「なあ、ここ座っていいかい? 俺はルイ。アンタは?」
ルイと名乗るその若者は、今しがたまでアドルフが座っており、彼が飲み残したビールのグラスさえも、そのまま置いてある隣の椅子へ、強引に腰をかけた。
どうやらナンパをしに来たようである。
ここがゲイバーだということを考えれば、それは寧ろ自然な行動と言えるのだろう。
しかし俺は、ルイがスツールに腰を掛けただけでしかない、その距離の近さに違和感を覚えたのだった。
日頃はアドルフがいて当然のその位置に、彼以外の誰かがいると、これほどまでに落ち着かないものなのだということに・・・。
逆に言えば、いつもはアドルフがそこまで近い場所にいるということなのだ。
ルイの手が俺の腰へ、容易に回される。
スツールに腰かけた彼の脚も、俺のものと絡み合うようにして、触れ合っていた。
アドルフは、自然にそうしていたのだと、俺は漸く気が付いたのだった。
だが、俺は、これまでそれを、当たり前だと受け止めていて・・・。
アドルフは一体、俺にとって何なのだろう・・・。
俺は慌ててスツールを降りると、ルイから距離を置いた。
ルイも続いてフロアへ立ち、俺との間合いを詰めてくる。
「悪いが・・・その、俺は友達を待っているだけで・・・」
「友達なんだろう? だったら構わないじゃないか、恋人じゃないんだし」
尻を撫でられて、俺はその手を叩き落とす。
だが、反対側の手で肩を引き寄せられ、俺は彼から逃れようと身体を捻った。
「放せって、・・・たく、身体ばかりデカくなりやがって、最近のガキはって・・・うわ、こらやめろ・・・」
密着してくる身体を、両手で押し退けていると、俺が払い落とした手が、いつの間にか器用に、片手だけでベルトを緩めようとしていた。
「気持ち良くしてやるからさ、下に行って良いコトしようぜ、オジサン・・・」
「お前、オジサンとか言うならもっと若い奴誘えよな・・・だから、手を入れるなってこのガキは・・・」
すっかり開いたファスナーの間から強引にルイの手が入ってきて、俺は必死に手首を押さえる。
だが、大きな掌はしっかりと下着越しに俺のモノに届いており、長い指先が無造作にそれを揉みしだき始めた。
「そんなこと言って、そっちだって結構、その気になってるんじゃない・・・」
「違うって・・・こら、やめろよ・・・」
感じまいとするが、そこは男の悲しい性である。
「いやらしい声出しちゃって・・・俺の手首をしっかり掴んで、それって強請ってるの?」
「んなわけないだろ・・・畜生っ・・・てめぇ・・・」
やばい、このままだと、本当に勃っちまう。
「目が潤んでるよ・・・色っぽいなぁ・・・ねえ、もっといいことしてやるからさ・・・俺と下行こう・・・」
ルイに耳元で囁かれて、ゾクリとした。
「誰が行くか・・・っ」
「じゃあここでヤル? 俺はそれでもいいんだぜ」
ここで・・・こんなガキに、辱められて・・・アドルフに見られでもしたら・・・。
そんなことを考えていたときである。
「そいつはお断りだ」
嘘だろ・・・。
「ああ? 何か用かよ・・・?」
俺を抱えて壁へ押さえ付けながら、顔だけを後ろへ向けて、挑発的な声でルイが聞き返した。
「お前こそ、俺の連れに何をしてくれているんだ」
図体の大きいルイの肩越しから、おそるおそる首を伸ばし、俺も声がする方向を見ると、冷ややかな瞳と視線がぶつかった。
心臓が大きく音を立てた。
なんて現場を・・・俺はいったい今、どんな顔をしていただろう。
アドルフは、どう思っただろう。
「そんなもん見りゃわかんだろ。とっとと失せな。俺はこの綺麗なオジサンと良いコトしてんだからさ」
「ほう・・・どう見てもお前が、強姦未遂を働いているようにしか見えないが」
「俺の手の中にある熱いもんは、そうじゃないって言っているみたいだぜ」
やめてくれ・・・。
「なるほど、その野郎にシコられて気持ちよくなってんのか、ピエール?」
「ア・・・アドルフ・・・お前な・・・」
