「社長の従兄弟だよ。確かにあの人、階上工場長としょっちゅう呑みに行ってるから、間違えそうになるが、二人はただの同期だ。でもまあ、社内じゃあ一番仲いいんじゃないかな。本当、3日と空けずつるんでるからなぁ……」
「このあいだリーダーさん達が、二人はデキてるんじゃないかって噂してました」
「……なんで50過ぎた男をそういう目で見れちゃうんだよ。普通に呑み友達だろ、あの酒好きさん達は」
「やっぱ、ルックスいいからじゃないですかね。弘前部長も階上工場長も、あの年で太ってもいなきゃ、ハゲてもいないですしね」
「お前それは俺と若禿げに悩んでる青年に対する宣戦布告か? 見てろよ。そういうこと言う奴に限って、30前に体重が倍になって、毛が一本もなくなって、足が臭くなるんだからな。……けどなあ、俺はああいうのに憧れてんだよ。オッサンになってもああいう腹割ってなんでも話せる親友なんて、普通なかなか持てるもんじゃないぞ? 出世街道狙うのもいいけど、お前ももっと人間関係大事にしろよ」
「僕の体重が倍になると、160キロオーバーしますんで、満員のエレベーターに乗れなくなりますね……」
「お前、……まさかそれ全部筋肉なの?」
「内臓もあります」
「……なんかお前と話してると、ときどき疲れるな」
「そうですか? 僕は鹿橋さんと話すの好きなんですが……ところでビヤガーデンどうなりました?」
「それがなー、きよらさん忙しいみたいでなあ……せっかくなのに、悪いな」
 どうやら鹿橋が美人派遣リーダーをビヤガーデンに誘ったが、不発に終わったらしい。薄々気付いてはいたものの、やはり鹿橋は御手洗きよらに色気を出しているようだとわかった。
 PCの画面に視線を固定したまま鹿橋が長い溜息を吐くと、百目木が不意に顔を上げ、目の前の話し相手をまじまじと見つめた。
「僕がさしあげたもので御手洗さんを誘おうとしてたんですか? まったく……だったら僕と行けばいいじゃないですか。っていうか、最初から僕はそのつもりだったんですよ。なのに、鹿橋さんが優待券を欲しいっていうから、てっきりご両親に親孝行でもしたいのかと思ったのに、……まさかそんなことに使われると思いませんでしたよ。……ちょっとショックです」
 言葉尻をだんだん小さくしながら、百目木が口唇を尖らせる。拗ねた表情が可愛らしいというのは、意外な発見だった。
 確かに後輩から巻きあげた優待券で女をデートに誘おうとする鹿橋は、情けないというか、少々間抜けではないかと僕にも思えた。そして、その失敗談をあっさりと、百目木に打ち明けてしまうあたりも、大概どうかしているが、何事にもあけっぴろげな鹿橋らしいだろう。
「ああ、そこんとこは悪かった……日頃のねぎらいでもと思ったんだが。そうだな、もともとお前のもんだし、たまには一緒に呑みに行くか。……いや、ドルフィンホテルの屋上って港湾地区の夜景が綺麗だろ? だから、きよらさんも喜ぶかもしれないって思ったんだよ。……考えてみりゃあ、女性相手にビヤガーデンってのも、ちょっと色気ねえな」
「確かに夜景も素晴らしいですし、そろそろ屋外のビヤガーデンが気持ちいい時期になってきましたしね。そういうことでしたら、ビヤガーデンの後、最上階のラウンジへ移動してもいいですよ? そっちの方が、雰囲気ありますからね。なんでしたら、ハーバービューの部屋でも予約しておきますし。とりあえず、また都合のいい日時をメールしてください。……じゃあこれ終わったんで、僕もちょっと狼森君に挨拶してきます」
 百目木がPCを終了させ、カードリーダーから社員証を抜いて席を立った。
「別に俺が夜景を楽しみたいわけじゃないっていうか、部屋を予約って、お前……まあいいか。おう、そっち終わってたんだな……話付き合わしてすまん。お疲れ……」
 後輩を見送りながら首をひと捻りすると、鹿橋も視線をPCへ戻して自分の仕事に戻った。最上階ラウンジはともかくとして、ホテルの部屋を予約は、どう考えても、まあいい、ですむ話でもないと思うのだが、鹿橋は大して気にしていないようだった。
「……すみません、僕もそろそろ上がらせてもらいます」
 僕も手元の書類を仕分けして、『明日訂正TEL』と書いた付箋を貼ってファイリングすると、鹿橋に声をかけた。
