ピソへ戻ってみると、すでに前半が終了しており、テレビには軽快な音楽とともに、ハーフタイム中のリプレイ映像が流れていた。
「酒屋と無駄話でもしていたのか」
さきほどと同じように、ソファで片足を抱えて座っている厳島が、一瞬だけ俺と目を合わせたものの、すぐにテレビへ視線を戻した後で、そう呟く。
どうやら待たされたことで、少々ご機嫌斜めらしかった。
「すいません、酒屋さんが閉まっていたもので、表通りのスーパーまで足を伸ばしまして・・・その、連絡しようと思ったんですが、携帯を忘れていったみたいで・・・ああ、これもう空いてますね。すぐビール冷やしますんで、ちょっと待っててください。お茶でも入れます? ・・・って、それはいりませんよね。そうだ、ウイスキーがあるんで、ロックか水割りでも作りましょうか。それとも炭酸で割って、ハイボールにしようかな・・・」
事情を説明しながらテーブルを一旦片付けるものの、厳島からとくに返事はなかった。
俺が一人で走り回って、あれこれ準備しているのに、なんとか言えよと思わないでもなかったが、どうやら虫の居所が悪いらしい。
それとも、試合に集中しているせいだろうか。
結局俺は、前半部分をほとんど見られなかったことに、今更気付く。
ビールを冷やし、酒とグラスを準備しながら、何気なく視線を巡らす。
心当たりの場所に携帯を見つけられない。
玄関に落としたのかもしれないと思い、見に行こうかと考えたとき、テレビでセカンドハーフが始まったことに気が付いた。
少し考え、冷凍庫からロックアイスを取り出すと、オンザロックを二つ作ってリビングへ戻った。
結局、厳島の機嫌はその後も戻らず、かといって試合が終わっても帰る様子もなく、俺はその後もう1杯ずつオンザロックを作り直し、それを空けたところで意識がなくなっていた。

 

聞き慣れたアラームの音が、やや遠いところで響き、いつもと同じ時間に目を覚ました俺は、自室の目覚まし時計を消してから、再びリビングへ戻る。
そしてフロアから厳島の上着を拾い上げるが、持ち主の姿は見当たらなかった。
俺が寝ている間に帰ったらしいことに気が付いたのは、起きると同時に手にしているジャケットを床へ払い落としたのだと判明したとき。
忘れられていたと思った厳島のジャケットが、いつのまにかソファで横になっていた俺の身体に掛けられていたようだった。
「書きおきぐらいしていけばいいのに・・・そうだ、メール・・・」
気不味い宴の名残もそのままな様相のリビングへ視線を巡らし、昨夜はとうとう見付けられなかった携帯を、今度こそ俺は見つけ出す・・・いとも簡単に。
ビールと薄くなったオンザロックの間・・・つまりテーブルの上だ。
場所から言って、ちょうど厳島が座っていた目の前あたりである。
「こんなところに・・・なんで見付けられなかったんだ?」
不思議に思いつつ、とりあえず着信を知らせる明滅を手に取り、内容を確認する。
誰かが電話をくれていたようだ。
着信時刻は午前7時半過ぎ・・・ということは30分ほど前のことになる。
寝ていて気付かなかったのだろうかと思いつつ、こんなすぐ近くで電話が鳴っているのに目が覚めないとは、どれほど熟睡していたことかと反省する。
そして、留守電メッセージが入っていることにも気が付いた。
電話を操作しながら、意外な架け主が判明して、さらに驚く。
相手は玉川だった。
留守電は伝える。

『返事がないから、もう一度架けなおしたけれど、さっきの話、どうなったかな? 俺は正午の便で帰らなきゃいけないから、今回は無理そうだけど、来月また来るから、そのときは一緒にゆっくりと出来たらって思ってる・・・その、今度はバルとかじゃなくてさ。できたらもっとムードのあるレストランとか・・・』

そこには、昨日の夕方にバルで話していたときとくらべ、どこか声が柔らかく、照れくさそうな玉川の声が録音されていた。
話の持って行きかたから察するに、これはまるで、気のある相手に対するデートの誘いを思わせるような甘さがそこにある。
俺は今一度、昨日から今朝にかけての出来事に心を巡らす。
夕方に会った玉川からは、このような誘いを受けるいきさつは、まるで思い至らない。
いや、まったくそうと言い切れるだろうか。

