにしても、びっくりしたよね。てっきり醍醐だけなのかと思ったら、まるでラナFCご一行様状態だったじゃない、あのビル。彼ら毎年あそこに集まっているのかな?」 「いや・・・少なくとも醍醐は、あの状態を知らないように見えたけどな」 「えっ、そうなのかな?」 バカめ。知ってたらお前をあそこに誘うかよと言ってやりたかったが、余計なことは言わずにおいた。 たぶん今頃醍醐は、その不動産屋とやらを殺しに行っていることだろう。 「あ、あそこのチュロスおいしそう! ねぇ食べない?」 「お前はまっすぐ歩けないのか」 放っておけば、フラフラと屋台へ近づきそうな白川の腕を引っ張り、俺は彼に前を向かせた。 こいつはガキの頃からこうだったに違いない。 「モウ〜、お祭りなんだから少しは楽しんだら?」 「俺はお前と早く二人っきりになりたいんだ」 「えっ?」 聞き返すなバカ者。 そのとき後ろで大きな爆発音がした。 「わっ・・・、びっくりした・・・!」 弾みで俺に抱きついてきた白川は、後ろを振り返り、爆竹を鳴らした子供達に冷やかされて、慌てて俺から離れようとした。 その腰を、わざと強く引き寄せてやる。 「ちょっと五箇山っ・・・」 「悪戯の仕返しに、こっちもビックリさせてやろうぜ」 「え?」 少し開いたままの唇を素早く塞ぐ。 囃し立てる声はもう聞こえなかった。 白川に口づけしつつ、悪戯小僧たちを横目で見ると、顔を真っ赤にしながら「スゲ〜」とか言ってやがった。ザマーミロ。 **春日甚助編 トイレへ行く振りをして、言われた通りに非常階段へ出てみると、まだそこに彼は来ていなかった。 俺は気が抜け、ゆっくりと階段を降り始める。 あたりに立ち込める火薬の匂い。 火祭りの匂いだ。 花火や爆竹で、火薬を焚きすぎて煙った空には、星ひとつ見えやしない。 「今度はちゃんと1人で来いよ」 オフィスを出てくる直前に、厳島に耳打ちされた言葉を思い出す。 バレバレだったのかな。 すでに2階分降りて来た階段を振り返り、まだ人気の残る最上階の窓を見上げる。 そのとき、大きな爆発音がして夜空に鮮やかな花火が広がり、窓ガラスにも明るく反射した。 Pont de la Mar橋と、Pont de les Flors橋の周辺から、大歓声が上がる。 そしてふと気になり、厳島に言われた言葉をもう一度考えた。 ・・・どういう意味だったのかな。 そのとき、上から駆け足で降りてくる靴音が聞こえてきた。 「ゴメン待った?」 「ううん、今来たとこ」 そして互いに顔を見合わせて苦笑する・・・なんだか、カップルみたいだ。 **東照宮小次郎編 しつこく食い下がる屋久島をどうにか振り切り、俺は一目散で非常階段を目指した。 ビルの最上階は、あの後どういうわけか醍醐や、ナランハの白川、五箇山まで現れ、誰が持ち込んだのやらビールやつまみまで行き交い、結構な宴会場になっていた。 もっとも醍醐は、なぜだか終始機嫌が悪かったし、厳島もあまりいいとは言えなかったが・・・。 やっとのことで屋久島から逃れて非常階段へと廊下をダッシュしていた俺は、トイレの前で白川と鉢合わせた。 「うわっ・・・あ、えっとその・・・」 なんと説明しようかと戸惑っていると、白川は俺の肩をポンと叩き、 「春日はもう先に行ったよ」 と教えてくれた・・・なんだバレてたのか。 「ありがとう」 お礼を言う俺の喉元を見て、白川が目を丸くする。 「あれ・・そのネックレス・・・」 「これ?」 俺は先ほど屋久島に無理やり付けさせられた、オレンジ・ダイアモンドとやらを指で摘み、聞き返した。 「ううん、なんでもない。・・・でも、衝撃と水濡れには気をつけてね」 そういってロビーへ戻っていった。 「なんのこっちゃ」 俺は非常階段へ急いだ。 2階下で待つ小柄な影を見つけ、階段を駆け足で降りてゆく。 すさまじい轟音を響かせながら、夜空一杯に広がる、色鮮やかな花火の輪のダンス。 見上げる春日の横顔は、どんな花火よりも美しく、俺の心を捉えて放さなかった。 「ゴメン、待った?」 「ううん、今来たとこ」 そんな会話が気恥ずかしくて、お互い顔を見合わせ、笑って誤魔化す。 「帰ろうか」 俺は手を差し出した。 「そうだね」 彼がおずおずと指を絡ませてくる。 二人は長い階段をゆっくりと降りていった。 