その後、俺と伊織先生に手を借りて引き上げられた慧生は、山林警備隊にしっかりとお灸を据えられて、先生とともに帰路へ着いた。
帰る間際、俺は先生から学校名とフルネームを再確認されたが、むろん、それがデートのお迎えの為などでないことは言うまでもない。
なんだか面倒なことになってしまった・・・やれやれ。
山崎も先生から応急処置を受けたのちに、警備隊に付き添われて帰って行った。
プライドの高い山崎は、自分で歩けるだの恥ずかしいだのと散々騒いでいたが、結局警備隊員におんぶされて帰ることになったようだった。
「原田さん、色々とご迷惑おかけしましたわね」
鞄を渡してやった俺に、改めて山崎が謝って来た。
「べつに構わねーよ。それより、変態の称号は取り消してくんねえのか?」
「そればかりは出来ませんわ。あたくし、嘘は好きじゃありませんもの」
「ああ、そうですか」
やっぱり食えない女だ。
江藤の永遠のライバルだけのことはある。
「いずれ、あらためてお礼に伺います」
ガタイのいい隊員の背中にしがみつきながら、恥ずかしそうに山崎は言うと、俺に背を向けた。
城南女子のお嬢様のお礼・・・悪くはないな。
そんなことを考えつつ、俺はさきほどから黙って隣を歩き続ける一条を見上げた。
真一文字に引かれた、形の良い唇。
この唇が俺に・・・。
一条が振り返る。
俺は慌てて目をそらした。
「原田?」
「無茶苦茶すんな、てめぇは」
目を見ないで俺は言った。
目が・・・見られない。
「ごめん・・・」
素直な謝罪が返って来る。
ホッとした。
いつもの一条だ。
俺は続けた。
「あんな真似して、あそこが本当の崖だったらどうする気だったんだ。お前立派な殺人未遂だろ? 心臓が止まるかと思ったぞ・・・」
「ああ、・・・あのへんはよく知ってるから、崖なんてないと判ってたし・・・あ、でもごめんね、原田に怖い思いさせちゃって」
そうだったのかよ・・・まったく。
「だったら別にいいよ、アイツもムカつくしな。」
いいクスリだったわけだ。
「一条・・・・なんか今日はいろいろ、ありがとな」
いろいろ。
一つはさっきのこと。
もう一つは旧校舎でのこと。
肝試し中に旧音楽室で出会った少女の霊と地震。
あのとき、もしも一条が助けに来てくれなかったら、俺はどうなっていたのだろうか。
いや、そもそもあの旧音楽室に行ったこと自体が、峰によるとあり得ない出来事なのだから、一条が同じ体験をしたのかどうかも判らないし、俺には一条が本当はあのとき何を見て、何を思ったのか知る由もないのだ。
あんなに必死になって俺を助けて出してくれた一条は、俺だけの記憶にしかいないのかも知れない・・・。
そう考えて、俺は自分が虚しさを感じていることに気が付いた。
「僕が原田の傍にいたいだけだからべつに・・・・あ、その割にさっきは行動が伴っていなかったけど」
最後の「伴ってない行動」が何を示すのか、すぐに気が付いて俺は焦った。
「クソサムいジョークはやめろ、キモいだけだぞ」
すかさずツッコミを入れるが、声に力が入っていない。
完全に失敗した。
これじゃあ却って意識していると認めているようなもんだ。
「そうだね・・・ははは」
けれど一条は、そこに付け入るような真似はしなかった。
公衆の面前で大胆な真似をしておいて、二人きりなのに俺を追い込もうとはしない。
考えたら告白のときから、こいつはそういう間抜けなヤツなのだ・・・。
「あ、そういや江藤はどうした?」
あれだけ山崎を心配していた江藤がここにいないのは不思議だった。
「それが途中までは来る努力をしたみたいなんだけど、例の二葉中の女の子の事件のときと同じで・・・」
霊がどうのってヤツか。
そういやここは自殺の名所だった。
しかも山崎によってレトロな伝説まで俺は知識をストックされていた。
「まったくアイツは相変わらずだな」
その山崎は平気そうだったのに、江藤は近づくことも出来ないとは。
これは山崎ではないが、案外江藤がチキンなだけなのかもしれない。
日ごろのアイツを見ている限り、とてもそうは思えないが、人には得手不得手というものもあるだろうし。
それとも江藤は山崎以上に敏感ということなのか、・・・しかし、江藤によると、山崎は自分以上に霊感が強いと言っていなかったか・・・?
「あ、原田こっちだよ」
「おう、そこから上がってきたのか」
なだらかな勾配から遊歩道へ戻ろうとすると、一条が手を引いてきて反対側の道へ誘導される。
そっちは階段坂になっていて、木陰の向こうには送電線が見えている。
方角から言って、おそらく学園駅方向へ抜けられそうな気配だった。
一条がその手を握ったまま離そうとしなかったが、今だけは一条のしたいようにさせてやろうと俺は思った。
まあたまにはいいだろう、今日は特別サービスだ。
「そういや、結局あの進藤先生ってやつは一体なんだったんだ? 山崎とも知り合いみたいだったけど」
「女子大付属病院の先生だよ。詰所へ助けを求めに行ったら一緒に来てくれたんだ。あそこの先生達は、当番で山林警備隊にボランティア参加してるみたいだね。山崎とはどうやら、道場仲間らしいよ。江藤が教えてくれた」
だから”雪子ちゃん”か。
「ときどき肘を見てもらってる先生って、あの人のことだったのか」
「理学療法が専門らしいから、多分そうだろうね」
「おまけに騒ぎを起こした張本人が、自分の恋人だったってわけだ。そりゃ面食らっただろうな・・・」
俺とも変な因縁作っちまったみたいだし・・・まあ誤解だが。
「・・・・・・・」
「ん?」
不意に握ってくる手に力が込められ、俺は一条を振り返る。
「いや・・・なんでもないよ」
「なんだよ気持悪いヤツだな」
なんでもない。
と言いつつ、わざとらしく五指を絡ませてきた大きな手。
だが林はもう終わりだった。
学園駅に続く車道へ俺たちはすぐに出る。
まったく、さっきは何もしなかった癖に、こんなタイミングでこのバカは何を考えているのだろうか。
俺は構わずその手を振りほどく。
「原田君!」
それを見計らったかのように向こうから走ってくる江藤の姿が見えた。
「おう、江藤待ってくれてたのか」
「心配したのよ! 雪子追いかけて降りていったっきり上がって来ないし、携帯繋がらなくなるし・・・」
「んー、なんかあそこ圏外みたいでな・・・」
「そうなんだ・・・とりあえず、無事でよかったよ。雪子凄い怪我してたから、原田君もなんかあったんじゃないかって心配しちゃった」
「いやまー・・・」
色々とあるには確かにあったが・・・死ぬかと思ったし、気まずくなったし。
適当に言葉を濁しつつ、そういえば俺はつい先ほど皆の前で奪われたものが自分のファーストキスだったことに、今更気が付いていた。
そして、一条はどうだったのだろう、などと考えている自分を認めたくなくて、江藤と話を続ける。
できる限りバカっぽく。


fin.

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