玄関ホールへ戻る途中、俺はルブールに聞いてみた。
「すでに6月だというのに、凄い量のヒアシンスだな」
「弟が好きなんですよ」
あくまで弟ということにしておきたいらしい、ルブールが、そう言った。
「それにしても、弟さんはまったく起きる様子がなさそうだな。まるで死体だ」
ふとルブールは足を止めると、俺を振り返る。
俺としてはルブールに揺さぶりをかけたつもりだったのだが、どうだろうか。
「ねえ、ラスネールさん・・・・僕はあなたを美しいと思いますよ」
面と向かってルブールはそんなことを言いだし、俺は面食らった。
「はあ・・・そりゃ、どうも。しかし、俺はあんたの方が、よほど綺麗だと思うぜ」
「そしてあの子・・・あなたも随分と見惚れていたようですが、実に天使のような容姿をしているとは思いませんか?」
「たしかに、綺麗な少年だったな。しかしまた、自分の弟に対して、随分と仰々しい称賛だな」
「けれど、我々のこの肉体は、魂を収めるための入れ物に過ぎない・・・・あなたはクリスチャンですか?」
「ああ、そうだが・・・」
「でしたら、人が神に生かされていることに、異論はないでしょう。人とは間違いなく、肉体ではなく精神を、魂を指すもの・・・それならば、肉体の美しさに、一体どれほどの値打ちがあるというのでしょうか」
「あんたの前提で言うなら、ゼロということになるな・・・」
一体、何を言い出すのやら。
玄関ホールから続く廊下まで、あと数段といったところの階段で立ち止まったまま、ルブールは行く末がまったく見えない話を続けた。
それは俺の目を見て話されていた筈だが、俺にはなぜルブールがそのような哲学論を繰り広げるのか、その理由も目的もまるで読めなかった。
「それでは、この肉を流れる血はいかがですか」
ルブールは、おそらくわざとであろうが、俺の胸に手をあててその質問をした。
「血が・・・、何だって言うんだ」
これもまた意図の見えない質問だった。
ルブールの目的も、考えていることもわからない状況で、ただ添えられるようにして触れている、ほっそりとした彼の手を、払い除けるわけにもいかず、俺は気まずさを覚えた。
「血は肉体を循環し、身体の隅々に酸素を送り込み、肉体を動かしている・・・そうですね。さらに血の繋がりなどという言葉があるように、親や兄弟など、家族を象徴する肉体的なものの代表が人の血です。しかしながら、人は死に、肉体は滅び、血は循環を止めます。身近な人の死を、愛する者を失ったことはありますか?」
「ああ」
「・・・そうですか。悲しかったことでしょう。涙は悲しみを浄化し、感情の高まりは、死によって受けた心のストレスを発散させ、生きる活力を与えます」
「お前に言われなくてもわかっている。俺が何歳だと思っているんだ」
「そうでしたね。・・・どうやら僕よりも、あなたはいくらか年上らしい。あなたは、愛する誰かを失ったとき、その肉体の滅びを悲しみましたか? それとも、その魂を感じられなくなった喪失感によって、涙を流されたのですか?」
「理屈じゃないだろ、そういうことは」
「人が魂を指すのであれば、それは魂を感じられなくなることによる、悲しみでなくてはならない筈です。では、この肉体とは、どれほどの価値があるのでしょう。血は?」
「ごちゃごちゃと理屈っぽい野郎だな。だから理屈じゃないって言ってるだろう! あんたが妙なカルト集団のリーダーをやっているってことは、俺も知っている。けどな、俺はそういう話に興味はないんだ。頼むから、妙な理屈をこねくり回すのは・・・」
「そう、理屈じゃない!」
突然ルブールが大きな声を出し、俺は危うく階段を踏み外しそうになった。
「・・・は?」
理屈じゃない・・・それなら、今並べ立てていたご託は、一体何なんだ?
「愛する者の死は、ただそれだけで悲しい。・・・その肉も、血も・・・総じて我々人間は愛しているのだから。目の前で、・・・鼓動を止めた愛しい者を、・・・肉塊となった、動かぬその身体を・・・、ただ見ているだけしかできない、この無力を・・・僕は憎む」
「だったらよ・・・」
「何でしょう」
「あんたが悲しんでいるように、そいつの両親や家族は、同じだけ・・・いや、ひょっとしたら、もっと辛い筈なんじゃないのか?」
「我々は血縁を重視せず、魂の繋がりを尊重し、それを真の家族と呼んでいます。ここに集う若者達を、あなたも何人かご覧になったでしょう? 彼らのことですよ」
「あの死体の少年も、そうだって言うのか?」
「眠り続ける僕の弟のことを指しているのなら、その通りですよ」
「そうだったな、眠り続けているんだったな」
「仮に、弟が死んでいたとして・・・・僕は、その肉体が腐敗し、ガスを放ち、滅んでいく様をじっと見ていたくはない」
「だからエンバーミングさせたのか」
「それで、いくらか腐敗の進行を止めることができるのなら・・・精一杯あがけばいいじゃないですか。せめて、彼を送りだすまでの間・・・我々真の家族に見守られるなか、光の家へ旅立つ様を・・・・」
真の家族・・・光の家・・・聞き慣れぬその言葉は、恐らくルブール達の宗教用語なのだろう。
相変わらず胡散臭さは拭いきれないが、話し続けるルブールの表情はせつなく穏やかで、少なくとも少年に対する哀悼の念だけは、本物であるような気がした。
ルブールの少年に対する愛は本物だという、昨日ミノリが言っていた話は、案外信用できるものなのかもしれない。
「それは、いつ頃までのことを指すんだ」
「河上先生の絵が仕上がり次第・・・大丈夫です。御心配なさらなくとも、ちゃんと現世の御家族の下へ返しますよ」
「そうか・・・ところであんた、あの子が死んでいるってことを認めるんだな」
「シャルルなら眠り続けているだけですよ」
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