確かめ合うようなキスの合間に、互いの服を脱がせ合う。
白いドレスシャツを監督から取り去った瞬間、俺は思わず溜息を吐いた。
「何を見ているんだ?」
40を過ぎた筈なのに、監督の身体は引き締まってとても美しかったのだ。
隆起した胸や肩、二の腕の筋肉は、どんなに鍛えても俺達日本人には到底真似ができない。
所謂、逆三角形というやつだ。
「選手よりよほど綺麗な身体だと思って・・・」
初めてじっくりと見た、そのギリシャ彫刻のような造形に、うっとりと腕を伸ばして俺は触れようとしていた。
「君の方がずっと美しい」
途中でその手を取って引き寄せられ、監督がまた首筋に顔を埋めてくる。
最初はもどかしいような、くすぐったい愛撫から始まった。
首筋、胸、脇、腹・・・監督が口づけを落とすたびに俺は震え、自分の息が上がってゆくのを感じる。
下肢に手を伸ばされて、俺は堪らず身を捩った。
「隠さないで兼陳・・・」
脚を広げられ、露わにされたその場所にも監督の愛撫を受ける。
生まれて初めて、誰かにもたらされる快感によって俺は喘ぎを漏らし、それはその後止まらなくなった。
そしてまたしても嫌がる俺を宥めつつ、彼があの場所も解してゆく。
何度も指を行き来させられて、恥ずかしさに耐えながら舌で湿らされ、丹念に解してもらったにも拘わらず、やはり初めてそこへ受け入れる痛さに、俺は堪え切れなかった。
とうとう子供のように泣き出した俺に、監督が驚いて行為を止める。
「いいから・・・・続けて」
「だが・・・」
俺は必死に懇願する。
監督に縋りつき、自分から口付けて、一生懸命に彼を煽る。
「監督・・・してください」
相手の物におずおずと手を添えながら、彼を見上げた。
ぎこちないであろう手つきでそれを擦りあげていると、それでも徐々に形を変えてゆくのが感じられた。
「兼陳、いいんだね?」
身を横たえて脚を開き、再び彼を受け入れる。
「力を抜いてごらん」
そう言われても、簡単に抜けるものではない。
彼がゆっくりと腰を動かし、俺を気遣いながら先を進めてくれた。
しかし再開した直後は慎重だった彼も、次第に息が荒くなり、自分の快感を追い始めたのがわかった。
俺は結局、最後まで止まらなかった涙の向こうで、揺さぶられる視界にぼんやりと彼を見上げる。
汗に光る筋肉質な上半身や、俺を見下ろしてくる熱っぽいそのまなざしを、一生忘れられないだろうと思った。
徐々に動きが早くなっていた監督が、やがて低く掠れたような声を上げるのを聞く。
そして何度か強く腰を打ちつけられ、身体の奥に勢いよく吐きだされた熱を感じた瞬間、俺は幸せだと感じながら意識を手放した。

 