そして俺は、また少しだけ、近くなった彼との距離を愛しんでいた。 <epilogue:19 de Marzo en el Estadio de Chufa> **石見由信編 出発時刻の午前11時を回り、選手達が徐々にバスへ乗り込んでゆく。 「石見、先行っとくぞ」 「うん」 ホルヘ・ジョレンテが肩を叩いて通り過ぎて行った。 ステップへと足をかける彼へ笑いかけながら、その姿を見送る。 そのとき、駐車場の入り口から、ようやく待ちかねたエンジン音のひとつが聞こえてきた。 「あ〜あ、遅刻しちゃった・・・」 通りすぎる車窓越しに見えた横顔は、黒いサングラスに隠されて、表情がわからない。 出迎えるベルナルド・シュステル監督はというと・・・やっぱりちょっと怒っている。 「ホラできた!」 「ありがとう、東寺」 先ほどから向かい合って何をやっているのかと思ったら、自分で出来なかったらしいナチョ・マルティネスのネクタイを、見かねた東寺勢源(とうじ せいげん)が結んでやっていたようだった。 東寺はそういう細やかな気遣いができる、優しい男だ。 揃いのオフィシャルスーツに身を固めて、二人もバスへ入ってゆく。 「すいませんでした・・・」 車をスタジアム内の駐車場へ停めてすぐに出てくると、春日がまっすぐ監督の元へ行き、頭を下げる。 それからキャリーバッグをトランクのスペースへ積み上げ、僕のところへ小走りにやって来た。 サングラスはまだかけたままだ。 「おはよう」 声を掛けて、彼をバスに促す。 「ごめん、遅刻して・・・」 「いいよ、まだ来てない人もいるから」 先に入る彼に続いて、僕もバスへ乗り込んだ。 中ではナチョが、今度はファンラ・カスティリョのネクタイを結んでやっていた。 覚えたてと言わんばかりの、不器用な指使いを、通路を挟んで見ているティト・ヒラルやエドウィン・ボゴタが可笑しそうに見守っている。 結ばれているファンラの顔が、少しだけ赤かったのは、気のせいじゃないだろう。 監督もやっとバスへ入ってきた・・・あと来ていないのは・・・。 そのときバスの横を、最後の遅刻者の車が通り過ぎていった。 揶揄いたくなって隣のシートを振り返る。 春日は僕の視線へ敏感に気づいて、ちょっと頬を染めるとすぐに顔を背けた。 既にサングラスを外していたその目は・・・よく見るまでもなく、ひどい寝不足らしき状態だった。 トイレから帰って来た運転手のアルフォンソがバスに乗ってきて、すぐ後ろのシートへ並んで座る僕たちに聞いてきた。 「もう全員揃ったのかい?」 だが、あと1人と言いかけた、僕の言葉を遮って、・・・僕は自分の耳を疑った。 「ええ、もう出してください」 ・・・思わず春日を凝視した。 バタンとドアが閉まり、バスが向きを変える。 そのとき、後部シートから屋久島が立ち上がり、ヨタヨタと運転席へ駆け寄った。 「ちょ・・・ちょっと待ってくださいよう〜! 東照宮先輩がまだですってば〜!」 悲鳴のような情けない声を上げて、屋久島は涙ながらにアルフォンソへ訴えた。 「おっと、こりゃいけねぇ・・・」 彼が慌ててバスを停める。 そこへ東照宮がキャリーバッグを引き摺りながら、自慢の俊足でスタジアムから出てきた。 手を振りながらアルフォンソへアピールし、再び開けてもらったトランクへ荷物を放り込むと、大慌てで中へ乗り込んでくる。 「す・・・すいませんっ、東照宮小次郎遅刻しました!」 1人ずつ頭を下げてまわり、監督のところで立ち止まると、彼を立たせたまま長々とした説教が開始された。 アルフォンソが今度こそ本当にバスを出す。 バスはスタジアムを後にして、一路マニセス空港を目指した。 「・・・置いて出て来ちゃったの?」 隣を見ると、彼のノビオはいつのまにか、読みかけのフレデリック・フォーサイスを広げていた。 「何の話?」 ページからは目を離さないまま、掠れ気味の返事が返ってくる。 「いや、なんでもないよ」 交通規制が敷かれたままの市内は、相変わらずの渋滞が続いていた。 後ろでは、まだ説教が続いている。 春日は既に、小説の世界へ浸り始めていた。 そのとき、空の彼方で、真昼の花火がポ〜ンと高く上がった。
『Las Falles』
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