『アップ&ダウン』その3:トークダウン


「ところで、もう一組は部屋にいるの? それとも、どこかへデートに行っちゃったのかな」
 イベント会場からホテルへ引きあげる途中、黒木氏が聞いてきた。
「ああ、ええと……なんていうか、その……一応、誘おうとはしたんですが」
「ひょっとして、いいところを邪魔しそうになっちゃった?」
 あの状況をどう説明するべきかと困っていたら、風雅さんが助け舟を出してくれる。それがまた、実に直球だ。
「はあ、まあ……」
 考えてみれば、黒木さんと風雅さんもカップルなのだから、いらない気を回す必要もなかったかもしれないと思う。
「そりゃあ恋人同士だもん。二人きりになりたかったってところなんじゃない?」
「やっぱ、そういうもんスかね」
 カップルでホテルに来ているわけだから、どうしたって行きつくところはそうなる。当然のことだろう。そう考えて、恐る恐る隣の男を見る。
 涼しい顔をして携帯を弄っている、嫌味なぐらいに端正な美貌は、傍から見ていても、何を考えているのかさっぱりわからない。
「あ、間違えた」
 おまけに人の話を聞いてもいない。大方、彼の可愛い妹、まりあちゃんへ、本日何通目だか知れないメールの返事でも出していたのだろう。今どき不便なガラケーを、やりにくそうに弄り倒している。
「お前さ、いつになったらスマホ買うの?」
「俺が買ったら、まりあが真似をするだろう。……ちょっと待て、とりあえずこのメールを仕上げる。……その前に、直江に訂正メール出さないと」
「なんだ、直江だったのか……」
 意外な相手と、コミュ障の峰なりに頑張ってクラスメイト同士の親睦を深めていたようだった。それは邪魔して悪かったと反省し、黒木さん達との話へ戻ろうとすると。
「まりあに出すつもりの返事を、間違えて直江に出した」
「どうやって間違えたんだよ!」
「それほど可笑しな経緯じゃないぞ。アドレス帳のナ行とマ行を間違えて押しただけだ。ほら見ろ、名前が隣だろ?」
 古い携帯を差し出されて、わざわざ液晶を確認させられる。たしかに、ナ行の直江の隣が、マ行のまりあちゃんになっている。とうか、想像以上にガラ空きだったアドレス帳に驚かされたわけだが、それ以上にハ行の俺が、その間に登録されていなかったことに少なからず傷付いた。しかしそこへ俺から突っ込む事へは躊躇いを覚えて、内心歯ぎしりする。
「お前さ……メール書くのに、いちいちアドレス帳ひっぱりだしてんのか?」
「ああ、そのときどきによるな。お前はわりと頻繁にメールしてくるから、そのまま返信ボタン押しているぞ」
 そうだったのかよ、……いいけどさ。とりあえず短い付き合いってわけじゃねえんだから、そろそろアドレス作れよ! キスまでしといて、携帯にアドレスすら作ってもらってない俺って、結構不憫じゃないのか、もしかして。
「じゃあ、なんで直江には新規メール出してんの?」
「いや、別に……今のは、直江に出したかったわけじゃなく、まりあに出すつもりで……」
「そうだった、まりあちゃんからメール来たから、返事出したんだよな。だったら返信ボタン押せばいいんじゃね?」
 我ながらどうでもいい質問を俺がすると。
「……なんか、お前怒ってる? まあ、いいだろう。そんなに言うなら仕方がない。誰にでも見せているわけじゃないが、お前になら俺も見せてやっても構わないと思う。俺とお前の仲だからな」
 などとという意味深かつ勿体ぶったセリフを0.2秒で口走り。
「いや、あの……」
 自分でも少々恥ずかしいことを考えていた自覚があった俺としては、動揺も手伝って、どう反応して良いのか戸惑っていると。
「まりあのはこの通り、ほら、アドレスに写真が登録してあって、ここ押すとほら……な?」