「そうだっつってんだろ、空気読めよオッサン。だいたいアンタ、ただの友達なんだろ? この人がさっき、アンタとは何でもないって言ってたぜ」
「そうなのか、ピエール?」
「それは・・・だから・・・」
状況は、どんどん不味い方向へ転がり落ちているような気がした。
アドルフとは、友達に過ぎない・・・それは間違いないのに。
俺がそう言った筈だというのに、それをアドルフに確認されているだけなのに・・・なぜだか、俺は自分で決めたこの定義を肯定できないでいた。
友達じゃないなら・・・、一体なんだというのだ。
「ああ、もうしつこいオッサンだな・・・行こうぜ、ピエール」
ルイが俺の肩を引き寄せ、フロアの奥に続く暗がりへ移動しようとした。
その方向には地下へ向かうと思われる、階段の手摺が見えていた。
気持ちは抵抗でいっぱいだった筈なのに、碌に身体へ力が入らず、俺はルイからされるままになっていた。
「ピエール」
後ろから名前を呼ばれる。
「ああ・・・」
振り返ると、俺を真っ直ぐに見ている、冷たいブルーの瞳に捉えられる。
「だから、空気読めっての・・・」
うんざりした声で、溜息混じりにそう告げるルイの声が聞こえた次の瞬間、強く手首を掴まれて、身体を後ろに引っぱられた。
「空気を読むのはお前の方だ、坊主」
「アドルフ・・・?」
そのまま、アドルフの胸へと抱き込まれ、手慣れたしぐさで顎を捕えられる。
急激な早さで間近に迫ってくる美しい造形に、ハッと息を呑んだ。
「友達は友達でもな・・・、色々とあるんだよ」
視線を俺にしっかりと合わせて放たれたその言葉は、果たして誰へ向けたものだったのだろうか。
「アド・・・」
彼は俺に、自分の名前を最後まで呼ばせはしなかった。
口付けた途端、深く合わされたその感触を、俺の口唇はよく知っている。
その心地よさに自然と瞼を閉じ、触れ合った箇所に神経を集中させて、いつしか俺は夢中になって、アドルフのキスを受け止めていた。
自分が一体、いつの間に彼の肩へ手首を回して縋りつき、向きを変えながらキスを味わい、どういう原理から涙が溢れてきて、いつのまに目尻から幾筋も零していたのか、わからないぐらい夢中に・・・。
カウンターに背中を預けるような姿勢で身体を仰け反り、上半身を直に弄られる冷たい掌の感触に、深い吐息を漏らす。
「ピエール」
耳元で俺の名前を呼ぶ低い響きのその声に、まるで神経を優しく愛撫されているような錯覚を覚えて、俺は溜まらず背筋を震わせた。
何度も首筋に触れて来る少し湿った口唇の感触が、徐々に気分を高めてくれる。
後ろへ回っていた掌が、背中から腰、そして尻の窪みへと位置を変え、際どい場所へさえも触れてきたが、不快感はなかった。
やはりアドルフなら構わないのだと、改めて気づかされるその事実に、俺は瞠目する。
胸を愛撫していた彼の手が、開いたままのファスナーの隙間から侵入してきて、俺の前に触れた。
「あっ・・・」
思わず声を漏らすと、アドルフの肩がビクリと揺れる。
「ダメか?」
せつない声がそう尋ねてきた。
「何・・・が・・・?」
心臓がドキドキと鼓動を打っている。
俺達は一体、ここで何をしているのだろうかと、改めて思う。
これではまるで、俺達はこんな場所で・・・他の人だって沢山いるというのに。
「何って・・・そりゃあ、お前・・・」
アドルフが困ったような声で口籠っていた。
そういえば。
「ルイは・・・?」
俺は彼がいた筈の場所へ視線を移し、続いてその辺りに暫く彷徨わせる。
いつの間にかルイはいなくなっていた。
それに気付くまでの間に、何人かの客やバーテンダー達と目が合ってしまう。
ニヤニヤとこちらを見ている者、非難するように目を細めている者もいる。
「気になるのか・・・?」
アドルフが固い声で聞いた。
漸く自分がしていることに気付かされた。
しつこいルイを追い払うためとはいえ、こんなところで中年の男二人がキスを繰り返しているだけでも、みっともないだろうに、この体勢は一体何事だ?
