立ち入り禁止のテープがなくなった国有林の小高い山を登り、頂上から町を見下ろす。
日差しが燦燦と降り注ぎ、眩しい木漏れ日が青々とした木の葉を輝かせた。
「病院の帰りかい?」
不意に声を掛けられる。
それこそ病院の帰りだろう、兄のクラスメイトがそこに立っていた。
手には百合の花束を持っている。
「どうしてあなたが?」
「君もこずえちゃんに会いにきたんだろう?」
花束を持つ両手には、いつぞやのムカデに噛まれたときの兄とは比べ物にならないほど、キツく締めた包帯を巻いている。
あたしが指した鋏の刃に傷つけられたからだ。
わき腹の傷はもっと深いと聞いている。
この坂を上ってくるのは、結構大変だったことだろう。
「また刺されますよ」
「君がそうしたいなら」
「変な人。・・・やっぱり変態ですね」
「美少女にそう言われると男はゾクゾクするって知ってた?」
あたしは本気で身構えようかと思った。
ところが男はその場に膝を折ると、木の根元へ花束を手向け、静かに包帯の両手を合わせた。
こずえが短い生涯を自分で閉じた、木の下で。
こずえが睡眠薬を服用していたと知ったのは、兄に言われて通うようになった精神科の待合室でだった。
よく一緒になる患者さんがあたしの制服を見て声をかけてきたのだ。
彼女は元々学校の教師をしていて可笑しくなり、仕事を辞めてそこへ通っていると言っていた。
こずえはここの患者だった。
長いすでときどき、ボロボロの教科書を開いて宿題をしているから、すぐに苛められっ子だと分かったらしい。
ここで処方される精神安定剤や睡眠薬の効果を借りて、こずえはなんとか通学していたというのだ。
そんなこずえが、最近ときどき笑うようになり、そして友人の心配をしたりしているから、もう大丈夫だと安心していたのだと、元教師の患者さんは言った。
だが、結果は違った。
あたしは携帯を開いて男に見せた。
「あ、峰のプリクラ」
「そっちじゃなくて、これ」
あたしの携帯が始めて鳴らした着信音。
友が最期によこした、一通のメールだった。
『まりあちゃん、昨日はいきなり押し掛けてごめんね。でもどうしてもまりあちゃんに会いたくて・・・。ここのところ元気がなかったから心配だったけど、まりあちゃん笑っててよかった。お兄ちゃんとも仲良くやってるみたいだね。二人が幸せそうで、見ててとても嬉しかったよ。まりあちゃんが泣いてるのは辛いから。いつも笑っててほしいから。まりあちゃんに会えて本当によかった。私は結局負けちゃったけど、まりあちゃんにはお兄ちゃんがいるし、いつまでも元気でいてね。あ、それと、勝手にメールを出してごめんね。同じ機種だったからつい送っちゃった。どうしても一言お礼が言いたくて・・・でも、電話をすると決心が揺らぎそうで。まりあちゃん、今まで本当にありがとう。そして、いつまでも笑顔でいてください。こずえ。』
それは少女が死の瀬戸際に打ったであろうにしては、ずいぶんと心安らかな文面だった。
そして本人のあずかり知らぬところで、残された者の心を残酷に抉り、貪り、鎖をかける。
どうして電話を1本くれなかったのか…そして、あたしは、どうして電話の1本もかけてやらなかったのか。
不意にハンカチが差し出された。
こずえの顔がダブって見える。
「この子は君のことが本当に好きだったんだね。そしてここまで思われるのは、もちろん君が同じだけ、この子に情が厚かった証拠だよ。峰に対してもそうだ」
お兄ちゃんに・・・?
「だって・・・何もかも知ってるんでしょ? あたしはお兄ちゃんを・・・」
「君はあきれるほど不器用なんだな。でも、それはけして君が冷たい人間ということじゃない。ちょっと表現の仕方が下手なだけだ」
「分かったようなこと言わないでください」
「分かってるさ、君よりは大人だもの」
「変態のくせに」
「ん?・・・君は随分、峰といる時と感じが違うな」
「今頃気が付いたんですか? お兄ちゃんはあたしの特別な人なんです。でも、お兄ちゃんといると・・・あたしは不安で、ちょっとだけ疲れてしまって・・・あなたといると、楽かもしれません」
「そうかい? だったら俺ともっと仲良くしてみる?」
「今度触ったら殺しますよ」
そう言うと、あたしは目の前のハンカチを受け取り、鼻を噛んでから男に返した。
fin
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