『旅立ちの朝に』 「やあ、白川!」 平等院とよく行くレストランで、食事を済ませたあと、彼の提案で俺たちは海を見に行くことにした。 白川、コロン通りに新しくできたバルに行ってみない? 俺が気ノリしない態度を見せると、次に返ってくる返事も大抵決まっている。 白川は俺のことなんかどうでもいいんだ・・・ そうして仕方なく彼に付き合うと、結局最後には笑顔で別れているのだ・・・。 明日も頑張ろうな! おうっ! ああ、そうだ平等院・・・俺は肝心なことを、見誤るところだった。 結局気がついたら、海の向こうへ朝日が昇っていた。 彼らが離ればなれになったとしても to Be Continued...
じっとしていれば、いい男なのだ。
むしろハンサムな部類に入るはず。
なのに、俺、白川兼陳(しらかわ かねのぶ)が彼の願いを何か断ろうとすると、どうして決まって、いつもこんなに子供みたいな駄々をこねるのだろう?
しかもその顔の、情けないことといったら。
「平等院、・・・俺としてはもちろん、少しでも君と一緒に過ごしたいんだよ。でも、人には都合っていうものがあるだろう? そんな突然に誘われても・・・」
シーズン最後の練習を終えた選手たちでにぎわうドレッシングルームに、続けて並んだロッカー。
俺と平等院武蔵(びょうどういん むさし)は開け放したその前に立ち並び、少し声を潜めながら話を続けていた。
俺はまるで、付き合い始めて3カ月ぐらいの恋人とのデートをキャンセルしているような罪悪感を味わっていた。
「明日からしばらく会えなくなるんだよ・・・・・・白川はそれでも平気なの?」
半分脱ぎかけたカミセタを肘の辺りに残しながら、平等院は今にも泣き出しそうに大きな目を潤ませて、俺を見上げてきた。
男に遊ばれた挙句、手ひどく振られた女の子のようだ・・・・・・。
いや、もて遊んだ覚えはまったくないんだが。
「そういう問題じゃないだろう? 俺はさっき、田舎からお袋が祖父ちゃん達を連れてわざわざチューファくんだりまで来るらしいから、空港へ迎えに行かないといけないって説明したよね? 昨夜、そういう風にお袋から連絡があったんだ。祖父ちゃんと祖母ちゃんが結婚50周年で、親戚中が集まることになってさ・・・・・・。なんでチューファかって言うと、隣町のミスティックランドが最近配り捲っている宿泊込みの割引券があるのでそこで子供達を遊ばせてる間に、自分たちはカジノ三昧楽しもうって話らしくて・・・・・・。いや、そんなことはいいんだ。でも君の誘いは、ほんの少し前だよ。常識的に考えて・・・・・・」
「俺が知りたいのはそんな話じゃないよ!」
ヒステリックに平等院が声を高くした。
周りに居た連中が、何事かと振り返って焦る。
仲間たちへは曖昧に笑って誤魔化し、平等院に軽く注意すると、
「ほら今もそんなことばかり気にして・・・・・・白川は全然俺のことなんて頭にないんだよ」
ますます機嫌を損ねた。
・・・俺は何か間違ってるか、おい?
