「君達、そこで何をしているっ!」
振り返るなり、慧生が声を上げた。
「伊織……!」
「慧生じゃないか……、おいっ!」
呼び止めた男が顔色を変えて……暗がりでは確かにわかりはしないが、間違いなく顔を真っ赤にして猛突進してくる。驚いた祥一が身構えるよりも早く、男は祥一の右側……つまり慧生との間へ割って入り、繋いでいた手を引き剥がされて、慧生を彼の背後へ押しやった。そして祥一を振り返ると、激しい憎悪とともに睨み……暗がりでは視認出来はしないが、十中八九間違いなく、激しい憎しみをぶつけるように祥一を睨み付けた。いい迷惑だった。
「なっ……なんのつもりだ、今のはっ……」
「いや別に……」
案内人が入り口で岩場に挟まるほど、鈍臭く足手纏いだったので……などと迂闊にも彼の恋人をディスろうものなら、短気なお医者さんの怒りの焔へガソリンを注ぎかねないと察し、祥一は途中で口を噤む。この中途半端さが誠意の欠如と相手にとられてしまった。
「人のっ……イチャついて、別にってなあっ……」
興奮のあまり進藤伊織(しんどう いおり)ドクターは一時的な言語障害へ陥っているようで、祥一は苦手なコミュ障を押しつつ、言葉を選ぼうとした。
「ですから、俺は二次災害を未然に……」
「さっきから君は、何を意味不明な……っ」
あなたよりはましだ……と言いたい気持ちをぐっと堪え、祥一はふと視線を傍迷惑なカップルの背後へ向ける。灰色の上下に身を包んでいる男達と、紺色の上下に同色のキャップを着ている男が、何事かを話しながらこちらへ向かっている。灰色の隊服が小走りに進藤の名前を呼んで飛び出してくる……その手には何かが握られていた。よく見ると紺色の制服の男はシェパードを連れており、キャップには白線が入っていた……警察と警察犬だった。ということは灰色の方は、山林警備隊ということだろう。
「進藤先生、畑の中にこんなものが落ちていました……あっと、こちらは?」
「俺の連れで、行方不明者の友人だ……ネックレスだな。これだけでは男物とも女物ともわかりはしない」
「警察犬が見付けてくれたんですが、ひょっとしてこれ……」
進藤へ近づき肩越しに手元を覗いて息を呑む……見覚えのあるデザイン、何かのイミテーションらしい派手なカラーストーン……思わず腕を伸ばして手に取った。
「これ……一体どこで……」
忘れるはずもない。彼がこれを付け出した頃から、秋彦は急速に一条篤(いちじょう あつし)と接近していった。なんとなくそれが、一条の贈り物であることを察していたが、それを本人へ確かめる勇気はなかった」
「君っ、勝手に……」
「秋彦のですよ、……ねえ隊員さん、教えて下さい! これをどこで拾ったんですか?」
「あ、ああ……ええっと、あの畑の中……納屋の前あたりを通っている側溝だよ……お、おい、待ちなさい! 暗いから走ると危ない……、君っ……!」
話が終わるまえに、そこいらの山林警備隊員よりも、遥かに正確な地図が頭に入っている祥一は、竹林の入り口にいた道を引き返し、まっすぐに西峰寺所有の納屋を目指して、全速力で駆けだした。
緩やかな坂を駆け下り、畑の傍らに作られた細い農道を進む。連善が言っていた通り、確かにこの道を進んで行けば一旦は山に入るが、途中で先ほどの竹林とも合流しており、その先には住宅街も存在する。だが、住宅街へ向かうなら、竹林の道を歩いた方が街灯もあるし、近道とはいえ、子供でもない人を背負って歩くには、あまりに足場が悪く、農道を進むことは利便性でも安全面でも不自然だ。もう少し疑問を持って貰いたかったと、連善に対して不満を抱いたが、この春まで本山に籠っていた僧へ恨みごとを言っても仕方はない。畑を囲む農道を曲がり、ネックレスが落ちていたのであろう側溝に沿って進む。目前には黒々とした、明かりも灯っていない納屋が見えており、その周りには早くも警備隊員達が集まっていた。拉致犯と被害者が中にいると思われるのに、一体こんなところでなぜ手を拱いているのかと思って入り口へ近づくと、途端に屈強な男から止められた。
