臨海公園駅でバスを降りたところで、携帯がメールを着信した。
一条からだった。
「あの野郎・・・」
俺がすぐに返信すると、驚いたことに10分で一条を乗せたタクシーがやってきた。
黒いジャケットに白いコットンシャツ。
ボタンを二つ開けた首筋に光って見える、シンプルなシルバーのチェーン。
先に何か付いているからペンダントだ。
目の前に立った私服の一条は実年齢よりもずっと大人びて見え、俺は少し戸惑った。
「原田、遅くなってごめんね・・・ちょっとだけ待ってて」
そういうと後ろのトランクが開いて、中からスーツケースを下ろした。
「お前、まさか・・・」
どうやらつい先ほど空港へ到着したその足で、まっすぐここへ向かったようだ。
「ただいま、原田」
一条が改めて俺を見つめ、明るく微笑んだ。
口角を上げた少し厚みのあるその唇の柔らかさを思い出し、俺はたまらず目を逸らす。
「それはメールで聞いた。・・・ったく、馬鹿かお前は。荷物ぐらい家に置いてから来ればいいだろ」
あのぐらいのことで動揺してしまっている自分が情けなくなった。
意識するなと言い聞かせる。
自分で呼び出しておいて、何をやっているんだ。
「でも、原田がすぐに会いたいって言うから・・・」
「会いたい、じゃねえ。すぐ出て来いって書いたんだ、命令だ、命令!」
「はい。えと・・・じゃあ、了解です。到着しました」
俺に怒鳴られて、嬉しそうにニコニコ笑う一条の顔は、よく見ると寝てないのが一目で判る程度には疲れていた。
一条は父親の仕事に付き添って、文化祭の翌日からエスパニアへ行っていたらしい。
だから俺とはあの日、帰り道に別れて以来ということになる。
あの・・・彼にキスをされた日。
資産家の一条家は建設業を中心にホテルやアミューズメントパークの経営など多岐に亘って事業を手掛けており、ヨーロッパやアジアの諸国へも進出しているため、跡取り息子の一条はときおりこうして父親に連れられて、突然日本を離れることがある。
海外旅行などしたことがない俺は、「親父の付き添いと言ったって付いて行っているだけだろ? あちこち観光旅行出来ていいじゃねぇか」などと羨ましさ半分で馬鹿にしたことがあり、そのときも一条はこうしてニコニコと笑っていただけだが、こうして疲れた顔をして目の前に現れられると、少々良心が痛まないこともない・・・。
が、そのときふと例のラーメン屋で見たワイドショー映像を思い出した。
いや、誰が同情なんぞするものか。
リタだかなんだかしらねぇが、ちゃっかりあっちの女優とパパラッチなんかされやがって。
「とっとと行くぞ」
俺は踵を返して、商店街へ向かう。
「あ・・・原田、待ってよ・・・」
うしろからガラガラとスーツケースを引き摺りながら一条が必死で付いて来た。
通りすがりの人たちが、その音に驚いた顔で次々とこちらを振り向く。
何人かが一条の顔に見覚えがあるようで、ヒソヒソと話しているのが聞こえた。
リタ、という名前が何度も聞こえて来る。
「てめぇ、さっさとしろよ」
「うん・・・えっと、ねぇ原田・・・実はね、僕チューファに行ってたんだけどね」
「知ってる」
「あ、そうなんだ・・・えっとね、あっちでサッカー見てきたんだよ。ラナFCの。知ってる? ディフェンダーの石見由信ってこの街の出身なんだよ」
「知ってる。興味ねぇ」
俺は無性に腹が立っていた。
そして、理不尽にも一条へ辛く当たっている俺に対して、こいつは我慢して優しく話しかけ・・・それがまた頭に来て。
疲れているだろうに、一条の馬鹿ときたら。
「ああ・・・そっか、ごめんね・・・原田、前にサッカーの話してたから、てっきり好きなんだと思って・・・ああ、そうだ、エスパニアってね、同性婚ができるんだよ。5年前に法律が改正されて・・・」
「何の話してんだお前?」
けれど、どうしてこんなに腹が立つのか、その理由が自分で思い当たらず・・・いや、違う。
思い当たるが、それを認める勇気が俺にはないんだ。
「えっ・・・あ、ごめん・・・なんか一人で話しちゃって」
「つうかさ、ちょっとは周り見たらどうだ、一条」
だって、このタイミングで認めたら・・・俺は傷つく。
コイツには・・・。
「ん・・・? えっと、僕、なんか変なこと言っちゃったかな。そうだ、原田、話あったんじゃないの? なんか僕一人で喋っちゃってたけど・・・」
「べつに、ねえよ」
畜生。
「そうなの? えと・・・、でも」
「お前さ、さっきから何も感じねぇの?」
「ん・・・? なんだろう?」
馬鹿野郎、一条のアホたれ、鈍感!
「空港にマスコミとか集まってなかったか?」
「べつに・・・ん? いたのかな? でも父さんと一緒で、川上さんとか、堂森さんとかが、いつも適当に追い払っちゃうから」
川上、堂森の両氏は、親父さんの秘書かなんかだろう。
よく一条の口から出て来る名前だった。
そうか、こいつの父親って有名人だから、マスコミなんて珍しくもないんだった・・・。
「ちげーよ、お前の親父じゃなくて・・・お前、リタとサッカー見てたろ!」
「うわ、なんで知ってるの?」
てめぇ・・・っ!
