四限まで授業を終え、臨海公園駅前へ足を伸ばした。北改札を抜け、駅前大通りの交差点を渡り、城東電機ビルの正面入り口から入る。『春の新生活応援セール』で派手な売り出しコーナーがスペースを大きくとっている、一階の家電フロアを奥まで突っ切ると、商店街の出口へ出てきた。真向かいを見ると、臨海公園駅前東ビルが建っており、入り口から細く下向きに伸びている外階段を降りれば、地下一階に『Marine Hall』というクラブが一軒だけ入っている。ここは本来だと夕方六時営業開始だが、実際のオープン時間はいい意味で気紛れだ。準備が整い次第、店を開けてくれるので、週末だと時間通りに行ってみたら、既にカウンターが常連客で埋まっているなんてことも珍しくない。照明が灯った看板を表に出しているところを見ると、本日はもう開いているようだった。
 一階のテナントには数か月ぶりにシャッターが下りている。こちらには直江によると、三月末まで『彩(あや)』というラーメン屋が入っていた。
「さて、どうしたもんかな」
 テナント募集を告知する、不動産屋の連絡先が記載されたポスターを眺めながら、俺、原田秋彦(はらだ あきひこ)は一人で呟いた。不動産屋の電話番号は市内のものだったが、訪ねて行ったところで、何がわかるわけでもないだろう。押しかける気も毛頭ない。
 頼るとすれば、店長である志賀綾(しが あや)さんが手っ取り早いかも知れないが、ただでさえ仕事の他に、病院と子育てで忙しいうえに、ご主人の病状悪化でこのたびの閉店だ。端から志賀さんの自宅住所や、病院の名前もわかりはしないが、仮に知っていたとしても、そこまで足を運ぶのは憚られる。
 となると、俺にとっては馴染み深い『Marine Hall』の二人が訪ねやすいということになるが、店子同士とはいえ、他店の事情までどこまで把握しているものやら。
「あれ、秋彦じゃん」
 空店舗の前に立ちどまり、あれこれと悩んでいると、知っている声に呼びかけられた。
「よう、買い物か?」
 振り返ると、見覚えのある紙バッグを手に提げた美少年ウェイターの香坂慧生(こうさか えいせい)が、俺にじっと視線を注いでいた。
 慧生は『Cappuccino』のホール担当兼菓子職人志望で、店では俺の先輩にあたる。俺と同じ十八歳で、一般的に高校を卒業している年になってまで『美少年』でもないだろうが、160センチを漸く超える小柄で華奢な体格のせいか、その他『可憐』だの『ほっそりした』だの、『ガラスケースに入っている、陶器人形のような』だのといった、耽美で萌え系の枕詞を捧げたくなる男である。ちなみに慧生は、わけあって上述の高校を卒業していないが、この春から泰陽(たいよう)製菓専門学校に通っている。
「ああ、カミジマに行ってきた。ポップとセロテープが切れそうだっただろ? ラッピングペーパーやリボンも冬仕様のまんまだったし」
 カミジマとは雑貨や事務用品の安売りを専門としている、大手のチェーン店で、近辺の各種業者が大抵お世話になっている。限りなく卸値価格に近いが、普通に一般買い物客も利用できるので、バイトを始めてからは俺も個人的にちょくちょく足を運ぶようになった。500枚入りのコピー用紙などは、その辺のディスカウントストアで買うよりはるかに安く種類が豊富だ。ぶっちゃけ質は今いちだが。
 『Cappuccino』では、食材は基本的に専門業者や契約農園から仕入れているが、ポップカードや告知ポスターは手作りのため、文房具や贈答用のラッピング材は業者を固定せず、安くて良さそうな物を見かけたときに入手する。現状はカミジマが、主な購入先だ。
「ラッピングに冬用とか春用とかあんの? 俺、考えたことなかった」
 カミジマの紙バッグからは、ピンクと薄緑の筒状になった用紙が二本突き出ている。こうした包装紙は、缶入りや瓶詰した菓子やケーキを包むときにはもちろん、持ち帰りのちょっとした包みを希望する人の為に、予めある程度のサイズに畳んで糊付けし、小袋にしてレジ回りに準備してある。 今ある小袋は赤地にピンクのチェック柄と、白とシルバーのストライプだが、昨日もランチ客のリーマンにビスコッティを二つ、赤い小袋で包んだばかりだ。
「当然だろ。リボンも変えるから、今度からこっち使えよ」
 そういうと、紙バッグから白いレースと水色のオーガンジーのリボンを見せてくれた。
「へえ、可愛いな」
「だろ? まったく、今日ラッピング頼まれてびっくりしたっての。前は早め早めに切り替えてたのに、もうすぐ初夏だよ。まあ、気付かなかった僕も悪いけどさあ」
 俺の初出勤だった先々週の土曜日には、センターテーブルに大きな桃の花の造花が飾ってあったが、日曜日にはそれが消えた。代わりに各テーブルへマリーゴールドの小さな一輪挿しが現われ、桃の花が消えたセンターテーブルの上には、天井からクローバーのガーランドが吊るされていた。オーナーに聞けば、慧生がやったという。
 慧生と一緒に仕事をしてみてわかったことだが、この手の感覚については、おそらくオーナーの南方譲(みなみかた ゆずる)氏よりも優れており、そういう入れ替えはもっぱら慧生がひとりで担当しているらしい。だが四月に入って大幅に勤務時間が減った慧生は、レジ回りに置いてあったラッピング材にまで目が行き届かなかったのだろう。
「お前のこういうところ、本当に感心するよ。オーナーもわりかし無頓着だし、真人(まさと)さんに任せたら違う店になっちまいそうだしな」
「真人さんは絶対しないよ」
「そうなのか? 結構好きそうなのに」
 名和真人(なわ まさと)は元々グランドイースタンホテルのラ・セールに勤務していた一流のパティシエだったが、一年前に退職し、夢を追い掛けて某アニメーションスクールに入学した情熱的な男だ。その一方で学費を稼ぐため、時間的に融通が利く『Cappuccino』の厨房へ、変則的なシフトで入っている。 絵を描くことが好きな彼なら、機会さえあれば、進んで新作のポスターなんて作りたがりそうな気がするのに、そういえば今まで一度も手掛けているのを見たことがない。
「新メニュー案内用に、ピンク色の髪をしたオリジナル美少女キャラクターのメイドコスチューム仕様等身大ポスターを、クリスマスガーランドが入っていた特大ダンボール材に貼りつけて、真人さんが店頭に出したことがあったんだよ。けど、後から出勤してきたオーナーがオープン前にそれを無言で下げちまって、それきりヘソ曲げて、今ではどんな些細なポップも描こうとしないんだ。下げられたポスターは、なんか寝ないで作ってたらしくて、努力が水の泡だって、休憩中、すげえへこんでた」
「壮観だったんだろうな……」
 本人と次に会ったら、絶対に見せてもらおうと俺は考えた。その経験は酷い心の傷になっただろうが、寝ないで作りあげたものなら捨てずに残しているだろう。
 もしもオーナーが、そのときポスターを下げずに飾っていたとしたら、間違いなく『Cappuccino』の客層は変わりきっていたのではないだろうか。そうなると、俺の足も店から遠のいて、今あの場所でバイトをしていなかったかもしれない。……だって、なんだか臭そうじゃないか? 人の運命とはわからないものである。

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