「私は君に、何も約束できない」
俺は力強い腕の中で、彼の立てる規則正しい心音に耳を澄ませていた。
ソファの上は、けして小柄と言えない男二人が寝るにはあまりに狭く、結局その後、彼に抱きあげられて寝室へ移動した。
ゲスト用のベッドルームを選んでくれたことに気が付き、俺は彼のさりげない心遣いと、この関係の不毛さを噛み締める。
結局、快感よりは痛みと消耗ばかりを身体に残した初体験。
寝かされた瞬間僅かに飛び散ったシーツの染みに出血を認め、彼はすまなそうな顔をしていたが、それでも俺は幸福感と不思議な充足感に胸が満たされていた。
この恋を望んだのは俺で、行為を望んだのも俺だからだ。
そしてその結末も、俺以外誰のものでもない。
「ええ、判っています」
「プライベート上のことだけでなく、今後の契約のこともだ・・・。私を恨むかね?」
「いいえ、そんな・・・」
「私自身にも、どうなるかは判らない。・・・ここに残るのか、それとも他の土地へ行くことになるのか。正直に言って、クラブ側の意向を聞いている限り、まったく楽観してはいない」
胸にズキリと痛みが走った。
身を切り裂かれたようにも感じた。
「私はさっき、私の人生から、この先も君が消えることはないと言った。その言葉に偽りはないし、私自身の願望に他ならない。だが、それは君に強要するべきものではないことも、同時に理解している」
「・・・・・・」
「兼陳・・・、もしも私がナランハから出て行くことがあっても、君には早まった決断をしてほしくはない。君には君の人生があり、開かれるべき将来がある。このクラブには、君を支えてくれる多くの仲間がいて、それは他の土地へ行ったとしても、恐らく見つけることは出来るだろう。君の才能を知っている私には、どちらの道の先にも同じチャンスが見えている。・・・兼陳、だがそこにはひとつだけ、違うものがあるんだよ。それは君がここを去ることによって、悲しむ多くの仲間やサポーターがいるということだ。私と違い、どちらの道も、君自身の手に委ねられているのなら、君がその選択を決めるときには、是非そのことを、よく理解してほしい。そして君自身の人生なのだから、君が決断をするんだ。・・・兼陳、さあ泣くのをやめなさい」
どうなるかは私にもわからない・・・と言いながら、どこかでナランハとの決別を確信しているような監督の口ぶりに、俺はまた涙が止まらなくなっていた。
頬を濡らし、監督の親指で吸い取られては、拭いきれなかった雫がシーツを濡らしていく。
そして、ようやく結ばれたと同時に彼との恋へ、終わりがそこまで来ていることを感じた。
「監督・・・・あなたが好きでした」
そう言っても困らせるだけだと思い、初めて告白して以来、これまで怖くて言うことができなかった言葉を、俺はふたたび、やっと口にすることが出来た。
そしてもう一度彼の肩へ縋り付き、その胸をさらに涙で濡らしてゆく。
「好きでした・・・・か」
俺の髪へ指を差しいれながら苦笑するような声が、頭の上で聞こえた。
また困らせているのだと判ったが、気の利いた言いわけも思い浮かばず、再び泣き始めるともう嗚咽が止まらなくなって、俺はそのまま朝まで彼の胸で泣いた。
監督は何も言わず、ただずっと俺の髪を撫でてくれていた。

 

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6月1日火曜日。
アスレホのプレスルームでナランハCFと契約を更新せず、残された契約期間も解除することを発表したセルヒオ・ハートマン監督は、目に浮かべた涙を拭いながらここから去った。
俺はその発表を、記者会見の前日に、日本の実家で知った。
仲間達も同じだったようだ。
五箇山や平等院、ビクトール・トーレスの3人が、心配してすぐに電話をくれたが、不思議と気持ちは落ち着いていた。
そしてあの人が残してくれた言葉を、俺は思い返す。


"君自身の人生なのだから君が決断をするんだ"


クラブハウスの窓から、俺は一人、無人の駐車場を見おろしていた。
あの日、彼が涙を見せて去っていった場所を・・・・。


アスファルトの上に、激しい雨脚が、叩きつけては跳ね返る。
チューファの夕立ちは夏の空を曇らせ、ひととき辺りの景色を見えにくくするけれど、すぐにぶ厚い灰色の雨雲は過ぎ去って、明るい晴れ間がやってくる。
俺はカフェテラスで自販機のミルクコーヒーを飲み干しながら、雨が止むのを待つと、椅子から立ち上がり駐車場へと下りていった。
「白川!」
突然仲間に呼ばれたような気がして立ち止り、クラブハウスを振り返る。
そして今はオフシーズン中だったと思い出し、そんなことをした自分が可笑しくて、少し笑った。
フェンス越しに見えるグラウンドには、雨に洗い流された鮮やかな天然芝。
目に染みるような眩しい緑と、晴れ渡ったチューファの青い空に俺は思わず目を細める。
「今日も暑くなりそうだな・・・」
関係者専用駐車場に、ぽつんと1台だけ置かれたNR2。
エンジンをかけてステアリングを握りしめると、俺は誰も居ない練習場を後にした。
かつて叶わぬ恋に泣いてばかりいた、幼い自分に別れを告げて、優しい笑顔に囲まれて迎える、新しいシーズンを心に描きながら。

 

fin



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