「厳島さん、これからお出掛け・・・」
正倉院が籠から出ながら質問しかけて、その語尾を不自然に断ち切った。
「ああ、まあな」
厳島は俺から視線を正倉院へ移し、そしてすぐにまた俺へ戻してきた。
その声も表情も、はっきりと強張ったものだった。
俺も彼の脇をすり抜けながらホールへ出る。
入れ違いに厳島が籠へ乗り込んだ。
「マノリートと、ですか?」
「おい、石見・・・お前、何か・・・」
「お気をつけて」
厳島が引きとめようとしてきた声を無視して、背を向けると俺は正倉院へ挨拶することも忘れて、足早に自分の部屋へ向かった。
嫉妬に滲んでいたであろう自分の顔が、どんなものだったのか・・・・考えるのも嫌だった。

 

夕食の時間がとうに過ぎて、何度も携帯が鳴っていたが、それを全て無視して俺は部屋に籠っていた。
シーズン中はツインルームを二人で共有するのが普通だが、昨シーズンまでルームメイトだったティト・ヒラルが冬に引退し、それ以降はこのキャンプに至るまで、俺にはずっとシングルルームが与えられていた。
気楽な半面少し寂しい気もしたが、今だけはその事実がとても有難かった。
もっともシーズンが始まれば、また誰かとツインになるのだろうが。
「またか・・・」
1分ぶりに携帯が鳴っていた。
いい加減に五月蠅いから電源を切ってやろうと思い、ベッドからのそりと起き出すと、小腹が空いていることに気が付いた。
ベッドサイドの時計を見ると、すでに午前2時を回っていた。
バーなら或いは開いているかもしれないが、まだ外へ出る気分ではないし、明日は練習再開なのに、この時間に酒を飲むわけにはいかないだろう。
何かルームサービスでも頼もうかと思い直し、ベッド脇のラミネート加工された冊子を手に取る。
不図ベランダに人の気配を感じて、レースのカーテンが引かれたままの窓ガラスを振り返った。
「はあっ・・・!?」
俺は思わず、手にした冊子をカーペットへ落とした。
夜の帳を背景に、ベランダにはよく見知った背格好の男が一人・・・カーテン越しにでも誰だかわかる、その特徴的なシルエットは、どうやらまっすぐに俺と視線を合わせると、徐に窓ガラスを拳で連打し始めた。

開けてくれ、石見!

溜まらず俺は立ち上がると、窓ガラスへ直行して鍵を解除した。
「何を考えているんですか、あなたは? 大体何時だと思って・・・」
ガラリと開けながら厳島を部屋へ引き入れようとする。
「それはこっちのセリフだ・・・っと、東寺さーん、オッケーっす。ご迷惑おかけしました!」
俺に手首を掴まれたまま、厳島は手摺から伸びあがると、すでに明かりが消えていた隣の部屋へ向かって、そう叫んだ。
「ふぁ・・・そうか、んじゃまあ、お休み・・・」
眠そうな東寺の声が返って来て、次に窓が閉まる音が聞こえた。
つまりここへ乗り込むために、隣の東寺へ頼んで部屋へ入れてもらい、手摺越しにこのベランダへ乗り込んだというわけなのだろう。
どうやら寝込みを襲撃されたらしい東寺も気の毒だが、4階のベランダで、そんな無茶をした厳島の暴挙に心底あきれた。
「落ちたらどうする気だったんですか。たぶん死ねますよ、ここ」
下はかなりの面積で、アスファルトが敷かれていた筈だ。
「そしたらお前は、俺の死を背負って残りの人生を生きるわけだ」
「馬鹿ですか」
考えたくもないような暴言を吐く厳島に呆れて、一人で部屋に戻ろうとする。
その手を、今度は逆に強く掴まれた。
「馬鹿はお前だ」
「ちょっ・・・何するんですか・・・放して・・・」
そのまま厳島に抱き締められる。
息が詰まりそうだった。
「ったくメシにも降りて来ねえわ、電話もメールも徹底無視するわ、心配かけやがって・・・。だいたい、あんな格好で戻って来て、紛らわしいことするんじゃねぇぞ!」
「何の話・・・ちょっ、苦し・・・」
「わざとらしくレストランで正倉院なんか誘いやがって、二人で朝から出て行ったきり、なかなか帰って来ねぇ上に、あの野郎の服なんか着やがって・・・あっさりアイツが吐かなきゃ、レストランでボコってるところだぞ」
「そんなの、厳島さんに関係な・・・・んっ」
突然、唇を塞がれた。
それは7年前に、厳島が雨の中でくれた風のようなキスとは、全然違う、強い意志を持った強烈な口付けだった。
「んっ・・・ふん・・・」
呼吸が苦しくなり、放そうとしてもなかなか離れず、僅かに開いた唇の隙間から入ってきたものが、厳島の舌だとわかった頃には、全身から力が抜けていた。
艶めかしく動くその塊に口の中を蹂躙され、いつしか自分の物と絡み合い、俺達は何度も唾液を交換し合った。
気が付けば、俺はすっかり厳島の身体に凭れるようにして立っていた。
ようやく呼吸の再開を許され、ぼうっとした頭でのろのろと視線を動かして、厳島を見上げる。
滲んだ視界の中で、熱っぽく俺を見下ろす彼の薄めの唇が、いつもより少しだけ腫れぼったく、唾液でしっかりと濡れていたことが、月明かりでさえもわかった。
そして自分のものも、そうであろうと気が付き、猛烈な羞恥に襲われる。
思わず彼の厚い胸板へ顔を埋めると、再び厳島がしっかりと抱きしめてくれた。
「俺が悪かったから・・・・だから、関係ないなんて言うな」
「だって・・・厳島さん、なんでこんな・・・それに・・・」
7年前に終わったと思いこんでいた、彼への想い。
こんなことをされたら・・・・また期待してしまう。
「二度とマノリートにはあんな真似をさせないと約束する・・・だから、お前も俺を心配させるな」
そういうと、もう一度彼は俺の唇を塞いできた。

 

fin.



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