「びっくりしたなぁ」
1階のホールまで来たところで篤が言った。
男に追って来る様子がないと見ると、僕らはとたんに速度を緩めて、歩いて階段を降りていたのである。
「それにしても彼、こんなところで何していたんだろうね。僕はてっきり警察の人がまだ校舎をウロウロしているのかと思ったけれど、旧校舎なんて小城山さんの事件に関係ないし」
ストラディヴァリウス盗難事件は、朝倉の証言によってとっくに決着がついていた。
それに丸山(まるやま)刑事が逮捕を見送ったのだから、そもそもあの事件に裏付け捜査なんて必要ない。
「教育実習生って感じでもないなぁ」
壁に凭れながら大胆にも篤が煙草に火をつけた。
「やめろよ、彼が降りてきたらどうするんだ」
とにかくあんな説教するぐらいだから、あの男が教師であることは間違いない。
ということは校内での喫煙がバレたら、即停学である。
「これ、そんなところで何しとる!」
ほら見ろ言わんこっちゃない。
声の方向を振り向くと、よろよろと歩く細いシルエットが昇降口からこちらへ近付いてきた。
「宮下さん・・・」
軍手をはめていた白い右手にさきほどのビニール袋をガサガサと鳴らしながら、宮下氏は驚いた顔をして歩く速度を早くした。
「大漁ですね」
篤は呑気に煙草を咥えながら宮下氏に近付く。
完全に舐めているな。
「うわぁ臭ぇ・・・こんなもんよく拾う気になれますね」
ビニール袋にわざわざ顔を近づけて、篤が顔を顰めながら言った。
それを凝視すると、宮下氏は階段のある方向に視線を向けて、
「ああ良かった。君たちがここへ入ったきり1時間以上も出てこないから、何かやらかしてくれたんじゃないかとヒヤヒヤしたよ。しかし安心した。どこも剥がれてないな」
1時間・・・?
そんなに長く僕らは上にいなかったはずなんだけど。
「それより宮下さん、さっきここで見かけない人と会ったんだけど、あれって新しい先生なのかなぁ。アキぐらいの身長でハタチ過ぎぐらいの若い男の人。俺たちその人に怒られちゃった」
「何を言っとるんだ、ここには君たち以外誰も入っちゃおらんよ。どこかで居眠りでもしていたんじゃないのか?」
「そんなことないって。だってさっき3階で・・・」
「3階だと? それこそ馬鹿言っちゃいかん。上へ行こうにもほらこのとおり」
宮下氏は釘で打ち付けられた板の表面を、ボンボンと叩いた。
「えっ・・・」
僕と篤は一瞬のうちに、顔面を蒼白に変える。
「30年近く前にこの地を襲った大地震でな、この校舎は酷い被害を受けたんだよ。その地震で、就任したばかりの若い先生が一人亡くなっておる。彼は片足を倒れてきたピアノの下に挟んだ状態で発見された。そのせいで逃げ遅れちまったんだな。隣の教室から出火した煙を吸い込んで、そのまま息を引きとったそうだよ。気の毒なことをしたもんだ・・・。それから妙な事故が続いて起きてなぁ。以来、上の階へは誰も近付こうとせん。新校舎が建ってからは教室もすべて閉鎖し、階段への入り口もこうして封鎖されておる」
階段があったはずの空間には上から下までびっしりと板が打ち付けられ、上階への立ち入りは完全に遮断されていた。
それはあまりにも不自然な光景だった。
「それじゃあ一体僕らが見たのは、行った所は・・・」
僕と篤は互いの顔を見合わせると廊下をバタバタと走りぬけ、昇降口を出て、旧校舎が見えなくなるまで叫び続けた。
背後から追ってきそうな『月光』の調べが、耳へ入ったりしないように。
fin
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