天気に恵まれた週末、西陽(さいよう)稲荷神社は、いつにない人出に賑わっていた。朱塗りの大鳥居へ続く参道には、たこ焼きに焼きそば、金魚すくいにヨーヨー釣りといった出店が並び、赤を中心としたテント屋根の背景には、満開に咲いたソメイヨシノの並木が目に映える。
ここは県内屈指の桜名所でもあり、初詣と共に、日頃は閑散とした参道がもっとも賑わう時期のひとつでもある。その為、参道の外れにある『Cappuccino』の書き入れ時とも重なるのだが、八坂氏の依頼を受けた祥隆氏自ら頭を下げられると、オーナーも否とは言えず、俺に公休扱いで突発休を許してくれた。
「しっかし、テレビ撮影ってのは本当に時間かかるもんだなぁ」
用意された少し大きい黒服に、移動車の中で着替え、まだ人の少なかった参道へ放り出されたのが、今から三時間前。テキヤの設営をぼーっと眺めながら、やることもなく砂利道をひたすらウロウロ、オロオロと、今までほっつき歩いていただけだ。
二時間前には、日頃お目に掛かることもなさそうな珍しい高価なカメラを覗き込み、ADの青年からどやされた……素人が見ているだけで、螺子の一本も外れてしまう、デリケートな代物らしい。その後は機材にも近寄らず、けっして触らず、なかなか開始されない撮影を、ただ待ち続けていた。
そして、ポケットの中を意識しつつ、結局、共に参加を引き受けた峰がいないことに気が付いた。俺が着替えていたワンボックスよりも、大型の車両からのっそりと出て来た男に気が付いたのが、その三十分後。
「よお」
背後からかけられた馴染み深い声で振り返る。
「あんた誰ですか」
そして、ゆっくりと近付いてきた峰のいでたちに、俺は質問を発した口を、そのままあんぐりと口を開けて固まった。
どれもサイズにぴったり合った黒いベストと黒パンツ、そして光沢がかった黒シャツ、スタイリング剤で自然に撫でつけられた、少し癖のある焦げ茶色の髪、確実に形を整えられた両眉と僅かにメイクを施された面……彼にだけ、プロのスタイリストが付いていた。衣装も、確実にあっちの方が高そうだった。
「ああ、いたいた峰君。ちょっと打ち合わせするから、こっち来てくれる?」
「はい。……じゃあ、呼ばれてるから」
「おう。いってら……」
再会した途端に忙しそうな奴を見送る……なぜかあいつだけ段取りが必要ときた。
「……ですよねー」
ずっしりと敗北感を噛み締めつつ、再び足元の砂利カウントという無為な作業に戻る俺。何がデビューだ、適当なこと言いやがって。
「渡しそびれちまったなあ……また、あとでいいか」
そして握り締めた小さな金属をもう一度パンツのポケットへ押し込んだ。
爪先に八坂ペテンPへの呪詛を込めながら、参道の砂利をより分けること、もう三十分。ふと顔を上げた視線の先へ、少しも身体に合っていない、非常に安っぽい、すなわち絶対に自分と揃いで用意された黒服姿をもう一人見付けた俺は、即座に満面の笑顔を滲ませた。そしてペテンPが、峰の祖父さんの伝手で、俺達よりも先にこの仕事を引き受けた人間がいると言っていたことを思い出す。
自分達とあまり変わらない年格好は、なるほど彼がその数日先輩氏であることを俺に確信させた。
「やあ。俺、原田。君は?」
「……」
慧生よりも華奢な肩をポンと叩きつつ振り向いた面に、俺は少々戸惑った。
「あ……ええと、は、はろー……?」
長めの髪は峰と変わらないぐらいの自然な焦げ茶色だが、平均的大和民族よりもやや浅黒い肌に中高い小さな丸顔、なによりもはしばみ色の瞳……どう見ても純粋な日本人ではない。
彫りが深い目元の、明るい色の瞳が一瞬見開かれると、次の瞬間、キッと睨まれた。
「え……?」
「フン」
そして、これも慧生と被るような、少し高めのハスキーな声でそう吐き捨てるように悪態をつくと、ふいっと顔を背け、そのまま移動車の方向へ立ち去ってしまう。
