「秋彦・・・」
「だってそうだろ。てめえも今手ごたえがないって自分で言っただろうが。だったらエスパニア語なんて今更勉強する必要ねえだろ。んなもんのために突然留学決めるって、どう考えたって変だろうが」
「それは・・・」
「ちゃんと話せよ。一体何を考えてる? お前は自分で俺の恋人だってさっき言ったよな。それで俺の誠意を疑いもした。けど、俺に言わせりゃお前の態度こそ疑問だらけだよ。何を考え、どこに行こうとしてるんだ? そこに俺の存在ってあるのか? ・・・怖いんだよ、篤・・・俺は本当にお前を好きでいてもいいのか? お前に溺れていいのか? ある日突然・・・俺を置いて消えたりはしないか?」
昨日までそこにあった幸せが、突然崩れ去る恐怖を俺は知っている。
美しかった母が般若のような顔をしながら、泣き叫ぶ姿を俺の脳裏へ焼き付けて、姿をくらまし、死体で発見された。
優しかった父が、5歳の俺をアパートに残して首を吊って死んでいた。
俺は誰かを盲目的に愛することを、たぶん心のどこかで躊躇している。
なのに、今の俺はもう自分で止められないほど一条が好きになっている。
その一条が何の相談もなく突然留学を決めて、1ヶ月も一人で遠くに行ってしまったことで、俺は自信をなくした。
こんな感じに、もしもまた一条が突然いなくなり、そのまま捨てられたりしたら・・・たぶん俺は立ち直れない。
「秋彦、僕は君を置いていったりしないよ・・・・怖い思いをさせたね。本当にごめん」
篤が立ち上がり、俺の傍に来て強く抱きしめてくれた。
力強い腕。
少し汗臭いシャツを通して、しっかりとした胸の鼓動が伝わってくる。
篤はここにいる。
その心音を聞いて、俺は自分がどんなに彼に会いたかったか、離れていたことがどれほど心細かったのかを思い知った。
「お前、臭ぇな」
「だからチューファからそのまま来たから・・・気になる?」
「いや」
そう言うと俺も立ち上がってその身体を抱き締め返した。
結局篤は留学の本当の理由を言いはしなかった。
だが、いずれちゃんと言えるときが来たら話してくれる筈だ。
もうこれ以上問い詰めるのはやめよう。
俺が欲しい言葉をくれたから、今はそれでいい。
君を置いていったりしない・・・篤は確かにそう言ってくれた。
「秋彦、・・・今すぐ君がほしいって言ったら怒る?」
「お前っ・・・、ここでかよ?」
聞き返すと、篤は黙って頷き、俺の首筋へ口づけてきた。
その感触に、神経が剥き出しにされる。
考えたら俺もこの1カ月、セックスしていないのは当然だが、忙しすぎて自分でもしていなかった。
それはどうやら篤も同じだったようで・・・。
「篤っ・・・!?」
腰を引き寄せられたとたんにわかってしまった篤の昂り。
「君が悪いんだよ、1ヶ月も禁欲していた僕の目の前へいきなりセミヌードで現れたりするから」
「セミヌードって、てめぇな! ・・・ちょっ、篤待てって」
Tシャツの裾から手が入って来て、脇腹や胸を大胆に撫でまわされる。
触られた場所すべての神経が、またたく間に快感へ直結していくのがわかった。
「君もずいぶん物欲しそうに見えるけど?」
「んなこと・・・篤、せめて・・・ベッドへ」
「わかったよ・・・じゃあこっち」
篤に手を引かれ、ベッドへ移動する。
腰のあたりがふわふわとして、歩くことすらもどかしかった。
俺を先に座らせ、目の前で篤がシャツを脱ぎ去り、自分でジーパンのベルトを緩めてみせた。
既に立ち上がりかけている彼の物が、下ろしたファスナーの間から下着を持ちあげている。
俺もTシャツを脱ぎ、横になると、すぐに篤がスプリングを軋ませながら覆い被さってきた。
「バレないように気をつけろよ」
下には冴子さんと英一さんがいる。
「君が声を出さなきゃ、バレないよ」
このヤロウ・・・。
言ってやろうとした言葉は唇で封じられた。
いきなり深く口付けられる。
傍若無人に入ってきた彼の舌を絡めとり、吸いつき、角度を変えて何度もそれを味わう。
頭が痺れ、キスだけでイッてしまいそうになっている自分に気が付く。
「なんか・・・凄いね、今日・・・」
「うるせぇ、さっさとしろよ」
欲しかった。
素直に篤が。
階下には冴子さんたちがいるというのに。
恐らくは鍵をしめてもいないというのに。
こんなに余裕がなくなっている自分が信じられなかった。
篤を感じたい・・・今すぐに。
「オーケー」
そう言って今度は篤が首筋に唇を落としながら、脇腹を撫でてくる。
俺はその手を捕まえると、たまらず篤に懇願した。
「そうじゃなくて、篤・・・」
そう言って彼にしがみつき、そのまま体重をかけて身体を入れ替える。
「えっ・・・あ、秋彦・・・?」
俺は四つん這いになりながら、少し後ろへ下がり、目の前にある彼の物を見おろした。
僅かに立ち上がり、ジーパンのファスナーの間から布越しに息づいている物・・・これが欲しい。
俺はおそるおそる彼の物に触ろうと指を伸ばした。
「秋彦・・・きみ・・・」
そのとき、突然緊張を打ち破るような電子音が流れる。
「えっ・・・」
思わず篤と顔を見合わせる。
