峰祥隆(みね しょうりゅう)は西峰寺(さいほうじ)の先代住職であり、ルポライターとして雑誌やテレビでも活躍している、泰陽市を代表する文化人の一人だ。そしてここにいる峰祥一の祖父である。峰家の一族らしく容姿端麗であり、喩えて言うなら、年をとり、なおかつ日焼けしてフットワークが軽くなった、にこやかな峰祥一の将来像といったところだろう……そんな将来像が本人にあるのかどうかは、ともかくとして。
 とはいえ、一見したところはせいぜい四十代半ばにしか見えないほど印象が若々しい、還暦をとうに過ぎたチョイワル紳士だ。
 この日『Cappuccino』で行われた取材は、祥隆氏が『おさんぽ日和』で受け持っているインタビュー形式のコラムで、記者が祥隆氏に話を聞く形式で、ついでに市内のレストランやカフェを紹介する、広告を兼ねたものらしい。店にはレポーターの村木(むらき)なお嬢の他、彼女の姉であり、編集長兼カメラマンの、村木友華(むらき ともか)女史、祥隆氏、そしてケーブルテレビ『泰陽ステーション』のプロデューサーだという、八坂千寿(やさか ちとせ)氏が来ていた。
 この機にちゃっかりと、春の新メニューを全てテーブルに並べ、抜群のアングルや照明効果、日頃はそこにない色鮮やかなフラワーアレンジメントとともに撮影させた取材は、小一時間ほどで終了した。その間『泰陽ステーション』の八坂プロデューサーは、カウンターで待機しながら誰かと電話で話しつつ、ときおり同僚ウェイターの香坂慧生(こうさか えいせい)を捕まえて、四月後半から始まる当店のキャンペーン、『春のCappuccino祭り』について、あれこれと質問していた。その度に、「誘惑したって駄目だからなっ」だの、「僕には伊織(いおり)っていうれっきとした恋人が……」だのと、顔を真っ赤にしている慧生のリアクションは、八坂氏からニヤニヤ笑いとともに終始綺麗にスルーされながらも、再三に亘って質疑応答だけがリピートされていた。本当に『春のCappuccino祭り』に関心があったのか、それとも途中から慧生で遊ぶという目的に移行していたのかは悩むところだ。とりあえず八坂プロデューサーが『おさんぽ企画』の取材とは関係なく来店したらしいことだけは、俺にも理解できた。
 『チェリーシュークリーム』、『チェリープリン』、そして『チェリーティー』から構成される、新作セットメニュー『チェリーコンボ』に関するオーナーの力説から取材がスタートし、開口一番、彼が発した宣伝文句によって、恥じらい深い女性陣の表情は凍りついた。「来たれDT諸君」というそのアンキャッチーなキャッチフレーズは、野郎従業員しかいない当店にて、メニュー開発中の厨房という狭苦しい空間において、オーナー自ら自信を持って発せられた、本人曰く「フレッシュなスイーツに冠せられる、フレンドリーかつピリリとスパイスが効いたパンチのある名句。甘いだけではないところがいい」らしいが、想像するところそのパンチがオーナー以外の同性従業員各員を撃沈させるばかりか、当店のメインターゲットである可憐なJK達の熟れ桃ほっぺを赤面させ、コンサヴァティヴなお姉様がたを困惑させてしまうセクハラにして、何よりも従業員に対して大いなるモラハラ発言であることを、スタッフを代表して、わたくし、原田秋彦はここに宣言する(キリッ)。尤も、客層観察眼についての精度のほどは、所詮はDTの脳内フィルターを通してのものであるから、保障の限りではないことも付け加えておくべきだろう……。
