『君おもう夏空の下』


 早朝の守国(しゅこく)大通りは車も少なく、皇居の森から鳥のさえずりさえ聞こえていた。見上げる夏空はどこまでも青く澄みわたり、首都マホロバにいることすら忘れさせてくれる。
 首相公邸の裏門を潜りぬけ、国会議事堂を迂回しながら守国大通りに入った。
 珍しく起きていた妻の淑子(よしこ)に小言を言われたせいで、うっかり手ぶらで出て来たが、寝室の時計は午前5時半を少し過ぎていた。今が何時か確認する術はないが、拝殿の大太鼓が、いつまで経っても轟く気色もないということは、どうやら6時をとうに過ぎているらしいと察することが出来る。
 南門の前を通り過ぎながら、迷った末に、大鳥居へは向かわず次の角を折れた。燦々と降り注ぐ陽光を浴びながら悠然と構える第二鳥居の前を、白いセダンがゆっくりと通過していく。この先に見える帝都病院か、もう少し向こうにある出版社街の職員であろうかと想像した。突き当たりの城南(じょうなん)女子学園で教鞭をとる先生にしては、少し出勤が早い気がする。もう1、2時間もすれば白いセーラー服姿の女子学生達が、青銅の鳥居前で立ち止り、神殿に向かって一礼していく姿が見られることであろう。城南女子学園は良家の子女が多く通う、伝統を持つミッション系の女学校だが、宗教の垣根を越えて神仏への敬意を払う姿は美しく清らかであり、同校における生徒指導の確かさを垣間見る瞬間だと感じた。もっとも、教義、教典がなく、生まれたときから全ての住民が地元神社の氏子である実態は、果たして神道が所謂宗教か否かという議論は今もって存在し、答えが出ておらず、その点について語るなら、神道は寧ろカミシロの文化そのものだという考え方を彼はしている。そもそも、神道という言葉が誕生するよりも前に、この国において八百万の神は存在したのだ。
 目に鮮やかな青葉の並木と石灯籠が立ち並ぶ広い参道を振り返ってみれば、大都会の喧騒から閉ざされた静けさがそこにあった。長いアスファルトのちょうど中間地点に聳え建っているのは、羽織袴姿をした早瀬蓮多郎(はやせ れんたろう)の銅像だ。早瀬は医師であり、カミシロ陸軍の創設者でもある男で、この守国神社の由来に深く関わりのある偉人である。その向こうに見える石造りの大きな門が、この守国神社の象徴ともいえる、大鳥居こと第一鳥居である。
「まったくもって、静かなもんだ」
 履き古したスニーカーの足を止めて、九頭一郎(くず いちろう)は朝日を照りかえす参道に目を細めながら、どこかがっかりとした調子で呟いた。
 7月半ばのこの時期になると、九頭は例年かならずこの守国の境内へ足を運ぶ。それは年中行事とすら言って良い行為であり、閣僚となった5年前以来、秘書やSP達を悩ませてきた抜き打ち行為だ。
 しかし、例年であれば今頃は参道の両脇に屋台設営を急ぐ男達が、忙しなくも賑やかに早朝から汗を流している光景が広がっているのに、今年は自分と同じように早朝散歩に訪れたらしき老人の姿が、数名いるばかりである。噂には聞いていたが、あの取り決めはどうやら本当らしいと確信し、ひっそりと溜息を吐くと、拝殿側へ視線を移した。
 青銅の鳥居の手前や神門前には、祭りの名物でもある奉納灯籠が、既にぎっしりと並んで参道の両脇を囲んでいる。中央には荘厳な神門が参拝客を出迎え、天井から色とりどりの長い短冊を幾筋も夏風に棚引かせる様子は、いかにも目に涼しげだ。この華やかな飾りつけは、東北地方の七夕祝いだという。観音開きに開かれた重厚な木製の扉には、皇室のシンボルである八重の桜花があしらわれている。それはこの大きな神社が、ほかならぬ皇居の一部であることを示す証拠だが、多くの国民はほとんどそれを意識していないか、まったく知らない者も少なくないことだろう。あと数時間もすれば広い境内は夏祭りを楽しむ人で溢れかえり、その半分ほどの人々が神殿に手を合わせればいいほうだという。こうした近年の傾向を嘆く保守的な批判もよく聞くが、エスティア解放戦争が終結して20年近く……戦火に逃げ惑う恐怖を知らない、戦後生まれの若者たちが、神輿や盆踊りを楽しむ平和な光景を、社に眠る英霊たちが歓迎せぬとは、九頭にはどうしても思えなかった。


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