不機嫌に頬を膨らませて、平等院は少し顔を背けると、
「ようするに白川は俺と会えなくなることぐらい、べつに平気なんだろ? 結局俺なんかどうでもいいんだ」
「どうでもって・・・」
明日から代表組はラスロサスで合宿が始まるのだ。
その後彼らは連盟王者決定杯でフランスへ旅立つので、確かに来シーズンが始まるまでは会えなくなる可能性が非常に高い。
でも祖父ちゃん達とは、もう1年ぐらい会っていないのだ。
「せっかく白川に励ましてもらいたかったのに・・・」
皆が合言葉のように口にしてくれた『白川を代表に!』。
でも、願いは結局叶わなかった。
笑っていたけれどこれでも結構落ち込んだ。
励ましてもらいたいのは俺の方なのだ。
「白川が心をこめて送り出してくれたら、俺は相手がフランスだろうが、ドイツだろうが、イタリアだろうが、100パーセント以上の力を出して叩きのめしてやれると思ったのに」
今の日本がフランスを叩きのめせるかどうかもはなはだ疑問だが、俺が励ましたぐらいで平等院が名前を上げた代表チームを相手にどうにかできるほど、このへんの世界の壁は薄くはあるまい。
まあ、それはともかく。
背こそ俺より低いけれど、消して小さくはない筋肉質なその背中。
だが、大の男がスポーツバッグを抱きしめて、そこに顔を埋めている様子は、十分に哀れを誘った。
気がついたら俺は、片手に携帯電話を握りしめていた。
「ああ、お袋? ・・・悪いけど、そっち行けそうにないわ」
練習場からクラブハウスへ向かう途中で、俺は見かけない男に話しかけられた。
首都ラストロの地方紙名を名乗るその記者に呼び寄せられて、俺は植え込みの陰へと連れて行かれる。
アスファルトに落ちる、短く黒い影。
正午を過ぎたチューファは、既に夏の空を感じさせた。
「疲れているところ、悪いね」
男が言って、俺は再び彼を振り返る。
フェンスの向こう側には、100名を越えるファンが並んでいた。
その前を練習を終えた選手たちが、少しずつ通り過ぎて行く。
視界の端に、クラブハウスへ入ってゆく五箇山宗冬(ごかやま むねふゆ)の影が映った。
大声で笑いながら何かを話す首里伝鬼房(しゅり でんきぼう)の後ろを、少し遅れて歩く彼の顔が、一瞬こちらを振り向く。
その目がどこか、心配そうに曇って見えたのは、俺の気のせいだろうか?
「代表落選、本当に残念だったね」
「ありがとう。・・・でも仕方がないことだからね。今は仲間達がひとつでも多く勝てるように祈るだけだよ」
これまでに何度も口にしてきた言葉・・・そのたびに俺はなんだか、シナリオ通りのセリフを繰り返すスキャンダラスな女優にでもなったような気にさせられた。
でも許して欲しい。
もう随分ふっきれたけれど、それでも今回のことで傷つかなかったといったら、嘘になる。
こうして話題に出されるたびに、お前は落選したんだと再確認させられているようで・・・。
もちろん、こういうインタビューに答えるのも俺の仕事だから、いくらでも笑顔で話すことはできるが。
「ところで契約のことだけど・・・」
これもまた、最近増えてきた質問のひとつ。
「ああ、悪いけどそれはまだ判らないんだ。代理人に任せているからね。決まったらもちろんすぐに話すよ」
話の矛先を遮ったようで申し訳なかったが、こうとしか答えようがなかったので、俺は彼が諦めてくれることを祈りつつそう言って、言葉に笑顔を添えた。
しかし、何事につけ些細な物事が思った通りに進む方が、稀であるのは世の常だ。
「もちろん判っているよ。でももう決まりきったことをそうやって誤魔化すのはナンセンスじゃないか?」
その響きに少し嘲笑するような含みを感じて、俺はゆっくりとクラブハウスに向かって歩きかけていた足を止めた。
「どういう意味だい?」
「だって君は、またハートマンにくっついて、イングランドへ行くんだろ?」