 とりあえず、DT同志諸君とて敵に回すこと相違ない、パンチどころか地雷並みの威力を発揮しているのだと、厨房ではオーナー以外の全スタッフからさえも非難轟々の悲鳴が続出していたが、ワンマン経営の個人商店において、雇われフタッフの発言権などなきに等しいことは言うまでもない。「来るなと言っているんじゃない。むしろウェルカムなのに、問題などあるわけがない」という反論と、相変わらず「ピリリとスパイス」だの、「フレンドリー」だのという、これも本人がすっかり気に入ったらしい謎のレトリックが続き、セットメニューの完成度と共に、終始ご満悦だったオーナーの自信に満ちて堂々たるぶった切りによって、争議は乱暴かつ唐突に収束した。結果がこのざまである。
 間違いなくコンサヴァティヴで恥じらい深き友華女史の、ゴミを見るような視線とともに、冷ややかな空気のなかで開始された取材。ホールの俺や慧生、厨房からときおり店内を伺うパティシエの名和真人(なわ まさと)の心配を余所に、我が道を行軍するオーナーとクールな村木姉妹の会話は、耳を澄ますぶんだけ、心臓に悪いことこの上ない、それこそピリリと張りつめている緊張に満ちたものだった。しかし徐々に話題が転じるとともに軌道が修正され、ミス・コンサヴァティヴの声から剣が取れて、俺達はやれやれと胸を撫でおろしながら、自らの仕事へ戻っていった。
 最終的には、泰陽市のレイラインや日米両政府が抱えている未確認飛行物体極秘ファイルと、その謎を握る諜報員の常連客にまで話が膨らんだ『おさんぽ日和』の取材と撮影が無事終了したのは午後四時過ぎ。
「ご協力頂き、ありがとうございます。お邪魔致しました」
「いやいや、こちらこそ。また来月、キャンペーンあるんで、是非宜しくお願いしますね」
「どうも」
 そつのない笑顔とともに、ちゃっかりと売り込みを忘れないオーナーへ、女性陣からこれといった返答がないことを、彼がどう受け止めたのかはわからないが、表情を見る限り意に介しているとも思えない。
 ふと、妙な視線を感じた。
「ええと、何か……」
「そうそう……いいね、それそれ!」
 内心、首を傾げつつ視線の在り処を向くと、破顔した八坂氏がパンと手を打ち、そして人差し指を人へ向けるという失礼を実行しながら、明るい声音でそう言った。指先はこちら……俺を差している。
「俺?」
 うっかり敬語を忘れてそう訊き返すなり、八坂氏はストゥールからひょいと降りて、まっすぐ近づいてきた。
「ねえ、そう思いません祥隆さん? 彼ですよ、彼。うん、いいよ〜。バッチリじゃないの。……ああ、ちょっと右が今イチかな、でもまあ上手(かみて)に立てば問題ない」
「お、おい、一体何なんだよ、あんた……ちょっとっ!?」
 人の周りをグルグルと二、三周は速足に歩行し、上から、下からと忙しなく首を動かして、時には両手の親指と人差し指で作った即席フレームを近づけたり遠ざけたりさえしながら、観察及び勝手な評価まで加えて、祥隆氏に同意を求める。無遠慮を超えて、その無礼さ加減は勤務中のウェイターという立場を俺に忘れさせてくれた。思わず声を荒げそうになっていたその瞬間、ポンと肩を別の男に叩かれ、危ういところで従業員としての懲戒を免れる。八坂氏が呼びかけた、峰の祖父さんだ。
「まあ、確かに秋彦君は、人見知りが強いうちの孫が夢中になって追い掛け回すぐらい魅力的だからね。けど、どうかなあ、本人の意思確認も必要だし、たとえ秋彦君が良くても、気難しい孫が何て言うか……ねえ?」
「いや、あの……一体これは」
 話が皆目見えてこない。そして、同性愛へ走ろうとしている孫への寛容と、それ以前に自分と峰の関係をどこまで祥隆氏が察知しているのだろうかという、思いがけない疑心暗鬼が一気に胸へ込み上げ、あらゆる疑問以前に困惑が先だって俺を口籠らせた。
「へえ、あのまりあちゃんを虜にさせるとは、罪深いねえ美少年!」
「そんなこと言っても駄目だからなっ、いくら僕が美しすぎても、スカウトなんて伊織が知ったら何て言うか…………」
「どういうことだ。俺はまりあから何も聞いていないぞ」