「お前、リタって言ったら世界的に有名なアイドル女優だろーが。そんな女とエスパニアリーグなんて見に行ったら、パパラッチされるに決まってんだろ。しかもレアルブランコ戦ってふざけんな! つうか、こっちでもリアルタイムでお前らのツーショット映像垂れ流されてんだよ。ちょっとは気ぃ遣えや、このアホが!」
一気に捲し立てた。
なぜだか、俺は興奮が抑えられなかった。
一条は呆気にとられてしばらく商店街のど真ん中に突っ立ったままぼーっと俺を見ていた。
俺もやつを睨み返す。
やがて一条は目を見開いたかと思えば真っ赤になり、次に焦った顔になった。
まさに百面相だ。
「ち、違うよ原田、それは絶対に誤解なんだ」
「何がだ」
「あのね、リタはチューファ市長の娘さんなんだよ」
「ほう、それがどうかしたのか」
リタが・・・って、こいつ、もう呼び捨てやがって。
やってらんねぇ。
俺は再び踵を返し、帰るつもりで商店街の入り口へ引き返した。
一条もスーツケースをぐるっと回転させるとまたガラガラと引きずって、必死に着いて来ながら俺に弁解を続ける。
「あのね、今回父はミスティックランドっていうチューファの遊園地近くの再開発地域に、ホテルを建設する仕事を獲得しに行ったんだよ。それであっちの業者や市長と会食があって、リタが同席することが判って、僕と同世代の彼女が親日家で、この泰陽市出身の石見選手のファンだってことが判ったから、父が・・・・」
俺は立ち止った。
「そういう・・・ことか」
つまり一条は親父の仕事の道具として連れて行かれたってわけだ。
仕事を有利な方向へ持って行けるように、せいぜい市長の娘を接待して来いと。
「だから、原田が思ってるようなことは何もないよ」
「・・・悪い、勘違いして。なんか俺、ここんとこ色々あったから、ちょっと苛々してた」
俺はさすがに自分が嫌になった。
そもそも一条が俺に弁解しなきゃならないような話は何もない。
「ううん」
「俺、サイアクだな・・・本当、すまない」
俺が勝手に一条を呼び出し、一人で機嫌を損ねて彼に八つ当たり・・・何やってんだ。
一条は俺の、ただの・・・友達なのに。
「そんなことない・・・僕こそごめんね」
肩にふわりと手が置かれる。
じんわりと、そこが暖かい。
「いや・・・お前が謝る必要なんて・・・」
もう片方の肩にも手が置かれて。
「ううん。君に・・・心配かけたね」
ゆっくりと引き寄せられ・・・。
「そんなこと・・・って、ん?」
「何、原田?」
なぜか、路上で抱きしめられていた。
「お前、何してんだ?」
「何って・・・えっと、だから・・・」
「馴れ馴れしく俺に触るな、ボケが」
「痛い、痛いよ原田・・・手首をそっちに捻らないで」
「だったら、さっさと離れろや、このホモ野郎!」
「ギブ、ギブ・・・原田・・・ギブだって・・・」
俺がロックしていた手首を離してやると、関節を決められていた側の肩を抑えて一条はしばらく悶絶していた。
それから。
「あ、お土産があるんだった・・・」
そう言って思い出したようにジャケットのポケットに手を突っ込み、何かを取り出す。
「お前・・・生で持って帰って来たのか、それ」
「うん。帰国寸前にやっと時間がとれて、慌ててフリーマーケットで買ってきたから、包み紙がなくて・・・でもコレ、今チューファですっごく流行ってるんだよ」
それはオレンジ色の綺麗な石が付いたペンダントだった。
かなり派手なオレンジだ。
一条は付けてあげる、と言うと俺の返事も待たず、さっさと俺の首にペンダントを飾ってしまった。
「なあ、これって・・・」
俺はどう見ても嘘くさいその直径1センチほどの石を指で掴んで眺める。
しかし本当に綺麗なオレンジ色だった。
「まあ、僕もそれはただのガラス玉だと思うんだけどね、チューファではお守りとして、若い女性が皆そういうのを付けてるんだよ。サッカー選手の間でも流行ってて、一昨日会った石見選手も付けていたんだ。結構利くらしいよ」
「何に利くんだ?」
そういう一条のシャツの襟の間からも、そういえば同じようなシルバーのチェーンがチラチラと見えている。
俺の視線に気づいて一条が自分でそのペンダントを取り上げて見せた。
お揃いだった。
そして。
「恋愛成就」
ニッコリ笑う。
「馬鹿馬鹿しい」
俺は背を向けた。
そして歩こうとしたが、後ろから止められる。
「原田・・・」
両腕がまた肩に抱きついてきた。
「お前な、いいかげんに・・・」
振り向いた矢先に顎を捉えられ、続きの言葉を切りとられた。
唇に軽い感触があって、次にしっかりと抱きしめられて、耳元で低く囁かれる。
「二度と、あんな悲しそうな顔はさせないって約束するよ・・・でも、ごめんね。実は、凄く嬉しかったんだ」
そう言って、もう一度キスをされた。
今度はさらに深く口づけられ、背中に回された長い腕が俺の身体を引き寄せようとする。
その30秒後、俺の拳をしたたかに腹へめり込ませて跪く一条を蔑んだ目で見下ろしながら、確かに一条が胸の奥へ灯していった小さな火の熱さを俺はちゃんと感じていた。
fin.
『城陽学院シリーズPart1』へ戻る