「え、えぇ……?」
失礼極まりないファーストインプレッションに茫然とさせられ、しかし直後、人の好い俺は冷静に考え直した。
恐らく彼は日本人ではない。祥隆氏は仕事でアジアを中心とした各国を訪問しており、語学も堪能であるため、そうした中で知り合った国際的な友人の息子か何かなのだろう。たまたま日本を訪問中の彼が、祥隆氏の依頼を厚意で引き受けたというわけだ。だが、馴染みのない日本語で突然話し掛けられ理解ができず、恥ずかしさで上手く対処できなかったのだろうか……それでも睨みつけられた説明にはならないが。
「何、泣きそうな顔をしている?」
ふたたび、立ち去った方向から戻ってきた峰に声をかけられた。
「なんでもないやい!」
鼻を啜りながら答えると、なぜか肩を抱き寄せられた。訳がわからず隣の男を振り返ると、至近距離に見える耳から首筋にかけて真っ赤に染まっている。
「俺を萌え死にさせる気か」
「意味不明だ」
とりあえず、暑苦しい腕を振り払い、ささくれ立った神経を収める為にその場を立ち去ろうとするが、空気を読まない男がしっかりと隣を並んで歩きだした。仕方がないので、イケメン特権の存在証明とヒエラルキーによって構築される現代社会の理不尽さ、結果として、あからさまに差別を受ける非イケメンのやりきれなさを一心に彼へぶつけた。怒りにまかせて当のイケメンに不満を訴えつつ、俺の頭は徐々に冷静さを取り戻していた。
「一般的に言って、現代日本社会ではイケメンの次に優遇されるのがガイジンだろう? つまりさ、古来連綿として受け継がれるカースト最下層に置かれた大多数の男性諸君は、頂点の貴族様よりも、すぐ目の前にいる自分よりも背が低いけど優遇されてるガイジンの男を憎みやすいってわけだよ。ということは、これは巧みに仕組まれたディバイド・アンド・ルールじゃないかって、俺は思うわけ」
撮影現場という大人社会に持ちこまれた陰謀が見え始めていた俺は、目を輝かせながら力説したが、カースト頂点に立つ男の心には残念ながら響かなかった。
「お前が何を言っているのかさっぱりわからんが、あの外人は祖父さんが連れてきたブラジル人だぞ。正確には日系四世だがな。ああ見えて中々の御曹司だ。面白いことに、俺達の後輩でもあるらしいぞ。それから、カーストは様々な社会に存在するが、もしもお前が有名なインドの身分制度を引用したつもりなら、頂点は貴族じゃなくて司祭だ。あと、陰謀論はルサンチマンの進化形態にあるもんだ。妄想はほどほどにな」
「俺とお前の後輩ってことは、つまり年下で城陽に通ってるってこと? へえ、留学生なんて入れるようになったんだ。ところで、ルサンチマンって?」
峰は高二の四月まで名門二葉(ふたば)学園に通っていたくせに、わざわざ退学届を提出して低偏差値の城陽に編入してきた変わり種だ。俺と峰の共通学歴はそこがスタートで、現在は大学一年であるから、その日系ブラジル人とやらが現在城陽に通っていることはすぐに特定できた。
「ようするに、負け犬根性に呑み込まれるなと言ってるだけだ。ブラジル人については留学生ではなく転校生だそうだ。四月から泰陽市在住の親戚の家に引っ越したようだな。」
「それはまた、不思議な縁ですこと。……で、ルサンチマンって?」
「キルケゴールやニーチェだ。イメージしにくいなら、お前の友達の香坂慧生を見ろ。というか、ディバイド・アンド・ルールなんていう政治用語がわかっていて、ルサンチマンをなぜ知らないのか、その方が謎だぞ」
「ああ、ちょっと慧生っぽいよな、あのブラジル人。……っていうかなんとなく、ヒーロー物みたいじゃね、ルサンチマンって?」
