まともに顔をぶつけ、ざらついた八重桜の樹皮がヒリヒリと頬に痛かった。
「乱暴されたくないなら、抵抗してみせろ」
耳元で低く囁かれ、鼓膜を揺るがす峰の低い声と、柔らかい首筋の皮膚にかかる、少しだけ熱を帯びた艶めかしい吐息が、心を掻き乱す。
混乱と興奮が綯い交ぜになり、凍りついたように俺は何も出来ないでいた。
峰の両腕が背後から俺を抱き締めるように前へ回され、片手はシャツの上から胸のあたりを撫でまわし、もう片手がベルトを緩め、スラックスのファスナーを下ろした。
頼りなくなったウェストの隙間から、スルリと大きな手が侵入してくる。
下着越しに峰の掌を感じた途端、思わず吐息が漏れそうになり、俺は溜まらず歯を食いしばった。
そして突然、峰が動きを止めた。
「み・・・・ね・・・・?」
「駄目。全然不合格。零点だ」
峰の身体が俺から放れてゆく。
「な・・・んだよ、それ」
腰のあたりがフワフワとしていた。
肌蹴られた胸の辺りがやけに寒く、心臓はドキドキしっぱなしだった。
「煽っているようにしか見えない」
言いながら峰はまたもや、あからさまな溜息を吐く。
その言葉に俺は、今度こそ顔が紅潮していくのを止められなかった。
怒りと羞恥で。
「てめ・・・ざっけんな・・・!」
「それも駄目」
「はあっ!?」
「乱れた制服の前を抑えて、目を潤ませながら色っぽく見上げて叫ばれる罵倒なんて、下心を持っている男を調子づかせる以外に何の効果もないだろう・・・お前、抵抗する気本当にあったのか?」
「な・・・何を・・・」
正直に言って、この言葉に俺は動揺した。
俺は本当に抵抗しようとしたのだろうか・・・あのまま峰に、されて・・・。
「いや、ないなら・・・・それは、まあ・・・」
峰が少し驚いたように目を見開いていた。
「揶揄うなよ・・・」
「揶揄ってなんていない。もしも、そう感じさせてしまったとしたら、それは俺のやり方が不味かっただけだ。謝る。・・・その、お前と一条のことは、なんとなくわかっているし・・・だからもっと、本気で抵抗すると思ったんだ。けれど、よく考えたら・・・まあ、経験があるぶん、感じ易いのかもしれ、・・・・・・ッ・・・!」
気がついたら拳が出ていた。
目の前に尻もちをついた峰が、手の甲で口の端を押さえながら茫然と俺を見上げている。
「俺を愚弄して、それで満足か」
「そんなつもりはない・・・・誤解を与えたのなら、俺が悪かった」
「何が不合格だ、何が抵抗しろだ・・・いきなり友達にあんな真似をされて、動揺しないわけがないだろう。大体お前と俺はすでに・・・そのっ・・・してるわけで、それをあんな風に触られたら、俺だって・・・」
「悪かった・・・無神経だった」
「俺にああいうことするなよ、・・・その気もない癖に」
「原田・・・?」
「二度としないと約束してくれ。じゃないと、お前と友達でいられる自信が揺らぐ」
「わかった、約束する」
峰が立ち上がり、ポンポンとスラックスの尻の辺りを払った。
綺麗な形の唇の隅が、少しだけ黒っぽく滲んでいた。
「それと・・・殴って悪かった」
ここは灯りが遠くてよく見えないが、どうやら怪我をさせてしまったようだった。
「いや。お陰で安心できた」
「安心?」
「お前、やればできるじゃないか」
「えっ・・・と」
「結構効いたぞ。その調子で、今度変な奴が絡んできたら、さっさと退治しろ」
俺より先に歩き始めた峰の背中を、やっぱり忌々しい野郎だと思い睨みつけながら、俺は苦笑した。
「るせーよ、バカ」
俺は服を直しながら峰を追い抜いて、先に遊歩道を出る。
「原田、俺はこっちだから。気を付けて帰れよ」
「ああ、お前もな」
遊歩道の出口で峰と別れ、駅の方向へ向かって歩き始める彼に背を向けて、俺は住宅街の方へと進もうとした。
その直後。
「なあ原田」
突然、わりとはっきりとした声で名前を呼ばれる。
俺はもう一度峰の方を振り返ったが、峰は足も止めず、俺に背を向けたまま話を続けていた。
まるで俺の面影が、彼の隣を歩いてでもいるかのように。
「・・・・・・」
俺の返事を待たず峰は続けた。
「さっきの約束だが、あれは俺にその気がなかった場合という条件付きってことでいいんだよな」
「え・・・」
それはあまりに唐突過ぎて、約束が何を指すのか、すぐに俺には思い出すことができなかった。
いいかげんな俺の応答が、聞こえているのか聞こえてないのか、あるいは俺の反応などどうでもよかったのかもしれないが、峰は歩調も緩めることなく、そのままの調子で話し続けた。
声がどんどん遠くなる。
「そして俺が約束を破った場合、お前は俺と”友達”でいられないと言ったんだよな・・・・つまり、・・・・・ならオーケーってわけだ」
「お前、何言って・・・」
最後の方は、殆ど俺には聞こえていなかった。
何なら、オーケーなんだ・・・。
「俺はお前のこと・・・だぞ」
「え・・・今何て言ったんだ、峰!」
肝心の言葉が聞こえない・・・。
「じゃあ、また月曜な!」
「おい、峰!」
一瞬追いかけようかと考えたが、俺は結局一歩も足を動かせなかった。
問いつめれば、あるいは峰は教えてくれたのかも知れない。
だが、それは俺達の関係を決定的に変えてしまうことになる・・・そんな不安と、・・・そう、正直に言えば少しだけ期待のようなものが俺にはあったからだ。
俺は再び家に向かって足を踏み進めた。
そして今頃になって気が付いていた。
俺は峰に送ってもらっていたのだということに。
もう一度振り返ると、峰は300メートルほど先の交差点を右に曲がる所だった。
そして、もう一度臨海公園駅方面にある彼の家へ向かって、学園都市線の線路脇の歩道を歩いて行くのだろう。

 

fin.


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