俺は仰け反るようにして、カウンターに身体を押し付けられて、腕は誘うようにアドルフの肩へ回し、腰を抱えられて、おまけにジーンズの前もすっかり拡げて、パンツ越しとはいえアレを相手に握らせて・・・。
「あ・・・当たり前だろっ、やめろよ・・・」
咄嗟にアドルフの身体を押し返して、直後に抵抗を封じられる。
「そんなにアイツが良かったのかっ・・・!」
ペニスに強烈な握力がかかった。
「あうっ、ぐ・・・てめっ、何言っ・・・んんっ・・・!?」
そして再び口付けられた。
アドルフと唇を合わせることには、もう抵抗がない。
舌を絡め合い、口の中を弄られ、唾液を交ぜ合わせ・・・合間に彼の名前を呼びそうになり、つい先ほど、実際に何度かそうしていたような記憶に、内心苦笑する。
無意識のうちに、恋人同士のような振る舞いを、俺達はしていたということだ。
そしてもう一度、改めて前を握られたその手の感触で、俺は息を呑む。
「ここも・・・アイツには触らせて、俺はダメなのか・・・?」
「アド・・・ルフ・・・?」
下着越しではない、直に触れてくるアドルフの掌。
それがゆっくりと動き始め、俺はすぐに声を出しそうになった。
「固いな・・・そんなに良かったのか?」
声に微かな笑いが混じっていた。
「あれだけされたら・・・あたりまえ・・・だろ・・・んっ・・」
最初はルイに触られて、次にアドルフに口付けられ、胸や首筋を愛撫され、強い力で腰を引き寄せられて、下着越しに握られて・・・・今、再び深く口づけられ、今度は直にそれを愛されて・・・これで勃たないようなら、聖人か不能のどちらかだ。
「そろそろ限界みたいだな・・・掌に出してくれてもいいが、どうせなら下に行くか?」
「無理・・・だ・・・保ちそうにない・・・あ・・・ああっ・・・はあっ・・・んんっ!」
次の瞬間、アドルフは俺の背中を壁に押し付け、焦ったように唇を合わせてきた。
俺のものはドクドクと脈動しながら、アドルフの手を汚し、快感に震える身体と、霞がかかったようなその思考の中で、その瞬間、咄嗟にアドルフが俺の姿を、フロアの視線から隠してしてくれたのだということに、ぼんやりと気が付いていた。
「うう・・んっ・・・」
不意に切羽詰まったようなアドルフの声が聞こえ、俺は彼の様子が可笑しいことに気が付いた。
「アドル・・・フ?」
「頼む・・・そのままでいいから、・・・何もしなくていいから・・・もう少しだけ・・・」
辛そうな声でそう言われ、俺は言われたとおりに背中を壁に預けたまま、徐々に前から体重をかけてくるアドルフの身体を受け止めた。
腰がもぞもぞと揺れて、続いてその手が、股間のあたりで忙しなく動きまわる様子を、視界の隅に確認する。
彼が何をしているのか、漸く俺にもわかった。
「アドルフ・・・」
俺の射精を受け止めたその手で、彼は自分を慰めていたのだ。
「ふっ・・・んんっ・・・ハ・・・あぁっ・・・ピエ・・・ピエー・・・ル」
精一杯押し殺しているのだろうとわかってしまう、俺の名を呼ぶアドルフの声。
「・・・・・」
俺が彼を、ここまで追い込んでいたのだ。
「ピエー・・・ル・・・ンンッ・・・」
最後にもう一度俺の名前を小さく叫び、広い肩を震わせながら、彼が精を吐きだしたのを感じた。
いつのまにか俺の肩に顔を埋めるようにして、寄りかかっていた彼の背中は、射精の疲労で激しく上下している。
俺がそっと手を置くと、アドルフの背中はビクリと跳ねた。
「・・・・・・・」
だが俺は何も言わず、俺に預けてくれたままの、その大きな身体へ両腕を回し、触れるだけのキスをひとつだけ落とした。
誘惑されてしまいそうな甘い香りを、いつもよりも強く放っている、柔らかな白い首筋の皮膚へ。
to be continued
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