死体をどこかへ隠すなどという工作は、端から考えてはいなかった。
この屋敷には通いの使用人3名を始め、エミールが仕事を請け負っている雑誌や新聞の俗っぽい担当者達、そしてこの少年のように、彼を慕って集まってくる若者達など、日常的に多くの人間が出入りしている。
財産分与で譲り受けた、イル・ド・フランスの丘の上に広がる、そこそこの敷地に、地下を入れて3階建ての建物とはいえ、それがボイラー室だろうが、物置小屋だろうが、人間の死体を隠して、誰かに発見されない場所などどこにもなかった。
仮に、物置小屋の床下へ穴を掘って、セメントで固めたとしても、実質的な建物の管理を使用人に任せているのだから、自分で思いつくような場所であれば彼らが見つけないわけがないし、屋敷の異変を見つけることにかけては、よほどプロフェッショナルだ。
そもそも少年の死が事故であり、それを一番よく知っているのは自分なのだ。
だから、何も死体を隠して、わざわざあらぬ疑いを呼びこむ必要はない。
それならば堂々としていれば良い筈なのだが、どう見ても性行為の末に絶命した少年の死体は、人々の想像力を掻きたてすぎる。
使用人とはいえ、ダミアン達はエミールを尊敬し、自主的に彼の身の回りの世話をしている善良な青年達で、エミールが特別に信頼している者達であり、単なる家政婦協会からの派遣員とはわけが違う。
エミールの下へ集まって来る少年達もまた、エミールを慕い、彼に共鳴し、彼に近づきたい一心で家へやってくる、魂で結ばれた仲間達だ。
エミールはそんな彼らを『家族たち』と呼び、彼らとの繋がりを大切に思っている。
だからこそ、こんなアクシデントで、彼らの信頼を壊すわけにはいかず、少年の死はその危険を大いに孕んでいた。
ここを上手く乗りきることは、これまでに築いた家族の調和に傷をつけないための、必要最低条件なのだ。
明かりを点けていない廊下を、きびきびとした足取りで浴室へ引き返しながら、エミールは為すべきことを考えていた。
まずは、なんといっても、情事の痕跡を拭い去らなければならない。
死体にはまだ温もりがあった。
浴室の扉を開ける為に、遺体を抱え直した瞬間、まるで彼を頼るように、自然と肩へ凭れて来た小さな頭部が、なんとも愛しかった。
「シャルル・・・」
エミールは少年に、思わず呼びかける。
未だ薔薇色のその口唇から、熱っぽい吐息が漏れてこないことに、違和感さえ覚えている自分が滑稽だった。
浴槽にどうにか寝かせて、シャワーコックを捻ると、それほど強くはない水飛沫で肢体を丹念に清めていった。
昨夜はエミールの手の動きへ敏感に反応を示してくれた、同じ身体だというのに、ほんの数時間が絶っただけで、まるで言う事を聞いてくれないことが苛立たしい。
死後硬直が始まっていないにも拘わらず、この重要な作業は一向に捗らず、時計が6時半の鐘を突いた時点で、遂に彼は諦めた。
狭い浴室では身体を拭くことにも、大いに苦労する。
洗い残した体液を見つける度に舌打ちを鳴らしながら、水気とともにそれらを拭い去り、少年の肢体を抱えて、今度は客室へ赴く。
入り口で振り返ってみると、浴室の散らかりようは酷いものだった。
シャルルを寝かせたあとで、ここは必ず掃除しないといけない。
ダミアンの到着が遅れていることが、つくづく不幸中の幸いだった。
死体を動かすということに、そろそろ慣れてきたせいだろうか、カーペットの上で来客用の白いパジャマを着せたときには、それほど難しいとは感じなくなっていた。
自分には案外、文筆業よりも、介護職などの方が向いているのかもしれないと、無駄なことを考える程度の精神的余裕すら、彼は持つに至っていた。
シャルルを抱えあげて、未使用のベッドへ寝かせ、毛布やシーツに自然な皺を作りあげる。
そして片づけるべき場所を綺麗にし、すべての作業が終わった頃には、エミールの中でひとつの構想が完成していた。
いずれ近い将来、彼らはシャルルの死を知る。
シャルルはいつものように、大学のあとで友達と共に、この家を訪問した。
