『ピンクとメタリックのジェラシー』


「あっ……そこ……っ」
 首筋にかかる生温かい息遣い。
「ここか?」
訝しそうに耳元で訊いてくる男の声が擽ったい。
「もう少し右……そうじゃなくて……」
 ゾワリとした敏感な皮膚感覚を堪えるようにスマホをギュッと握りしめ、苛立ちの籠った声で即座に否定する……どうしてうまく伝わらないのか。折り重なるように腰を密着させてソファの背凭れに覆い被さり、夕食時のレストランにある個室の暗闇で、葛藤を続ける男が二人……一体なぜこんなことになったのだろうかと、全裸に近い俺、原田秋彦(はらだ あきひこ)はこの数日間に起こった出来事に思いを巡らしていた。


 早番でバイトに入っていた『Cappuccino』へ峰祥一(みね しょういち)がやって来たのは、ランチタイムのラッシュもすっかり終わり、店内が落ち着いてきた午後二時過ぎのことだ。
「あれ……、ちょっと早くね?」
「寄るところがあった。漢文が休講になったついでに出て来たんだ。ブレン……ド……」
 入り口付近のテーブル席へ腰を下ろしながら、峰はコーヒーを注文する。元から口数は少ない奴だが、語尾の不安定さが気になって俺は伝票から目を上げた。
「ああ……なんか今日、タウン誌の撮影があるんだと……つっても俺も出勤して初めて知ったから、詳しいことは知らねんだけど」
 パキュラの向こう側へ向けられている峰の視線に気が付き、俺は教えてやった。
「『おさんぽ日和』か?」
 そう言って固有の名前を俺に確認した峰に瞠目する。
「そうだけど……一発で当てたな。まさかお前、タウン誌を毎月チェックしてるのか?」
 キャラに合わない意外なミーハーぶりに感心だ。
泰陽(たいよう)市のタウン誌は、峰が言った『おさんぽ日和』と、『泰陽マガジン』の二誌存在する。どちらもフリーで駅や商業施設などのマガジンラックへ設置されているが、クーポンが充実している上に、求人情報誌まで兼ねている『泰陽マガジン』の方が、需要も発行部数も圧倒的だ。目の前にいる峰も、ファミレス『ga/gao(ガ・ガオ)』のバイトを決める際、『泰陽マガジン』を片手に俺の目の前で面接の電話予約をしていたことを記憶している。
 逆に『おさんぽ日和』は流行ファッションや行楽地の情報をベースとして、巷のミステリースポットランキングに最新の都市伝説情報、お洒落なラッキーチャーム特集等、記事に個性を出してはいるが、どちらかというとターゲットが女子高校生向きのイメージがある。
 ソースは発売される月始めに必ず『おさんぽ日和』が通学鞄に入っていた江藤里子(えとう さとこ)だ。
「いや、そうじゃないが……お前今日は四時あがりだったな? またあとで出直す」
「そうだけど……ちょ、ちょっと何だよ、いきなり……」
オーダー直後に出口へ引き返そうとする男の対処に戸惑っていると、不意に峰の向かう先でガラスドアがベルを鳴らしながら勢いよく開いた。
「いらっしゃいませ!」
「あっと、いらっしゃいませ……」
カウンターの奥からオーナーが威勢の良い声で挨拶をしつつ、わざわざ玄関まで来店客を出迎えにやって来る。俺も慌ててドアへ向かって挨拶をし、下げた頭を戻したところで、渋面を滲ませたまま、まだ店内に残っている峰の整った面に気が付いた。入り口へ向けられていた視線が、入って来た人物の移動とともに、徐々に奥へとスライドする。
「おやまあ、こんなところでサボッてるなんて珍しいなあ……感心、感心」
 よく似た顔立ちに目が釘付けなっていた俺は、形の良いその口から飛び出す、随分と間の抜けた台詞へ唖然とした。
「そうじゃありません、教授の都合でたまたま休講になっただけです。四限にはまた大学へ戻ります」
「それでわざわざ電車に乗ってここまで来たの? そのままサボッちゃえばいいのに、真面目なんだから……ねえ」
「ああ、いや……その」
 唐突に会話の矛先を向けられて言葉を濁すと、相手はこれもまたとりわけそっくりな、けれど若干皺が多めの目元を意味ありげに細めて微笑みを残し、彼に先だって奥の予約席へと向かっている、共に来店した一団を追った。
間もなく『Cappuccino』では、タウン誌『おさんぽ日和』の不定期連載企画、『祥隆(しょうりゅう)講話』の取材が開始された。

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