ルブールこと、エミール・ド・リラダンとは、事前に聞いていたミノリの話の通り、見たところ30代前半から半ば程度の、痩せぎすな男だった。
コラムニストという職業を生業とし、今もこの屋敷に数十名も出入りしているように、大学生を中心とした若い青少年から絶大な支持を受け、新聞や雑誌などで名前を見る機会は多いが、顔出しを好まない性分なのか、その正体は謎に包まれていることが多かった。
それでもまったく写真が出回っていないわけでもないのか、あるいは、当然のことながら本人と会っている人間がいるわけで、そういう人々から伝わってきた情報だったのか、なかなかの美男子という噂は、けして外れていないようだった。
ルブールは少し長めの漆黒の髪を、自然と項に垂れさせて、メタルフレームの眼鏡の奥にあるコバルトブルーの瞳と、微笑を湛えた薄い口唇には、知性の光と皮肉の色を宿らせているように見えた。
肌はアドルフのように非常に白く、太陽の光を受け付けないイメージで、しかしアドルフの体躯が、筋肉質で力強い印象であるのに対し、目の前のコラムニストは女性的であり、身長も俺と変わらず、体重は恐らく10キロほど下回るように見受けられた。
一言で評すれば軟弱そのもの。
しかし容姿だけ見れば、非常に美しい部類に入るのだろう。
顔を出せば、さぞかし楽をして儲けることが出来るだろうに・・・既に金持ちだから、これ以上必要ないのかもしれないが。
「こちらです」
階段を降りかけたところで一旦足を止め、俺達の方を見ながらルブールは行き先を告げた。
「あ・・・そうなんだ」
振り返ると、ミノリが一人だけ階段の前を通りすぎて、廊下の向こう側へ行こうとしていたようだった。
「はい。少し弟の部屋を移動させまして・・・」
ルブールはふたたび降りながら話を続けた。
玄関があったのは1階。
つまり、この屋敷には地下があるということらしかった。
そんな場所へ、彼が弟と呼ぶ少年の遺体が、移されたということだ。
「今日は何かあるんですか? 随分と人が多いようだが・・・」
目の前を歩くルブールの背中へ向かって、俺は質問してみた。
「いつもこんなものですよ。僕のようなしがない物書きを慕って若い人達が集まり、いろいろと手伝いをしてくれる。不器用な性分なもので、一人じゃまともに家の管理もできませんからね、本当に助かっています」
「それにしても立派なお宅だ。コラムニストっていうのは、そんなに儲かるお仕事なんですか?」
「いえ、この家は父のものです」
「それでは、家族も一緒に住んでいるのですか?」
「この地で住民登録をしているのは、この家では僕だけですよ。父はオートリーブにいます。僕はもともと、そっちの出身なんですよ」
「なるほど、ここはあんたの親父さんの別荘ってわけか」
「そんなところです。随分とはっきり物を仰る方のようですね。質問が来る前に教えてさし上げますが、母は既に他界しており、父は後妻と後妻の連れ子とともに、本宅に住んでおります。僕が彼らに気を遣って家を出る前に、財産分与のつもりで父がこの屋敷を僕へ与えてくれました。別荘がなくなることに、後妻が不平を漏らしたかどうかは知りませんがね。俗物の彼女のことですから、さぞかし父は説得に労を費やしたことでしょう」
ルブールが吐き捨てるように言った単語は、俺の注意を引いた。
俗物。
そう言えば、ルブールはその言葉を多用して、世の中をシニカルに捉えた文章を多く書いている男だった。
だから彼はきっと、その後妻のことを軽蔑しているのだろう。
「そうだったのかい。・・・まあ、色々と詮索するようなことを聞いて、気を悪くさせちまったのなら、すまなかったな。そんなつもりはなかった。俺はあんたみたいに、上品な育ち方をしていないから、まるで躾がなっていないんだ」
俺の実家は、パリ近郊の工業団地の中にあり、住人は殆どが移民だった。
パトカーのサイレンを聞かない日は皆無で、逮捕歴がある同級生の友達は、俺の指の数より多い。
せめて大学へ進学させれば、まともな就職ができるだろうと、親父もお袋も必死になって俺の学資を稼いでくれて、大学だけはなんとか卒業もしたが、結局俺は違う街の部品工場へ就職し、半年後に会社が倒産した。
そこへジュスティーヌの妊娠が重なって、そこからは地獄のような苦しみの日々が何年も続いた・・・いや、地獄の毎日になったのは、まったく俺のせいだが。