「言っている意味が判らないが?」
「ジェラール・シェバリエの解任はヨーロッパ中が知っていることじゃないか。それを今さらシラを切られてもねぇ」
「ちょっと待てよ。それはレッズの問題だろ? どうしてそれについて俺がシラをきらないといけないんだ。そんなことはイングランドへ行って聞いてくれよ。だいたい俺にはまったく関係のない話だろ」
確かにハートマン監督にイングランド行きの話が出ていることについては否定しない。
噂によると、今よりもずっと高額なオファーのようだ。
もっとも、お世辞にも裕福とはいえないチューファと比べれば、よほど小さなクラブへ行かない限り、給料が下がるようなことはあまりない。
でも、俺にプレミア行きの話は一切来ていなかった。
だからどうして、彼がこういう話をしてくるのか、さっぱりその意図がつかめない。
「それがシラを切っているって言うんだよ。ねぇ兼陳、こっちは確実な証拠をつかんでいるんだよ? レッズの来シーズンの監督はセルヒオ・ハートマンだ。彼がレッズ側へ提示した条件は、サエス、阿修羅の両選手の獲得。ここまでは皆が知っている話だよね? だがそのリストの中にはもう一人、フォワードの名前が書いてあるはずだ。だってその選手はハートマンの・・・」
「それ以上くだらない話を続けるなら、この手を振り下ろすぞ」
「うわっ・・・!」
今まさに俺がそうしようと思っていた行動とセリフを目の前で再現され、頭に血が上りかけた俺は、一瞬でその気を殺がれた。
自分と背の変わらない男につかみあげられた胸元から、記者は着ているシャツと固く結ばれた拳を、震える指先でどうにか引き剥がし、振り上げられたままのもう片方の拳を見上げて相手の本気を感じたのか、目を見開いて真っ青になりながら、練習場から飛び出して行った。
俺は少し呆れた気持ちで、目の前の背中を見つめていた。
自分を守ってくれた、年下の男の背中。
「ここが茂みの陰で、ファンの目からは隠されていてよかったよ」
俺が言うと、平等院は振り向いた。
その目は既に、いつもの情けない垂れ目に戻っていた。
「白川、大丈夫だった!?」
言うなり平等院は俺に飛びつき、顔を両手で挟んでペタペタ叩かれた。
俺はその手を取って押し戻すと、
「これ以上のスキャンダルはごめんだよ」
そういって片目を閉じ、彼をクラブハウスへ促した。
言葉はジョーク混じりに言ったが、今のは半分本気だった。
先ほどの記者は、これでまた俺を揶揄するネタを手に入れただことだろう。
彼は自分に向けられた平等院の暴挙に、尾ひれ背ひれをつけて、面白おかしく書き立てるに違いない。
俺の話だけならべつにいい。
だがそこに平等院が巻き込まれるのは我慢しがたかった。
だから本当はできる限り、誤解を招くような行動は、平等院に慎んで欲しかったのだ。
そうとはいえ、彼に守られたという事実は、明らかに俺の心を動かしてもいた。
彼は間違いなく俺の親友だ。
それがすべてであろうと、そうではなかろうと・・・。
俺は前を歩く、ついさっきすごく大きく見えたその背中へ、小声でそっと呟く。
「助けてくれてありがとうな」
すると、パッと明るい笑顔が振り返ってきた。
「じゃあさ、お礼がわりにこのあと付き合ってよ!」
「えっ、このあと・・・・?!」
俺はピタリと足を止めた。
その後、ドレッシングルームから、祖父ちゃん達の結婚50周年記念パーティーを、1日延期してもらうように電話をして、空港で俺の車を待っていた母から「馬鹿息子」と散々罵られた。
車の中で平等院は、運転しながらずっと、弾んだ声で話し続けていた。
2冠のこと、フィエスタのこと、その後二人で夜通しはしゃぎまわったときのこと・・・・。
俺がなんとなくそれに笑いながら相槌を打っていたら、彼がふと話をやめた。
車はすでにチューファ市内へ入っていた。
「・・・ねぇ白川。さっきの記者の言ったことなんか、全然気にしちゃダメだよ」