 八坂氏の恐らくは常識的な勘違いが、店にいる美少年と美青年をさらに誤解させ、会話がカオスに突入しかけていた。己の疑心暗鬼は脇に置いて、ひとまず話の整理が必要だろう。
「あの、……要するに何かのお誘いを頂いているのだろうかとは思うんですが、そろそろ目的を伺っていいですか?」
「デビューだよ、デビュー! 君、芸能界に興味はない?」
 この八坂という男は、どうにも説明が足りず、それでいて勢いとノリが先行する、中年のおチャラケ御仁と見受けた。そして、俺はこういうノリがけっして嫌いではない。
「芸能界って、ちょっ……! またまた〜、そんなこと言って俺を脱がそうったって駄目ですよ。AV出演するほど、金に困っちゃいませんから」
軽いノリかつ、芸能界という、非現実的なフレーズへ思わず吹き出しそうになり、つい俺も同じようなノリで返してしまう。
「ハハハAVか! 汁男優でいいならいい監督紹介するよ。なんと謝礼千円! 交通費プラス性病検査料込でどうだい?」
「え……汁男優ってそんなに待遇悪いんですか?」
 交通費どころか性病検査料まで自腹切っちゃったら、超マイナスじゃないか。でもまあ、健全な業界存続のためには必要なことだろう。
「何言ってんの、いずれは憧れのAV女優とエッチできるかもしれないんだから、何にしろ下積みは当たり前でしょうが。いきなり稼ごうったって、そりゃあ無理な話だよ。ちなみに好きな女優は?」
「いや、俺はどっちかっていうと、アマチュア物の隠し撮り系が……って、何白状させてんですか」
「ハハハ、マニアだなあ……ちなみに、俺はハニー希美(はにー のぞみ)一択だけどね。いやぁ、しかしイケメン君なのに面白いねえ、君。気に入ったよ」
「そっすか、どーも。俺、貧乳好きなんでたぶん八坂さんとは趣味合いませんけど」
 ハニー希美は確かに美人でスレンダーだが、Hカップが売りだ。おっぱいに埋もれたい夢がない俺には苦手なタイプであるが、あの垂れ乳が自前なのか、詰め物によるのかはちょっと興味がそそられる。日本人で極端な爆乳が存在するとも思えないが、今どきは発育のいいお嬢さんが多いのでなんとも言えない。
「嬉しいなあ、もう名前覚えてくれたの?」
この八坂という男、どこまでいっても懲りない中年のようである。
「で、一体何なんですかねえ……汁男優なら、やりませんよ」
 会話は楽しいが、そろそろ本題に入ってほしい。こっちはまだ仕事中なのだ。客とのコミュニケーション&カンバセーションとはいえ、いつまでも猥談を続けていると、またしても懲戒の心配が現実的になってしまう。
「椎野(しいの)めぐみとデキるかも知れないのに?」
「っ……『百合学園Part2』は名作でした」
 屈指のヒット作登場に、俺の心はまた揺れた。八坂P、相当デキる男である。
「つくづくマニアックだねえ、まあ、めぐみちゃん可愛いよね」
 ドストライクを突かれた俺は、到底趣味が合わないだろうと決めてかかっていた八坂氏の固い利き手を即座に両手で包み込んだ。スピーディーに二回振りおろしたところで、強い咳払いが背後から飛ばされる。
「……その辺にしてくれないかなあ、うちは”健全な”カフェなんでね」
 声の主を振り返ると、形容詞の部分を強調しながらオーナーが苦笑している。続いて店内へ視線を巡らせば、テーブル席にまだ数名残っていた、『Cappuccino』のメインターゲットたる若い女性客達が、殺す勢いの強い視線で俺と八坂氏を睨み倒していた。間もなく十五分間の休憩を貰い、彼らの話を改めて伺うことにする。
 俺はというと、オーナーに借りたバックヤードへ移動しつつ、店内でDTを連発してミス・コンサヴァティヴを冷笑させた男が言うところの「健全」なるものが、果たしていかなる定義付けのなされたものであるのかが少々疑問だと考えていた。

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