ミノリの絵は、翌日仕上がった。
直接ルブールの邸へ納品するというから、ミノリと絵を乗せて、再び俺はフォントネーへ向かった。
昨日はヒアシンスで少年の部屋が飾られているだけだったが、この日はさらに多くの花で埋め尽くされ、屋敷全体が甘い香りで満ち溢れていた。
「なんだかバタバタとしていて、申し訳ありません」
玄関ホールで俺達を出迎えた使用人のダミアンは、梱包された絵を受け取りながら、すまなそうにそう応じた。
「それにしても凄い人だな」
ホールもそうだが、何よりも前庭が車でみっしりと埋まっていたのだ。
昨日も車は多かったが、今日は門の中へ車を入れることすら出来なかった。
「ええ・・・今日は大切な儀式の日ですから。よろしければ、少しご覧になって行かれますか? 先生の了承がございましたら、きっと・・・」
「ああ、いや・・・結構だ。・・・ありがとう」
例のカルト宗教のことだろう。
昨日の会話で、思っていたほど、ルブールが悪い男ではなさそうだということはわかって、多少安心はできたのだが、ふたたびあの御託に付き合わされるのは、もう御免だった。
「リラダンさんは?」
ミノリがダミアンに聞いた。
「先生は礼拝堂にいらっしゃいます」
「礼拝堂・・・それって、フォントネー教会のことか?」
俺が聞くと、ダミアンは下を向いて微かに苦笑した。
そこに侮蔑の色を見たのは、俺の見間違いではなかった。
「いえ・・・、邪教の敷居を跨ぐことは、けしてありませんよ。礼拝堂はこの邸の地下にあります。今日は本当に大切な日ですから・・・先生はすでに禊を済まされ、祭服に着替えられています。もう少しされたら、瞑想に入られると思いますが、その前でしたらお話をされるぐらいのことは・・・」
「気遣いは無用だ。ミノリ、そろそろ行こう」
「ああ、うん・・・じゃあ、お邪魔しました。リラダンさんによろしくね。・・・ちょっと、おじさん待ってよ・・・」
ミノリに声をかけると、俺はさっさと出口へ向かっていた。
まったくもって気分が悪かった。
勢いよく扉を開けると、外から入り掛けていた男とぶつかりそうになった。
「うわっ、・・・すみません」
男がよろめきながら謝ってくれる。
「おっと・・・悪いな・・・大丈夫かい?」
手を貸してやりながら、俺も東洋人風のその若者に謝り、先に彼を通してやると、追い付いてきたミノリも男にペコリと頭を下げて、俺より先に外へ出て行った。
俺もミノリに続いて庭に出る。
「もう〜、なんで先さき行っちゃうかなあ」
納品を終えて、手ぶらになったミノリが玄関ポーチの階段を、一段飛ばしに降りながら、途中でこちらを振り返って顔を突き出し、両手を腰に当てて、頬を丸く膨らませて見せてきた。
ひょこひょこと、いちいち踊るようなその動作が、今にも転びそうで見ていられない。
「ちゃんと前を向いて歩け、また人にぶつかるぞ」
ミノリの肩に手を置いて、くるりと身体を前へ向けてやる。
「ぶつかりそうになったのは、あたしじゃなくておじさんでしょ!」
今度は拳を振り回して盛大に暴れ始めたので、とりあえず階段の下まで降りた時点で、すぐに手を離してやった。
「あれは、あの東洋人が急に飛び込んで来たんだ。・・・日本人か?」
最初はルブールの親衛隊だか、信者だかの一人かと思ったが、よくよく思い返してみると、他の連中とは少々空気が異なった。
なんというか、彼からは世間並みの猥雑さ・・・、ルブールが言うところの、俗物の雰囲気が感じられる。
それはあくまで世間並みという話であって、とりわけどうだと、いうことではなく、言い変えればここに出入りしている連中・・・たとえば、あろうことかキリスト教を邪教呼ばわりした、あのダミアンなどは、極めて純粋であり、真面目であり、それだけに、狂い始めたら手に負えないということだ。
「違うよ。たぶん中国人か韓国人じゃないかな」
「そうなのか・・・すげえな、発音でわかるんだな、お前」
「発音・・・? あたしは話してないから、そんなのわかんないよ。おじさん喋ったの?」
「いや、謝られただけだが、完璧なフランス語だと思ったぞ、俺は・・・というより、ますますお前は、なんであいつが日本人じゃないとわかるんだ。奴は、ここによく出入りしていて、既に会っていたのか?」
「知らないよ、そんなの。多分会うのは初めてだけど、勘かな・・・、だって同じ日本人なら、顔とか動きを見ればわかるでしょう、そりゃ」
「俺はフランス人だが、相手がフランス人かどうかなんて、パスポートを見せてもらうまで、わからんぞ。顔はともかくとして、動きってのは一体何なんだ・・・。たとえば、俺の目にはお前の動きが、日本人的かどうかは知らないが、少なくとも、お前がシャンゼリゼ通りで群れをなして、買い物に勤しんでいる日本人ツーリスト達と、同じような行動をしているかどうかは、俺にはわからないし、寧ろ同じだとは思えないし、彼女達の部屋がお前と同じように不潔で、レネットで髪をシャンプーしているとは、とてもじゃないが・・・・おっと、あそこにいるのは、アヴリルじゃないか!」
目の前で、いつのまにやら小さな肩を激しく震わせて、真っ赤な顔で俺を睨みつけていたミノリから視線を逸らし、俺は見知った顔にその名前を呼びかけた。
辺り一面に新芽の甘い香りを漂わせている、菩提樹の木陰で煙草を吸っていた男も、俺に気がつき手を振ってくれる。
「よお、奇遇だな」
足元にぽとりと落とした吸殻を靴底で踏みつぶして、癖のある赤毛の男は髭面に人懐こい笑顔を浮かべながらこちらへ歩いてきた。
ミノリが見ていたら、何を言い出すかわからないが、幸い彼女は俺を無礼だと詰ることに夢中になっていて、アヴリルの粗相にまで気が回らない様子だった。
「こんなところで会うとは、なんてこった・・・・まさか、お前もルブールの信者だなんて、言わないでくれよ」
「ははは、アリーヌよりも一回りは若く見える、小さな少女に手を出し始めた犯罪者野郎に言われたかないね。・・・で、一体どちらさんの子供なんだ? 子守りでも頼まれたか。お嬢ちゃんのお年は、いくちゅでしゅか?」
わざとらしく腰を屈めながら、そう尋ねるアヴリルの太腿に、不機嫌が頂点に達したミノリのキックが側面から鋭く入るのを、俺が止められる筈もなかった。

 06

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