「え?」
突然の話題転換に驚いて平等院を見ると、彼は真剣な目をして目の前の信号が青に変わるのを待っていた。
「ああいうくだらない噂を騒ぎたがる連中はどこにでもいるし、君がそれにとりあうのは無意味なことだよ。・・・・まあ、俺もついカッとなって手を出しちゃったけど」
平等院は少し頬を赤らめて、俺を振り向いた。
どうやらさっきの記者が愚弄してきたことを、俺がまだ気にしていると思ったらしい。
レアル・ブランコのカンテラから追い出された俺は、温暖なカナリアの田舎町でセルヒオ・ハートマン監督と出会い、そこのクラブで再生の機会を与えられた・・・。
そして1シーズンでカナリアFCを1部へ昇格させた優秀なハートマン監督に、ヘクター・クーパーを解任したばかりのナランハがオファーを出し、監督は俺とビクトール・トーレスを連れてこの地へやってきた。
移籍したその年にベテランのジョスリン・バステールからポジションを奪い、順調に結果を出してチームの優勝に貢献したビクトールと違い、このチームでレギュラーすらもらえなかった俺は、地元のサポーター達の信頼を徐々に失った。
それでもなぜか試合には出続けていたことで、俺と監督に「選手と監督」以上の関係があるという噂が立ち始めたのは、作シーズンの半ばあたりだったか・・・結局、噂の出所はブランコの本拠地であるラストロの地元メディアだったけれど。
俺自身、自分の将来について真剣に悩みはじめていた時期だったから、口には出さなかったが、結構なダメージではあった。
まあ、その後トレーナーの助けを借りてメンタル面を強化したり、監督本人と話し合ったりしてチームへ残留を決断し、その後俺自身が結果を出せるようになったことで、地元のサポーターやメディアも好意的になってくれたのだが、それでも好色な噂話を書きたがる連中がいなくなるわけじゃない。
そんなことを気にするのは、まったくの時間の無駄。
平等院の言うとおりだ。
「ありがとう、平等院」
守ってくれたこと、そして気遣ってくれたことを素直に感謝すると、彼を心配させてしまった自分を反省した。
だが、俺が気になっていたのは、そっちの話じゃなかった。
アイツはなんと言った・・・・?
確実な証拠をつかんでいる・・・サエス、阿修羅を連れて行く・・・レッズの来シーズンの監督は、・・・セルヒオ・ハートマン・・・。
彼はレッズへ移籍したあとの監督の構想に、俺が入っているはずだとカマをかけてきたが、その事実がないことは、残念ながらこの俺が一番よく知っている。
代理人へも、この俺自身にも、レッズ関係者からの接触は、今のところ無かった。
もちろんあっても耳を貸すつもりはないし、現段階では監督自身も、そうに違いないと俺は信じていたが・・・。
パブロ・サエス、ロベルト阿修羅(あしゅら)という二人の名前を監督が口にしたのは、この二人を引き取る財政的余裕が、レッズにはないと踏んでる監督一流の、ブラックジョークに紛らわせた、遠まわしな拒絶だったはず。
だが一部には、スポンサーに名乗りを上げているらしいアジアの某政府からの資金投入によって、レッズの補強費が大幅に跳ね上がるという噂もあるし、一方チューファの台所はというと、今も昔も火の車であることは、2冠を達成しても尚変わらず。
監督がクラブと契約延長の話をする上で、おそらくもっともネックになっているであろう問題もそこだろう。
果たして彼の本音はどうなのか・・・。
優勝争いが過熱してゆくにつれ、監督の身辺は一層あわただしくなり、ここ何ヶ月間かは、二人きりになれる機会すら、俺はつかめないでいた。
だから彼が何を考えてるのか、実際のところレッズと、どこまで話が進んでいるのか・・・そんな大事なことも、俺にはわからない。
記者が言ったことは、果たしてただのハッタリだったのか・・・あるいは?