篤は首を静かに振った。
自分じゃないと。
そりゃそうだ、これは俺の携帯の音だから。
無視しようとしたが、呼び出し音はしつこかった。
思い出した。
先日、すぐ留守電に切り替わるのが鬱陶しいから設定時間を変えろと、峰に文句を言われていた。
面倒くさいからそのときは留守電そのものを解除していたのだか、そのまま設定し直すのを忘れていた。
それにこの時間帯にかけてくるのも、たぶん・・・。
俺は諦めてベッドから床へ足をおろす。
「秋彦?」
「悪いな篤、ちょっとだけ待っててくれるか」
そう告げると携帯をとった。
液晶表示は案の定。
「出るとは思わなかったぞ」
憎たらしい声が電話の向こうから聞こえて来た。
「じゃあ、なんでかけてくんだよ」
こちらも負けじと言い返してやる。
1分以上もコール音をしつこく鳴らしていた奴がよく言う。
「そりゃ、用事があるからだ」
「だったらさっさと言えよ・・・」
気になって篤の方を見る。
バッチリ目が合った。
しかも当たり前だが、機嫌のいい顔じゃない。
あんな状況で放置したのだから、当然だ。
「何だ、誰かいるのか?」
「いや、そうじゃねぇけど・・・」
馬鹿正直に言うわけがない。
「その割に、随分と急いでるみたいだな。しかも息が荒い・・・」
「んなことねぇよ、一人だよ! さっさと用事言えよ、切るぞこら」
「今日はすまなかったな」
「えっ・・・」
「考えたら俺の不注意であんな事態を招いた。怖い思いをさせてすまなかった。俺がドアを開けていればよかった」
「何言ってんだよ、お前のせいじゃないだろ。あれはB組の奴らがコピー機を移動させたからで、あいつらだって別に俺達のこと閉じ込めようとしたわけじゃないし、お前だって被害者・・・篤っ!」
俺は慌てて携帯電話を放り投げた。
そして部屋から出て行こうとしている、彼の腕を捕まえる。
そしてその手がすぐに振り払われた。
「なんで・・・・」
篤が俺を・・・拒絶?
雷に打たれたようなショックを受けた。
「それはこっちのセリフだよ」
背中を向けたまま篤が言った。
声も荒げず、聞き慣れた穏やかなトーンの、でも聞いたことがないぐらいに冷たい声だった。
俺はもう一度篤の腕を掴んで彼の身体を自分へ向けた。
顔が見えないことが、凄く怖かった。
「ちゃんと説明しろよ・・・何怒ってんだよ・・・俺が放っておいたからか? だったら、謝るから・・・」
「どうして嘘吐くのかな・・・」
「・・・嘘って、それはむしろお前こそ・・・」
「そういうことを言ってるんじゃないよ、秋彦。本当は自分でわかってるんでしょ?」
そう言って篤は盛大に息を吐いた。
ウンザリしてる・・・そう言いたそうだった。
彼をそう思わせるほど、俺は何をしたというのだろうか。
「わかんねえよ・・・ちゃんと言ってくれよ、俺、頭悪いから・・・」
そういうと篤は一瞬だけ俺を見た。
冷たい目・・・そんな目で見られたのは初めてだ。
「最初にこの部屋に僕が着いたとき、君は副委員長になったっていう話をしたよね。そのときに、僕は委員長は誰かと聞いたけど、君は話をはぐらかした」
「そんなつもりは・・・」
俺は話を変えたかっただけだ。
峰の名前を出すと、篤に気づかれそうで、俺は、・・・・話をはぐらかしていた。
あのとき俺は、峰とキスしたことを思い出していた。
「その次に旧館の資料室に閉じ込められた話をした。でもそのときに君はもう一人いたとは話さなかった」
「それはでもっ、お前も聞かなかっただろうが」
「確かに聞かなかったよ。けれど、委員長が誰かを聞いた質問へ答えなかった君に、隠した意図がなかったって言いきれるのかい? つまり、旧館での作業にクラス代表で副委員長として君が駆りだされたなら、当然委員長も呼ばれているだろう。僕は半信半疑ながら江藤かと思ってひとまず納得していた。でもさっきの電話・・・君の話し方からいってあれは峰だよね。そして会話内容から、峰も一緒に資料室へ閉じ込められたことがわかった。逆から考えれば、君は僕に委員長となった峰と二人きりで閉じ込められたことを、隠したかった・・・そうじゃないのかい?」
ショックだった。
篤は話の最初から最後まで、俺を疑っていたということだ。
「だったら・・・どうだっていうんだよ。だって、お前いい顔するわけないだろ? 言わなくていいことだったら、わざわざ波風立てるようなこと・・・」
「どうして波風が立つのかな」
「えっ・・・」
「それは、君自身に何か意識の変化があるせいじゃないのかい?」
これはさすがに言いがかりだった。
けれど・・・否定しきれない俺がたしかにいた。
それでも、篤・・・俺は。
「お前、何言って・・・」
目の前が涙で滲んできた。
「今日はもう帰るよ、おやすみ」
駄目だ。
ここで帰したら、俺達・・・。
「待てよ、篤!」
俺は再び篤の腕に手をかける。
その手に大きな掌が被さった。
だが。
「放してくれるかい。・・・・君を傷つけたくはない」
穏やかな声。
俺を突き放したその言葉。
篤が・・・あの一条が、俺を拒絶した。

 

Fin.



『城陽学院シリーズPart2』へ戻る