「鍋島・・・」
図書室を出たところで、遠慮がちに名前を呼ばれた。
「石田先輩・・・」
先輩は廊下の壁に半分体重をかけるようにして、気まずそうに俺を見ている。
「あら石田くん。」
そのとき、1階から電気ポットを提げて階段を上がってきた生徒会長に気がつく。
「あの・・・じゃあ、俺・・・」
遠慮しようとしたところで、明智先輩に止められた。
「鍋島君、私はすぐ行くからそのままでいい。石田くん、入稿ごくろうさま。全部読んだわよ。」
「あれでいいだろ?」
「ええ、そりゃもうバッチリ。キミはよく頑張った。」
「そうかよ。じゃ、もう俺に話しかけんなよ」
「あら、何を言っているのかしら。欲のない人。先日あの内容を折り込み広告にして、コミケで配ったところ、早くも問い合わせが殺到。元をとって、さらに儲けが出る勢い。」
何を言っているのかサッパリ判らなかった。
この二人は、夜をともに過ごしたんじゃ・・・でも、会話の内容が、とても恋人同士には聞こえない・・・話しかけるなって、どういう意味だ?
「マジか・・・そりゃまた。けど・・・だったらもう、ますます俺には用がない筈だろ」
「だから、どうしてキミはそう欲がないのかしら。あれをシリーズ化して、大儲けすることだって出来ると言っている。そうね・・・上杉に漫画を描かせたらもっと売れるかも知れない。主人公の啓介の可愛らしさを、一層引きだすようなラブコメタッチで、なおかつモザイクなしの・・・。」
「え・・・?」
「ちょっ・・・お前、馬鹿!」
ケイスケって、俺の事・・・違うのかな?
石田先輩が珍しく取り乱している・・・顔が真っ赤だ。
「あら私としたことが、ついうっかり。鍋島くん、今の話はキミのことじゃないから気にしないでいい。さて、そろそろ私は行こうかしら。これからカラーイラストを3枚仕上げないといけない。全く忙しい。ラーメンを食べないと、やっていられない・・・用務員室が留守で本当に良かった。」
忙しいという言葉とは釣り合わない淡々とした口調でそう言いながら明智先輩は、生徒会室のある3階へ向かって階段を上がって行った。
あれって、やっぱり俺のことだよな。
「あの・・・石田先輩?」
「そうだ可愛い啓介くん。」
不意に階段の踊り場に立ち止まった明智先輩が、また俺達を振り返った。
呼び方がいつのまにか、啓介くんになっていた・・・というより、何だ今の枕詞は!?
「あの・・・なんでしょう?」
「近いうちにキミ、生徒会室へいらっしゃい。」
「はあ・・・」
何かしたかな、俺・・・?
「もう少し資料が必要・・・モデル料のことなら心配しなくていい。あと2、3枚ほど写真が欲しい・・・石田くんとのセットなら尚良し。」
「さっさと行け!」
「では石田くん、次回作よろしく。」
「誰が書くか、この変態女!」
石田先輩の興奮した怒鳴り声の反響が消えると入れ替わりに、三階へ上がってゆく生徒会長の透き通った美声が、しばらく階段に響いていた。
鼻歌だった。
「あの、石田先輩・・・今のっていったい」
それから俺は、頭がクラクラするような話を石田先輩から聞かされた。
「それじゃあ、先輩と生徒会長って」
「ああ、そういうこった。俺が小説書く代わりに、10万円を原稿料として、前渡しされていた」
「それって凄い金額ですよね」
破格値なんじゃないだろうか。
よく判らないけど・・・いくら石田先輩の書く小説が面白いと言ったって、所詮素人だ。
「そのかわりに、トンでもないホモエロ小説書かされたけどな」
「そこに俺の名前が登場しちゃうわけですね」
「ああ、・・・誤解のないように言っておくが、名前はちゃんと変えてある。アイツが勝手に主人公を啓介と呼んでいるだけだ」
なんだか微妙だ。
「それで先輩は俺を・・・」
ショックじゃないと言えば嘘になる。
結局、何もかも毛利先輩の言ったとおりだったということだ。
「俺を殴ってもいいぞ。金に目が眩んでお前にあんな真似をした。合宿のときに俺達を尾行して、お前を隠し撮りしていたのは、あいつのサークル仲間の写真部員だ。俺はいろいろとお前にしかけて、それっぽい写真を撮らせる約束をしていた。それはすべてあいつのイラストの資料になっている・・・モデルというより、むしろ妄想の材料としてな」
うへあ。
確かに酷い話だった。
しかしそれらがすべて、先輩の私利私欲に基づくというのならともかく。
「でも結局、俺達の為なんですよね」
文芸部のために先輩はやっていたんだ。
俺達があの城陽の文集を見てワープロを欲しがったから、先輩はその夢を叶えようとした。
すべてはそこから始まった話だ。
「しかし、お前には怒る権利がある」
「そうですね・・・傷つきました。それがきっかけで先輩は明智先輩と付き合ったんですか?」
たとえそうは見えなくても、あのとき、先輩は確かに生徒会長の家に泊った話をしていた。
そして口は悪くても、やはり二人は親しげだ。
俺はそうとも知らずに、この人に逆上せていた・・・これは確かに傷付く。
「もう一回言ってくれないか、啓介。よく聞こえなかった」
また呼び方が戻っている。
俺は気にせずに言った。
「だから・・・今回の契約がきっかけでお二人は親密になって、お付き合いを始められたんですか?」
「二人って、誰の話だ?」
「先輩と・・・」
「ああ、俺と・・・?」
「明智先輩」
「なんでそうなる?」
「だってっ・・・・!」
「いくら啓介でも言っていいことと悪いことがあるぞ」
先輩は割と本気で怒っていた。
どうやら・・・なんだか知らない間に、地雷踏んだっぽい・・・?
