それから幾月かの時を経て、風雅は我々の仲間に加わった。
結局、藤林料理長と佐々ソムリエ長は、件の立ち話の後すぐに支配人へ掛け合っていたらしい。
二人のベテラン社員から話を聞かされ、驚いた支配人は、既に帰宅していた馳部チーフマネージャーを電話で呼び出したうえで、彼らとともに改めて詳細報告を聞きだしたという。
その結果、事態は二転三転を繰り返した。
風雅達が豪遊した代金は、私の一括負担からひとまずグランドイースタンの損金扱いへと収まった。翌日には、本人から話を聞いた狩尾修平が、例の顧問弁護士を通じ、さらに慰謝料上乗せの支払いを申し出てきた為、それで一件落着となる筈だった。だが、年度が変わって桜の咲く頃、数か月ぶりにラセールへ顔を出した風雅本人が、ミシュランガイド三ツ星の格付けを持っているレストランの店頭で頭を下げ続け、どうしても自分の不始末に決着を付けたいとのだと粘った。そして戸惑うウェイター達の奥から、騒ぎに気が付いた藤林料理長が、風雅の心意気に惚れこんで、とうとう代議士の次男坊を厨房の皿洗いにしてしまったのだという。数カ月後、風雅は 本当に父親へ借金を完済した。
ちなみに私の処遇はというと、まずは夏のボーナス五十%カットに収まった。
さらにどういう巡りあわせか、四月から新オープンした関西の系列ホテルへ異動が決まり、待遇はチーフマネージャーで、要するに栄転だった。ちなみにグランドイースタンへは、支配人直々にヘッドハンティングしたという、元ドルフィンホテルの客室部チーフマネージャーが入社しており、その影響で馳部元チーフマネージャーは、マネージャーに降格。半年後には自ら辞表を提出したらしい。
それから二年後、大学を卒業した風雅はラセールの正社員となり、さらに年月を経てホールマネージャーとなった。
風雅が入社した翌年に、私は客室部チーフマネージャーとしてグランドイースタンへ戻り、いくつかの部署を経験して、現在は営業部にいる。
「そうか……元々風雅さんはお客さんだったわけだ。で、そんなお二人が、一体いつから恋人になったんですか?」
若い頃の風雅によく似た雰囲気の、可愛らしい高校生が、ストレートな質問をぶつけてきた。いや、雰囲気は確かに当時の風雅と似ているが、寧ろ彼の顔はあの人そっくりだろう。今は亡き、私の思い出の人。しかしそれは、二人が親子なのだから当然である。
あのとき美季(みき)……美村夏子(みむら なつこ)は、確かに私の名前を呼んだ。半年も前に板垣に連れられて行った『ワルキューレ』で、たった一度顔を合わせただけの客の名前を、間違えもせずに。
あれから何度か『ワルキューレ』へ足を運んだが、結局美季には会えなかった。他の店へ移ったのだろうかと、それらしい店を尋ね歩きもしてみたが、どこにも美季はいなかった。中には彼女が客の子供でも妊娠して辞めたのだろうと、面白そうに揶揄してくる者もいたが、私は信じなかった。
それからさらに月日が経過して、私は新聞のニュースを通し、ある事件を知ることになった。結局、私を揶揄った忌々しい同業者の邪推は、真実を言い当てていたわけだ。
「まったく、どうしてそういう立ち入った質問を……」
クールな美貌の少年が、好奇心旺盛な彼の恋人を窘める。美季が残した忘れ形見には、早くもホテルへ共に現れるような恋人がいた。
背が高いこの少年は、非常に端正な顔立ちをしており、長い脚を持て余すように組んでベンチの端に座りながら、隣の恋人を見守っている。そうしていると、あたかも映画のワンシーンを目にしているようで、通り過ぎてゆく女性の殆どが、さきほどからこの美男子をいちいち振り返っていくのもわかる。
ここまで絵になる美しい相手を持つと、恋人としてはさぞかし落ち着かないことだろうと考えがちだが、美季の忘れ形見はどこ吹く風のように見える。少年らしい好奇心に満ちた双眸は、今も恋人ではなく、四十をとうにすぎたこの私を、美季と瓜二つの可愛らしい顔で、期待を込めた表情で熱く見つめてくれているのだから。
クールを装ってはいるが、気が気でないのは、案外彼の恋人のほうかもしれない。申し訳ないと思いつつ、これはこれで悪い気がする筈などない。
しかし。
「知り合ってすぐだよ」
質問には風雅が勝手に応えてしまった。
もう少しもったいぶってやろうと思っていたのに、とんだ肩透かしである。
「やっぱりそうなんだ! だって、風雅さん綺麗だもん」
期待通りだったらしい回答を得て、少年が身を乗り出した。
まあ、事実だからどうしようもない。何しろ、当時の私は、実際に風雅へ夢中になっていた。少なくとも、最初こそ目が離せない彼を、人生の先達として気に掛けていた筈だが、恋人を殺したと思いこんで震えている風雅をこの腕に抱き、その感覚があまりに頼りなく儚げで、自分の手で守ってやりたいと感じたことは事実だ。そして保護者意識が恋心へ変わるまでに、大して時間はかからなかった。
「ただねえ、和彦さんって、別に好きな人がいるみたいだったからなあ……落とすのに苦労はしたんだよ」
風雅の不穏な発言に。
「黒木さんが、落とされた方なんですか」
「あ……それって、もしかして……」
高校生二人が興味を示してしまい、私は焦る。
「ちょっと秋彦君……今のどういう意味?」
「えっ……いや、その……、ええっと……」
可愛らしい少年が戸惑った瞳を向けてきたので、私は咄嗟に首を横へ振った。
「何? ちょっと和彦さん、今何かしたでしょ?」
「私は何もしてないぞ」
「嘘だよ、絶対あんた、何かした! っていうか、あの頃絶対浮気してただろ。本当は今でも本命の女がどこかに……」
「だから、思い過ごしだって言ってるだろう。俺に好きな女なんて、いるわけないじゃないか。ずっと風雅だけだって……お、おい……首を絞めるな……」
襟元で握りしめられている風雅の拳を、私は根気よく一本ずつ解いていく。
「なんだ、女か……俺はまたてっきり……」
「誰だと思ったんだよ、まったく……って、おい、何だよいきなり……」
「いや、べつに」
隣では可愛らしい彼が、何かを誤解していたらしい恋人に手を握られて、顔を赤くしていた。若いカップルの初々しい光景を微笑ましく思いながら、私はいつか風雅にも、彼の母親のことを話すべきだろうかと考えていた。
To be continued...