ふたたび平等院の視線を感じて、俺は考えることをやめた。
少なくとも今は、いらない雑音に耳を傾けるべきときではないはずだ。
ましてや代表召集されている彼に余計な心配をかけるなんて、親友の俺がやることではないはず。
心配そうな彼に笑みを見せて安心させると、再度自分へ言い聞かせた。
今日は平等院に、とことん付き合うと決めたのだ。
目の前の彼のことだけ、今は考えろ。
日は既に傾きかけていたが、夏の訪れを感じさせている海岸へは、何組ものカップルを乗せた車が停まっていた。
少し気恥ずかしい思いで俺たちはビーチを通り過ぎ、そのまま高台の公園まで車を走らせた。
パームツリーの並木が影を落とす歩道脇で停車し、車からは降りずに車窓から海岸線の景色を楽しんだ。
「いよいよだね代表戦」
「うん」
「応援してるからね」
「うん、ありがとう・・・」
浮かない返事が気になり隣を見ると、窓枠に肘をつき、外を見つめている平等院の横顔が、物憂げにひとつ溜息をついた。
彫りの深い輪郭が、車外の明かりを受けて陰影を作り出し、長い睫が目元に影を作り出していた。
「平等院」
無造作にシートへ投げ出されていた彼の右腕に手を伸ばし軽く重ねると、平等院は一瞬、ビクリと反応を示した。
だがこちらへは振り返らず、ただそっと、俺の手を握り返してくるだけだった。
しばらく二人でそうやって、互いの手を握り締めたまま、別々の窓の外を見ていた。
点々と海に浮かぶ海岸線のイルミネーション。
遠方へ沈むピンク色のサンセットが空の色と交じり合い、あたり一体が淡い紫色に燃えている。
「絶対優勝するからね」
ふと彼が呟いた。
「俺、白川に約束する。絶対勝って帰ってくるから」
「平等院」
再び隣を振り返ってみると、真剣な眼差しとぶつかった。
まっすぐにこちらへ投げられる、濁りのない澄んだ双眸。
吸い込まれるように顔を近づけ、反射的に軽く閉じられた瞼の上に、ひとつキスを落とす。
おそるおそる開けられた大きな黒い瞳のなかに、自分のシルエットを見つけると、きょとんとしている彼のおでこに額をつけて、その瞳をじっと覗き込み、軽く微笑んだ。
「今のはオマジナイ」
そういって、今度はもう片方の瞼にもキスをする。
それから彼の顔を両手で挟み込み、自分の胸へと抱き込んだ。
愛しい平等院。
これまで彼に何度助けられたことだろう。
今シーズンの「ピチチ・デ・ナシオナル」という誇らしい勲章も、彼が俺を信じて、何十本も何百本もパスを送ってくれなければ、到底為しえなかった成果だ。
上手く行くときもあれば、上手く行かないときもある。
俺が試合や練習内容に不満でイライラしていると、決まって最初に誘ってくるのも彼だった。
今俺たちが置かれている状況。
これはまさに、いつも彼が俺を気遣って、元気付けようとしてきたやり方と、まったく同じじゃないか?
君はいつもそうしてくれているように、今も俺のことをずっと見てくれているんだね。
俺は彼を抱きしめながら、少しだけ彼の方へ体重を預けた。
「・・・白川?」
平等院の腕がゆっくりと背中へ回ってくるのを感じる。
「信じてるよ平等院」
愛しい平等院・・・君は間違いなく、俺の大親友だ。
「うん。・・・俺、優勝をお土産に帰ってくるからね・・・白川のぶんも、頑張る。約束するよ」
ああ、君ならやれる。
まあ正直に言えば優勝は難しいだろうけど、気持が嬉しいし、その心意気ならいいところまできっと行けるだろう。
そして俺に誓ってくれようとする君の優しさ、思いやりに、俺はどうしたら応えられる?