一方的かつ強引に見せられた液晶では、アニメーションが起動しており、ワンピース姿のまりあちゃんの写真とともに、画面一杯のハートマークが放射線状に広がって、最後に『with love』のメッセージが表示される仕掛けになっていた。つまり、峰は毎回これを見たさに、まりあちゃんへのメールはアドレス帳を開くようにしていたというわけである。
「はあ…………なるほど」
 脱力感、虚脱感、馬鹿馬鹿しさと呆れ、あるいは諦念。
 いかなる言葉でこの気持ちを言い表して良いのかわからなくなる。
「………………ふむ」
 俺がそのまま黙っていると、理解不能な感動詞を漏らし、なぜかもう一度同じアニメーションを再生されてしまった。不本意にも、それなりに俺が感動したとでも思われたのだろうか。だとしたら承服しがたいが、はっきり感想を述べなかった俺に落ち度はあるのだろう。
 軽く溜息を吐くと。
「なあ、まりあちゃんのメールって、別に緊急だったわけじゃないのか?」
 こんなアニメーションを俺に繰り返し見せびらかしている時点で、緊急性はないと理解はできる。だが、まりあちゃんのアドレスにのみ、このような特殊加工がなされているとなると、逆に直江のアドレスを間違えて開いた時点で、アドレスの選択間違いに気付いてもよさそうなものだが。
「まあ、急いでいるかって言ったら、そうだな……」
 そう言いつつ、今度はなぜか到着したメール本文を見せられた。そこには、午前中にまりあちゃんが部屋へ持って行った洗濯籠の中へ、峰のパンツが紛れ込んでおり、さきほど兄のベッドへ戻しておいたといった内容が、想像よりも簡素な文章で報告されていた。
「これのどこが、急いでいるんだ……」
 どうでもよいというか、いちいち返事を出すような内容ですらない。
「まりあのメールは、基本、全てが緊急だ。無視なんてしてみろ、返事が来るまで、携帯が鳴りやまないんだぞ」
 峰のストーカーがまりあちゃんの肩書というかライフワークだ。
「そうでした。……で、お前は何て返したんだ?」
 直江に。
「ついでに俺のクローゼットから、まりあのパンツを3枚持って行けと書いた。お袋がしょっちゅう一緒くたにするもんだから、紛れ込むたびにいちいち返していたら、キリがないんだ……どうかしたのか?」
「緊急だろ、さっさと訂正メールを送れ……、いや、待て俺が文章を考えるから、貸してみろ!」
 でないと、直江の頭の中で峰は、ひらひらレースやイチゴプリントの妹パンツを頭に被ってニヤニヤしている、変態兄貴の汚名を被ることになる。……まりあちゃんのパンツがひらひらレースやイチゴプリントかどうかは知らないが。ともかく。
 何しろ、紛れ込んだ妹のパンツを、それと知っていながらクローゼットに仕舞いこむ男だ。変態兄貴というのもけして間違いではないのだが、それを理解し、突っ込み続けるのは、俺の特権である。突っ込みなどという大役が務まらない、根っからのボケ体質である直江なら、明日から峰にどう接して良いのかわからず、うろたえるぐらいしかできないだろう。そんな直江を見せ続けられる鬱陶しい残りの高校生活は御免だ。
 馬鹿正直に今のは妹へのメールで宛名間違いだった、などと返しそうな、気の利かない峰から、古臭い機械をふんだくり、俺は架空の文章を即席で考えてやった。
 そしてスマホに慣れてしまうと、扱いにくいことこの上無いガラケーをどうにか操作して、代わりに返事を出してやると、端末を持ち主に返す。
「なんで、お前が悪戯をしたことになっているんだ?」
 送信メールを開封して峰が聞いてきた。
「俺ならやりかねないからに決まってるだろ」
 俺が峰の目を盗んで、直江を揶揄うために、変態兄貴を装った……いかにもやりそうではないか。
「なるほどな……たしかにやりそうだ」
 そういうと。
「………ん……あぁっ……って、……何の真似だ、おいっ!」
「可愛い奴だな。俺のために、そんなに焦って……ありがとな」



 02

『城陽学院シリーズPart2』へ戻る