「いえ、別に怒ってなどいませんよ。むしろ、あなたのように歯に衣を着せず、お話をする方を僕は好きですから。ただ、師事する師匠よりも前を歩いて、御自分の興味を満足させる弟子というのが、珍しく感じられただけのことですよ。・・・どうぞ、こちらですのでお入りになってください。河上先生も、さあ・・・」
そう言ってルブールは突きあたりの部屋の前に立ち止まると、両開きの扉を片方だけ押して俺達を中へ促した。
流動する空気に乗って、中から香ってくるのは、さきほどの甘い花の匂い。
「すごい・・・、ヒアシンスだらけだ!」
部屋は扉も含めて全てが白く、白い壁に白い寝台、そこに眠る白い衣の少年。
そして彼の周りには、白い布を掛けられた机が置かれ、たくさんの白い花瓶に大量の青いヒアシンスが活けられていた。
ということは、ポワトゥはあれからこの部屋へ花を持ってきたのだろうか・・・いや、ダミアンとの会話は、そんな感じじゃなかった筈だが。
ふと突き当たりの壁を見る。
全てが白で纏められているこの部屋で、その部分だけ、明らかに様子が違った。
「あの向こうはどうなっているんですか?」
「壁ですよ」
「壁にカーテンを引いてあるんですか? それは少し、可笑しくはないかい?」
壁一面に分厚いカーテンが引いてある部屋・・・・確かにカーテンの生地も、同じトーンの白であるとはいっても、これは異様だろう。
「染みを隠しているんです。古い家ですからね」
しらじらしいことこの上ない言い方で、ルブールが言った。
「染みですか」
どこの世界に染みを隠すために、わざわざレールを敷いて、天井の下から床の上、右の壁から左の壁まで、きっちりとカーテンで覆い隠す家があるというのだろうか。
しかもこのサイズのカーテンが、普通のインテリアショップで取り扱っているとも思えないので、絶対に特注だ。
たかが染み隠しの為にそこまでするのだろうか、・・・馬鹿馬鹿しい!
さらに言えば、この部屋は面積と比べて、声が響きすぎる。
ということは、あの向こう側へも空間が続いているとしか、考えられない。
そしてルブールは、その広がりを俺たちに隠しているのだ。
一体カーテンの向こう側に、何があるというのだろうか。
「おじさん、そこにイーゼル立てて」
ルブールとの会話が途切れた頃を見計らってくれたのだろうか、一人でせっせと準備を始めていたミノリが、ようやく口を挟んで来た。
「ん・・・ああ」
俺は、車からここまで運んできた長細い包みを開けて、袋からイーゼルを取り出すと、言われた辺りに脚を広げて組み立てた。
寝台の上を見る。
ミノリの話だと、既に遺体であり、デュルタルがエンバーミングを施したという少年。
彼は実に美しい容姿をしていた。
透けるように白い肌の顔には、ほんのりと赤みが差してあり、口唇は艶やかで鮮やかな薔薇色に染まっている・・・、おそらく薄化粧をしてあるのだろう。
震えもせずに閉じられた目蓋には、瞳の大きさが窺い知れるような、長く豊かな量の睫毛と、同じ色をした栗色の髪は綺麗に波打ち、柔らかく彼の顔の周りを取り巻いている。
その類い希な愛らしさは、あの憎たらしいマルセル・ランドリューと同種のもののようであり、そしてマルセルよりは寧ろ、地味なステファヌ・ゾラに、幾らか色気を纏わせたようにも見えた。
いずれにしろ、アドルフが雇っている少年達と、遜色がないレベルの美少年というわけだ。
そしてこの穏やかな表情は、一体どういうことなのだろう。
人は、死の瞬間がいかに苦しいものであろうとも、いつまでも苦悶の表情を浮かべているわけではない、ということはわかっている。
表情筋の作用がないのだから、皆、死ねば無表情になるのだ。
しかし、この少年の顔ときたら。
穏やかを通り越して、満足げであるようにさえ見える・・・・デュルタルがエンバーミングの際に、何かしたとでもいうのだろうか。
「・・・っ!!!」
突然冷たい感触に手を握られて、俺は強く息を呑んだ。
「いつまでもここにいては、お仕事の邪魔になります。我々は外へ出ませんか?」
ルブールに促され、それから5分後に、部屋を辞していた。
ミノリを一人で、ここへ来させるわけにはいかない、という決心のもとに同行した手前、一応、5分は粘ってみた。
しかし寝台に横たわるのは、既に息を引き取った少年であり、ルブールも部屋を出て行くのであれば、ミノリも大して危険な状況に置かれないであろうということと、何よりも、当のミノリに、気が散るから出て行ってくれと言われたことから、俺もルブールに従ったのだ・・・。
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