・・・お前が厳島を好きだったことに気付かなかったわけではないが、改めて聞かされると痛いもんだな。


あのとき、どこか苦しんでいるような表情だけを見て、膝の故障で早々に引退せざるを得なかった玉川が、未だに悔しい思いを引き摺っているのだと、俺は判断したが、それにしたって妙なセリフではないか。
俺が厳島に憧れていたことは、当時のチームメイト達であれば、誰でも気付いていたことだろう。
恐らくは、鈍感な厳島本人を除いて。
それを改めて聞かされて、なぜ玉川が痛い思いをしないといけない?
あるいは、あれが彼なりの好意の表現だったのだろうか。
いや、玉川は『憧れ』ではなく、『好き』という言葉を使っていた。
当時の俺に、そこまでの感情があったかどうかは、正直なところ自分でもよくわからないが、仮に玉川にはそう見えていて、その事実が彼に痛手だったのだとすれば。
それにしても、せめて気持ちを伝えるとか、もう少し具体的なアプローチというものが、間に入るべきだろう。
いきなりデートの誘いは、やはり急すぎる。
「玉川さん、ひょっとして相手を間違えて電話しているんじゃないのか?」
改めて着信記録を確認し、ふと俺は気が付いた。
その番号に、鮮明な覚えがあるのだ。
『090』から始まる、日本の携帯番号。
それは、昨日の午前中にマニセス空港から、恐らくは海外ローミング中の携帯によって、この端末に架けられた番号だった。
目線をさらに下の行へ移す。
「んな、馬鹿な」
次の行が、一昨日の夜に架かって来た、女房からの着信になっていた。
確かに玉川と話した着信履歴が、どういうわけかなかったことになっている。
「怖っ・・・!」
思わず素直に声へ出し、携帯を取り落としてみた。
すぐに機械を拾いあげて、恐る恐るアドレスを開いてみるが、確かに登録した筈の玉川のアドレス情報が消えている。
気になってメールソフトを開き、俺は確信した。
メアド交換がてらに、バルで受け取った玉川のメールが消えているくせに、俺から送ったメールは残っていたのだ。
それだけではない。
俺が送っていない、無題のメールまで、そこにあった。
内容は、ただ一言。


『もうメールしてくんじゃねえぞ』


今度こそ俺は仰天する。
そして犯人を確信して、頭を抱えた。
「あの人は・・・っていうか、どう考えてもこれ、俺のメールじゃないし!」
送信時刻は、本日午前6時47分。
俺はまさに、2杯のオンザロックで熟睡中である。
何より、玉川相手にこのような汚い言葉遣いを、俺がする筈がない。
シンプルでありながら、傍若無人で乱暴極まりないメールの本文。
そして、あの時間にこの携帯を操作出来得る、ただ一人の人物。
それさえ気付けば、昨夜から今朝にかけての事象が、あるいは納得いかなくもない。
玉川のわかりにくい好意の告白における真実は、やはり本人へ確認しないことにはなんとも言いようがないが、そう取ってもしかたのない先ほどの留守電メッセージ。
ひょっとしたら、似たような内容で、あの録音にあった『さっきの話』とやらや、次に会ったときにどうしたいといったような内容を綴られたメールの着信が、昨夜俺がビールを買い出しに行っている間に届いていたとしよう。
それに気付いた厳島は、俺の携帯に玉川のフルネームを確認した筈だ。
そこからあの人の手に、この携帯が渡り、玉川のアドレスと着信した電話やメールが削除され、ついでに後から気付いたことであり、これには悪意以外何も感じることはできないのだが、メールや電話の着信音設定まで勝手に変更されて・・・。
「そうだ、メール・・・!」
俺は慌ててメールの作成画面を開けると、苛々としながら手打ちで玉川のアドレスを入力し、さきほどのメールが濡れ衣であり、犯人は厳島である旨を告発する文章を作成した。
しかし、それではなぜ厳島がそのような真似をしたのかを説明する必要があることに気付き、なんと言い訳するべきかを考えている間に、新しいメールを着信してしまう。
相手はよりにもよって玉川だ。
タイトルは同じく無題。
俺はハラハラとしながら、メッセージを開封する。

『迷惑だったみたいだね。俺が言ったことは気にしないでくれ。昨日は会えてよかった。お前とはこれまで通り、良き友であることを願う』

今度こそ顔面蒼白になった。
一体玉川が、自分に何を言っていたのかということも気にはなったが、それをこの後問い詰めたところで、厳島が白状するとは思えなかった。
ましてや、今更玉川本人へ聞けるものではない。
取り敢えず、俺は作り掛けの本文を完成させ、謝罪と事実のみを伝えるメールを送ってみたが、それに対する返信は数日待っても来なかった。
もちろん、アルバシトへ向かう道中で、隣り合った厳島へそれとなく抗議をしておいたが、鼻息であしらわれて終わりだった。
それも不機嫌な顔で。
尤も、仮に語気荒く彼を糾弾したところで、あの男から反省や謝罪といった類の言葉があろうはずはなく、バスという閉じられた空間で、周囲を気遣って訴えの声が小さくなっていた俺の態度が、甘かったせいでないことは明白だ。
固より厳島がそのような殊勝な男でないことなど、10年近い付き合いでよくわかっている。
だからといって、逆切れのような態度を目の当たりにして、腹が立たなかったという意味ではないが。
玉川へは根気よくメールで釈明し続け、漸く素っ気ないメールが一通返って来たのは、翌月、再び仕事で玉川と会うと決まってからのこと。
結局、俺の手から俺の携帯が行方不明になっていたあの数時間、厳島がどんなメールを読んでいたのかは、今も謎に包まれたままだ。

 


Fin



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