「危ないから戻りなさい」
先ほどまで一緒だった進藤や警備隊員よりも、ずっと大きな影だと思えば、制服が紺だ。略帽の白線は細いが二本……警察の巡査部長だろうか。聞くところによると、進藤も暇さえあれば、道場で鍛えているらしいが、さすがに本職の若い警官は背も高く、筋肉の作りがまるで違った。胸も肩も相当な厚みがあって巌のようだ。幼い頃から苛められっ子だった妹を守るべく、上級生相手にさえ取っ組み合いの喧嘩も珍しくなかった祥一だが、行く手を遮るその男は、特定の訓練を積んできたわけでもない、たかが学生の自分がどう頑張っても押し退けられる気がしなかった。諦めて彼に直接疑問をぶつける。
「どうして入らないんですか?」
「入りたくても簡単には入れないんだ。南京錠が掛かっている」
「そんなもの、どうとでも取り外せば……」
言い掛けて気が付く。中から鍵が掛かっているのではなく、外から南京錠が掛けられていると言っているのだ。
「ここじゃない可能性が高いのに、むやみに錠を外すわけにいかないだろう。だからといって、他に被害者を隠せそうな場所も、すぐには見つからないし……」
警官が建物に視線を戻して、思案を口にする。祥一は納得して入り口付近を離れることにした。
巡査部長らしき大きな男と分かれ、他の隊員にも呼び止められないように一旦農道を引き返した祥一は、途中で斜面を駆け上がり、迂回しながら建物の裏手へ向かった。幼い頃、この辺りで妹と遊んでいた記憶を頼りに、暗い足元を急いで進む。斜面の上は、呆れるほど警察も警備隊も無警戒だった。
凹凸の激しい山肌を上がってほどなく、行く手に古びた木造の建物が現れ、祥一は正面に見える引き違い窓へ近づいた。見た目は一階に見えるが、斜面を利用して建てられている構造上、二階の高さにいる。老朽化の激しい窓に手を掛けながら、一縷の望みに希望を託した。もしもこの納屋を秘密基地にしていた当時のまま、修繕もしていないとすれば、目の前の窓から、侵入が可能だ……その通りであれば、霜月(しもつき)と思われる誘拐犯の広中(ひろなか)も、同じ経路を使えるのである。
ザラついた木枠に指先をかけて、上下左右に動かしてみる……ほんの数秒で、鈍い衝撃とともにサッシがレールを外れて、枠から窓が抜けた。それを静かに足元へ下ろし、一層暗い建物へと突入を果たす。物音に細心の注意を払って、積み上げた土の袋をステップに、二階の高さにある窓から床へ降りた。
幸いに、建物内も幼い記憶とほぼ違いはなく、お世辞にも片付いているとは言い難い納屋の中を、用心深く進んだ。保管している農機具や肥料、腐葉土などの配置もかつてのままで、闇に目が慣れてしまうと、昼間のように身体が動くようになる。物陰から慎重に顔を覗かせ、祥一はハッと息を呑んだ。
手足をロープで縛られぐったりとした秋彦の口元に、広中が背後から掌を押し付け、顔は納屋の入り口を向いて引き違い戸を睨みつけていた。秋彦の口元には、痛々しい猿轡さえ巻かれている。そのとき、不意に秋彦がこちらへ視線を向けたような気がした。祥一はそっと自分の口元へ人差し指を立てる。辺りへ視線を巡らし、整理棚から充電式の小型電気ドリルを手に取ると、入り口隣の壁に狙いを定めてそれを投げつけた。標的の壁には届かなかったものの、途中にある棚の上から二メートルほど下の床面へ、小石が一斉に流れ落ちた……どうやら妙な具合に角度が決まって、幸助が保管していた軽石の大袋に、ドリルの先端が刺さって破れたようだった。
「な、何だ……っ!?」
ガラガラと音を立てて流れ落ちる石に気をとられ、広中に一瞬の隙が生まれたのがわかった。祥一は地面を蹴って一気に飛び出す。
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