「うん、お疲れ。……あ、それだけこっちにくれる?」
 キャビネットに向かっていた僕の目の前へ、鹿橋が手を伸ばしながら言った。僕は手元を見る。
「ええと……これですか?」
 先ほど狼森に叩きつけられた書類を収めてあるファイルを掲げながら、僕は訊き返した。
「そう……なんか悪かったね」
 目尻を下げながら鹿橋が苦笑を見せる。
「え?」
「資料コードの管理は俺の仕事なんだから、はっきりそう言ってくれてもよかったのに」
「ああ、さっきの……でもまあ、僕も資料コードまで気付きませんでしたから」
「狼森君普段は人当たりいいのに、なんでか君にだけは強気だもんね……でもまあ、今日で解放されたから、ちょっと気楽になったんじゃない? 俺も社員相手にまではなかなか気が回らないし、百目木はそういうとこからっきしだから、うちじゃあいろいろ嫌な事少なくなかったと思うけど、あと少しの辛抱だから頑張ってね」
「いえ、そんな……僕のほうこそ、本当に迷惑ばっかりかけて……」
 最近やけに優しくなっていた鹿橋の言葉に、辛かったこれまでの傷や痛みが、すっと洗い流されるような気がした。
「迷惑なんて思ってないよ。だって仲間なんだから助け合うのは当然じゃないの。……まあ、君はそういう神経の細かさが良い点であり、悪いトコでもあると思うんだけどね。狼森はなあ……いくら優秀か知らないけど、あんなんで営業やっていけるのかとちょっと思いやられるよ。そこは馬門部長が守ってくれるってことなのかね。いいよねえ、コネ入社は……」
 そう言うと、手にしていたボールペンの尻でカリカリとこめかみを描きながら、また画面に視線を戻した。どうやら本社に送信する日報データを作成中のようだった。いろいろと僕を気遣おうとしてくれているようだが、あまり邪魔するわけにもいかないので、こちらから適当にきりあげるべきだろう。
「はあ……あの、じゃあお言葉に甘えてこれ、お渡ししますね」
「うん、任しといて。俺が片っ端からやっとくから。じゃあ、お疲れ」
 鹿橋にファイルを託し、もう一度頭を下げて部署を出る。
「コネ入社か……」
 それを言えば、義父の紹介で就職した僕も同じことだった。それどころか、K大を卒業している帰国子女とは違い、4年間引き籠っていた、何の取り柄もない僕こそ、どういう縁があったのかは知らないが、義父の仲介がなければ喩え工場勤務だとしても、こんな一流企業に正社員入社できるわけもない。おそらく未だに無職で実家の自室に閉じこもり、母の重荷になっていた筈であろう。僕を煙たがっていた義妹の方が、辟易してさっさと実家を出ていたかもしれない。片や狼森などは、それこそコネがなくても、どんな一流企業でも引く手数多だったことであろう。
 狼森が来てから……、正確に言えば、狼森が僕へ辛く当たるようになってから、明らかに鹿橋は変わった。彼の激しい言動にわが身を顧みたのか、僕に同情したのかはわからないが、最初に比べて相当優しくなっていた。もともと鹿橋は、女性陣のリーダーやオペレーターに対しては気配りを欠かさない人だ。男には容赦しないが、言動があけっぴろげというだけで、必要以上に誰かと争ったりはしない。そう言う意味では、自他ともに認める多忙が配慮を欠如させてしまっていただけで、今となっては本当は優しい人なのだろうと思うことが出来る。
 だが、狼森の性格が鹿橋に一線を引かせて以降は、副作用的に僕へ心を許したせいだろうか、本人がいない場所で狼森に対する人格批判を、鹿橋から耳にするようになっていた。或いは、社長がらみだという狼森のコネクションが、鹿橋の気に入らない要素にでもなったのだろうか……そういうやっかみとはあまり縁がなさそうに見えるが、鹿橋とて人並みの嫉妬や強欲はあるのかも知れない。
「コネ入社の何がいけないっていうんですか」
 エレベーターホールへ足を進めるなり、思いがけない声が耳に入り、同時にまだ部署へ続く自動ドアが閉まりきっていなかったため、僕は焦ってホールと部屋を何度も交互に見た。

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