背中の腕に、ギュっと力が込められるのが判った。
「ああ、信じてる。平等院なら絶対に日本を勝利へ導くって。それに・・・たぶん、俺の代わりにゴールも決めてくるってね」
「ゴ・・・ゴール?」
その言葉を聞くなり、平等院が慌てたようにモゾモゾ腕の中から這い出した。
「いや、・・・まあ、ひょっとしたらってことだよ。でも、チームには那智や山平もいるし・・・、何も平等院が責任を感じなくてもいいんだけど・・・」
最後の「ゴール」の一言は、言わなかったほうがよかったかも知れないと、少し後悔しつつ、明らかにプレッシャーを感じてしまったらしい平等院が、目をまん丸くしながら、不安そうに俺を見つめていた。
「そうだよね、白川が来てたらフランスでゴールしてたかも知れないんだよね・・・」
「あ、そんなに気にしなくても・・・」
目の前の平等院は、徐々にがっくりと首を項垂れてしまった。
覆水盆に返らず。
俺は自分の失言を後悔していた。
これじゃあ、励ますどころか、逆に彼を追い詰めている。
「・・・そうだ! ねえ、白川?」
「あ、はい」
突然何かを思いついたらしい平等院が、俯いた顔をあげ、俺の肩を両手で押さえながら、じっと見つめてきた。
肩をつかむ両手が、・・・少しだけ震えている。
「もう少し、強いオマジナイをしてくれる? ・・・そしたら、俺・・・ゴ、ゴールできそうな気がする・・・」
「強い・・・オマジナイ?」
聞き返す俺に、平等院はしどろもどろと続けた。
「そう・・・えっと・・・瞼じゃなくて、く、唇に・・・」
最初の勢いはどこへやら、平等院はそのまま恥ずかしそうに下を向いてしまった。
最後の方は、ほとんど聞き取れない。
薄暗くてよく見えないが、たぶん耳まで真っ赤だ。
「キスをしてほしいの?」
返事はない。
一瞬迷ったが、俺は彼の顎に手をかけると、少し上を向かせ、そっと唇を重ねてやった。
気配で、彼の長い睫が、何度かすばやく瞬きを繰り返したのがわかったが、しばらくしてその瞳は、おとなしく閉じられたようだった。
ゆっくりと重なり合った唇を離そうとする・・・、ところがすぐに彼が追ってきて、そのまま何度か、今度は彼の方から唇を重ねられた。
口付けを交わすのは、実はこれが初めてのことではない。
互いの家に行って、ゲームをしながらふざけあったり、飲みに行った帰りに、アルコールの入った勢いで、互いの唇を奪いあったことは、これまでにも何度か合った。
だが、冗談で交わすそれと、今日のこれとは、明らかに意味が違っている気がして、このとき俺は初めて平等院を意識した。
最初は軽く触れ合っていただけのキスが、段々深くなり、唇の隙間から覗く彼の舌が、熱を持って自分の口内へ忍び込もうとしていることに気づくと、俺はさすがに彼を押し戻した。
一瞬平等院が表情を固くしたのが判った。
そして、彼を傷つけるのではないかと恐れた俺は、とっさの判断でシートを倒して彼に圧しかかると、今度は彼の顔中にキスを浴びせた。
耐えかねた彼が、とうとう笑い出すまで。
その後はいつものじゃれあいになだれ込み、彼もいつも以上に俺に甘えてきたが、それでもやはり、お互いの間におりた妙な気まずさは、いつまでも消えることがなかった。
そしてそれに気づくのが怖くて、また必要以上に二人でふざけあった。
俺達はいつの間にか、倒したままのシートに身を丸めて眠っていたらしい。
隣を見ると、平等院はまだ起きる様子が無かった。
カーレイディオからは、静かに流れる地元放送局のスポーツニュース。
有名なサッカーチームの監督が旅立ちを決断した昨夜の記者会見テープには、名将に贈られたビートルズのヒットナンバーが添えられて、涙の別離を感傷的に彩っていた。
俺は何度か平等院を揺り起こし、どうやら寝ぼけたその瞼がちゃんと上がる気配のないことに気がつくと、彼を運転席から引きずり出した。
それから助手席のシートベルトに固定して、今度は自分がBMWの運転席へ乗り込む。
もう一度会えるチャンスは残っている
答えは見つかるさ、放っておいても。
なすがままに・・・・・
有名なイギリスのロック・バラードを口ずさみながら平等院を自宅まで送り届けると、勝手知ったるなんとやらで、ちゃんと本人のベッドへ寝かせ、上からブランケットをかけてやった。
それから俺も、自分の家へ帰り、ようやく泥のような眠りについた。
ガレージへは空色のBMWが入ったままだったが、それに気づいたのは深い眠りから覚めてのちである・・・。
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