そして幾つかの哲学的テーマについて、皆と情熱的な議論を交わした後で、友達はすぐに帰ったが、シャルルは一人でここへ残り、自分と一緒にお茶を呑みながら、さらに会話を楽しんだ。
しかし話しているうちに遅くなり、仕方なくこの客室へ泊まったのだが、不幸にも就寝中に病気が悪化して命を落とした・・・それだけだ。
だが、彼は『光の家』の熱心な信奉者であり、我々『真の家族』の一員だ。
我々の概念に於いては、魂の入れ物に過ぎない、現世の肉体が滅んだに過ぎず、『彼自身』が消滅したわけではない。
つまり、その清らかな魂は今、本来の拠り所である『光の家』へ還ってゆく準備に入ったのだ。
それならば、我々は儀式をもって彼を送りだす・・・真実の家への帰還、光の家族としての『復活』を祝ってやることこそ筋であり、彼の本懐ではないだろうか。
艶やかな絹に身を包み、横たわる少年の頬へ指先を滑らせる。
シャワーの温もりで、その肉体は昨日のような熱を取り戻していた。
まやかしに過ぎないとわかっていても、エミールはそれを愛しく思う。
少年の心臓が鼓動を打たず、血液が肉体を循環しない今、間もなく訪れる数十時間の死後硬直を経て、皮膚は変色し肉体はガスを放って腐敗する。
彼らの定義によれば、魂こそが人間本来の姿であり、肉体は入れ物でしかない筈なのだが、目の間に横たわる、彼が数時間前まで愛し合っていた、この美しく、未だ瑞々しい肢体が、間もなく腐臭を放つ肉の塊へ変貌してしまうことは、耐え難い苦痛だと、エミールには感じられた。
いま暫く、この肉体を美しいままに保てないものか・・・せめて儀式までは。
儀式。
週に一度、サロンで開かれる定例会では、昨日もシャルル達と交わしたような議論があるだけだ。
その後、シャルルがそうであったように、魂の繋がりを強く感じた者と、エミールはときおり絆を確かめ合うことがある。
それ以外に、毎月半ばに、地下礼拝堂で開催される儀式では、特別に選ばれた『介助者』の協力を得て、神託を受けたエミールが、それを家族達へ告げる。
そこでは彼ら、『真の家族』たちも皆、それぞれに絆を確かめ合い、全員が連帯感を強く感じられるような、とても幸せなひとときとなるのだ。
だが、次の儀式はシャルルを送りだすのだから、いつもと同じというわけにはいかない。
エミールはもう一度シャルルを見る。
その柔らかな皮膚に触れ、肉体を感じる。
そしてそれが、昨夜どれほどの快楽にうち震え、その皮膚は薔薇色に色めきたち、エミールを歓喜させたかを思い出さずにいられなかった。
次の儀式では、・・・・シャルルを介助者としよう。
流石に家族達は驚くだろうし、抵抗を示す者もいるかもしれない。
だから、こう説明するのだ。
神託者である自分が交わることにより、シャルルの肉体はエネルギーを得る。
その亡骸は浄化され、我々の家族であるシャルルの魂は肉体から解放されて、『光の家』へ正しく還っていけるのだと・・・そう、これを復活祭とでも名付ければいいだろう。
家族へはその説明で充分だ。
しかし、本来この家には、共鳴者のみが集まる筈なのに、昨夜シャルルが連れて来た友達のように、ときどき異端者が紛れこむ。
儀式へそういう者が入りこむことはない筈なのだが、万一に備えて、礼拝堂のポットには、いつもよりも強めの『香』を焚いておくべきかもしれない。
そうすれば、参加者は常に興奮状態にあり、儀式を目の当たりにして騒ぎを起こすことはまずない筈だ。
儀式を特別なものと意識させるために、それなりの演出も必要だろう。
エミールはシャルルを見た。
翼を隠して眠りに就いている天使かと、見間違えてしまいそうなほどの、類稀なる美しさ・・・その肉を確かに知っている筈なのに、彼と交わったエミールでさえ、シャルルの無垢を信じてしまいそうになる。
この清らかさを、なんとか形に残すことはできないものか・・・・それを、たとえば祭壇へ掲げたならば、家族たちはシャルルを、神聖な存在であり、儀式を特別な物と信じるのではないだろうか。



 03

欧州モノ:『La boheme, la boheme』シリーズへ戻る