「ブラジル人の話で香坂を引き合いにしたわけじゃなかったんだが……そういえば、そういう戦隊物をK大のアニメ同好会が自主制作したことがあったようだな。嫉妬や恨みへ囚われ、自身を正当化せんがために他者を否定する。負け犬根性だけを原動力に社会改革まで狙えるなら、ある意味大した革命成功かもしれないが、傍から見てれば愚かで滑稽ってもんだろう。大抵の場合、それは無益な悪あがきに過ぎず、えてして真の問題から目を背ける逃走に陥り易い。ただの論点ずらしってわけだな」
「なるほど、闘争ならぬ逃走ってわけだ。なんだか深い映画みたいだな」
「お前にしちゃあ、上手いこと言うじゃないか。いや、映画そのものは単なる軽いコメディのようだぞ。俺も見ちゃいないんだがな」
「見てないのかよ……ところで、ルサンチマンって?」
「これだけ言ってわからなければ、あとは自分で調べてみろ。お前の部屋に置いてある、机の上の箱は、知識溢れる世界と繋がっているんだぞ。たまにはjustin.comやXfilmのような違法アップロードサイトから離れるんだ」
最後にggrksと冷たく言って友達甲斐のない峰は、テキヤで100円払うと射的を始めてしまった。どうやら青ワッパのマスコットが欲しいらしい。大方まりあちゃんへのお土産なのだろう。
Xfilmで妹モノを漁りまわっている男からえらそうに言われる筋合いはない。お前のC及びDドライブをさらけだして、まりあちゃんが悲鳴を上げずに青ワッパを受け取るのかどうか、はたして怪しいものだ。そもそもjustin.comはともかく、Xfilmを知っている時点でお前も同罪だろうと心の中で憤慨しつつ、引き続き俺は大人しく撮影開始を待った。
そして、このときの俺が特別に粗雑な扱いと受けたわけではないらしいことが、直後に発覚する。最初に峰だけが重用されたように見えた、彼の装いとミーティング参加については、スタイリスト女史曰く、以下の通りである。
「用意していた揃いの衣装が、あの子に合わなくて……だって、八坂Pったら、みんな中肉中背だって言うんだもの、会ってみたら全然違うじゃないの。キミはほっそりしてるし、ハーフの子に至っては結局裾上げが必要だし。二人はどうにかなったけど……でもねぇ、峰君なんて、そもそもパンツの丈が全然足りないから、祥隆さんに用意していたボツ衣装を使うことになっちゃったのよぉ。ほんと、困るわよねぇ」
なるほど、全ては八坂Pのいい加減な伝達が災いした顛末らしい。さらにミーティングについては、元々俺を呼ぶ予定だったらしいが、話を聞いた峰が出しゃばったというのだ。
「あれは打ち上げについて訊いてただけよ。ほら、今どきの子ってアレルギーとか好き嫌いとか激しそうじゃない。Pがそういうの確認しといた方がいいから呼んで来いっていうから、原田君探しに行ったら、秋彦のことなら何でも知ってるから、自分が行くって峰君が言いだして……ひょっとして幼馴染? そうでもないなら、あれって一体……」
藪蛇を突く、あるいは飛んで火にいるなんとやら……とにかく、顔から火が出そうとはこのことだった。
スタイリストのお姉さんに冷やかしめいた視線を受けつつ、焦りまくりながら俺は退散した……その結果、この会話が体よくあしらわれていただけだと判明したのは、番組がスタートしてからのことだ。
スタイリスト女史と話している間に、現場が急に慌ただしく動き出し、間もなく他の出演者……つまり、祥隆氏とナントカミユキという女性タレント、数年前まで東京キー局でアナウンサーだかレポーターだかを務めていた男性司会者某氏がやって来た。要するに、祥隆氏以外はいずれも微妙な経歴と知名度の持ち主というわけだが、会場に集まった参加者からは、それなりに声援が送られていた。
華やいだ雰囲気の中、番組が進行していき、いよいよ俺達の出番がやってきた。
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