翌朝、いつもの通りに起きて自室のある二階から階段をおりる。入り口が開放されたキッチンからは、挽きたてのコーヒーが廊下にまで薫りを漂わせていた。
「おはようございます」
「おはよう。パン、もうすぐ焼けるから、お皿出して座りなさい」
 ジャケットを脱いだグレイのスーツ姿にエプロンを掛けた、伯母の原田冴子(はらだ さえこ)が、マグカップにサーバーのコーヒーを注いで差し出してくれた。言われた通りに、俺はキッチンボードから自分の皿をとってカップのある席に着く。
「おはよう秋彦。ちゃんと起きてきたね。昨夜遅かったみたいだから、寝坊するかと思ってた」
 向かいの席から伯父の英一(えいいち)さんがそう言って、新聞から上げた目を意味ありげに細めてみせた。非難されている感じがないのは助かるが、なんとなく見透かされている気がして、居心地が悪い。
 英一さんは俺が、峰や一条篤(いちじょう あつし)と、普通の友達関係ではないことに、おそらく気がついているような気がする。昨夜の午前様を、そこに繋げて考えたかどうかは知らないが。
「英一さん、おはようございます。すみません、昨日は遅くなっちゃって……」
「デートだったの? なんか遅くまで電話してたみたいだけど」
 直球に近い質問をサラリと受けて、俺は一気に心拍数が跳ねあがった。冴子さんも目を見開いて俺を見つめている。
「あ、いやそうじゃないんですが……ええと、話し声聞こえてました? すいません、気を付けます」
 さりげなく、話題の軌道修正を試みた。
「いやいや、いいよ。若いんだし、まあ色々あるよね。秋彦君はモテそうだから」
 英一さんが質問を取り下げてくれる。
 助かった。 ……というか、やはりなんとなくバレている気がする。
「また英一はそうやって甘やかす。秋彦、まさかコンパだったんじゃないでしょうね。もうお酒はダメよ」
 思わぬところへ、冴子さんが食い付いた。
「いえ、昨夜はちょっと、峰ん家でご飯食べてただけで……」
 先日、居合道サークルのコンパへ参加したとき、俺は無理矢理酒を飲まされ、直江のような泥酔というほどではなかったとはいえ、それなりにしたたかに酔っ払って帰ってきた。出迎えてくれた冴子さんが、そんな俺を見逃す筈はなく、生涯初の大学コンパがあったその翌朝に、人生初めての禁酒を誓わされた。18歳にしてこの始末とは、どうしようもないにもほどがある。
「なるほど、あの子だったか」
 一旦、話題を切ってくれたと思っていた英一さんが、頭の中では何かを勝手にシミュレートして、一人で答えを出していた。
 もう絶対にバレている。ただし、少々誤解があるような気がしたが、細かい訂正をして、何もかも白状させられては藪蛇だろう。本当は誰と付き合っていて、どの男とあやしい関係ですなどと、家族へぶっちゃける勇気は、俺にはまだない。というより、冴子さんがパンにアプリコットジャムを塗ってくれながら睨みつけているので、そんな余裕もある筈がない。
「本当でしょうね。大学生って言っても、あんたはまだ未成年なんだから。あんな時間に起こされた上に、次の日にご近所へ謝って回るなんて、二度と御免だわ」
「はい、すいません……」
 高校の頃から飲んでいたとバレたら、俺はどうなるのでしょうか。
 というか、あの日一体何があったんだろうかと、俺は少しばかり遠い目になっていた。泥酔していなかった筈だが、どうやら俺の記憶は少々途切れているのかもしれない。
「冴子さんは頭が固いなあ。大学生にもなったら、付き合いだって広くなるし、少々ハメ外すぐらい、別にいいじゃないの。今どきビールぐらい高校生でも飲むよねぇ、秋彦くん?」
「いや、そうかも知れないですけど……やめましょうよ、英一さん今そういうのは……」
 剛速球が藪に投げ込まれ、大蛇の眠りを起こしていた。冴子さんが目の色を変えながら俺を睨みつける。
「ちょっと秋彦どういうことなの!? あんた、まさか高校から……」
 鎌首が俺に向けて口を開けていた。
「あ、ええっと……すみません、冴子さん、俺今日ちょっと寄るところあるので……もう行きますね……」
 立ち上がって時計を見つつ、大急ぎで玄関へ向かった。不自然なところなど、何もない筈である、多分。
「秋彦! あとでちゃんと話しなさいよ? とりあえず、お酒は二十歳までダメだからね!?」
 玄関で靴を履く俺の背中に、冴子さんが一方的な約束をとりつけていた。
「冴子さん、それ僕にちょうだいよ」
 そんな姉さん女房に、英一さんがジャムパンをリクエストする。色々と罪深い伯父のマイペースぶりに、俺は心で泣いた。



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