でも、どうして?
「だって、・・・泊ったんですよね、明智先輩の部屋に」
「俺がいつ!?」
「言っていたじゃないですか電話で・・・失くした腕時計が見つかったとかって、生徒会長が電話かけてきて・・・で、お前のところに泊ったときにどうのって・・・」
そこまで俺が言ったのを聞いて、石田先輩は無言のまま自分の顔を掌でパシリと叩くと、ガックリと項垂れ、そのまましばらく黙って俯いていた。
なんだか様子が変だ。
「そろそろ本当の事を話してやったらどうなんだ、石田」
突然後ろから声が聞こえて振り向くと、いつのまにか帰り支度を済ませた毛利先輩が立っていた。
「お前な・・・いつからそこで聞いていた」
「さあな。明智のヘタクソな鼻歌が聞こえるよりは、数分ほど前だ」
「ほとんど全部じゃないか」
「それより、この早トチリの多い坊やの誤解を解くほうが先じゃないのか。俺はべつにこのままでも構わんが」
「あの、いったいどういうこと・・・」
毛利先輩は全部知っていた?
「まず最初に言っておく。俺と明智がデキてるなんて、そんなのは本当に酷い誤解だ。啓介は生徒会室へ行ったことがあるか?」
「ないです」
「だったら明智のさっきの発言を奇妙に思わなかったか?」
「多少は・・・でもまあ、明智先輩が絵を描いていることぐらいは、噂で聞いたことありますから」
「絵を描いているなんてなんて可愛いもんじゃない。あそこは事実上、明智の主催する、や○いサークルによって、明智や書記の上杉、美術部員などのメンバーにより、既に乗っ取られている」
「そんな面白いことになっているんですか」
「何が面白いものか・・・今頃の時期に行ってみろ、そこらじゅうに散らばった紙やスクリーントーン、ペンや羽箒に水彩絵の具・・・真田や前田がいなかったら、何の部屋か判らないぞ」
「ええと、真田さんに前田さんって・・・」
「うちの生徒会の副会長と会計だ・・・名前ぐらいは覚えておいてやれ」
こっそりと毛利先輩が教えてくれた。
「結論を言おう。俺は明智の部屋になんて泊ってない。行ったこともないし、行きたくもない。アイツの部屋を想像したくもない、脳が腐る」
「いや、そこまで言わなくても」
「鍋島、絶対に明智のサークルが出した発行物を見たりするなよ。俺は確かに、警告したからな」
どうやら毛利先輩も、明智先輩の作品を見たことがあるようだった。
「じゃあ、泊ったっていうのは・・・」
「生徒会室だ。その・・・事情があって、契約内容を変更せざるを得なくなって、生徒会の仕事を手伝った」
「生徒会の・・・?」
でも明智先輩と石田先輩の約束は、俺を誘惑してそれらしい写真を取らせることと、先輩の小説だったはず。
小説についてはさっき明智先輩が満足していたし、俺を誘惑っていうなら、結果として俺が逃げ出したけれど概ね成功したんじゃ・・・それともまさか、最後までしなかったから?
そうなるとあの部屋にまでカメラがあったとか・・・。
「その説明じゃ不十分みたいだぜ・・・俺が言ってやるよ。明智が指定したのは、ずばりお前と石田のキスシーンだ」
「あっ・・・」
「俺はてっきり神社の前でお前らがやってると思っていたが、俺が邪魔をしたせいで、失敗だったんだってな。写真を入手し損ねた明智はもう一度石田に同じ指令を出したが、石田はそれを断ったんだよ。こいつはどういうわけか、途中でお前を売ることをやめた。その代わりになんでもするからと・・・」
写真提供を拒否した石田先輩は、生徒会の仕事を手伝った。
その晩は明智会長以外にも、生徒会のサークルメンバーや、美術部員も集まっており、皆で朝まで作業をしていたのだそうだ。
でも、どういうことだ・・・・。
「最初はサークルの手伝いをすることになっていたらしいんだけどな、石田は小説こそ最高だが、絵はまったくダメだからな・・・ベタ塗りやトーン貼りもロクに出来ない石田に愛想をつかした明智が、もういいから溜まっている書類のチェックでもやってろと、引導を渡したらしい」
「そうだったんですか・・・?」
俺が聞き返したが、石田先輩は何も言わなかった。
指定されていたのは、俺と石田先輩のキスシーン・・・キスなら、何度もしたのに。
それじゃ、あのデートはいったい・・・。
「さて、休戦はここまでだ。じゃ、後は勝手にしろよ。俺は敵に戻る」
そう言って毛利先輩は帰って行った。
俺はその背中を複雑な思いで見つめる。
あの人こそ、一体何を考えているのか、さっぱり判らない。
石田先輩はというと、何も言わずに目を反らしたままだ。
「先輩、その・・・」
「啓介・・・俺って最低だろ?」
「そんなこと・・・」
文芸部の為に、俺達のためにこの人は動いていた。
最初こそ、俺を利用したかもしれないけど、途中でそれも止めてくれた。
そうだ。
「先輩、どうして途中で契約を変更したんですか?」
「それは・・・」
「明智会長に写真を提供するためでもないのに、先輩は俺に・・・それって、つまり・・・」
あのデートは、本当のデートだったってことなのか?
「お前だって・・・・途中で明智と俺の事を誤解して怒って帰ったくせに・・・」
「まあ、そりゃあ・・・」
「俺こそ・・・少しは期待して、いいんだよな?」
「それは・・・」
これからの、あなたの誠意次第です・・・と意地悪く言ってやるつもりが、上から降ってきた何度目かの、甘い口付けに言葉が切り取られた。

 

fin.



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