ウェイと話をしていたのは、5分程度のものだ。
それから俺はミノリを連れて、シャンゼリゼのフルニレズへ戻ることにして、アヴリルはウェイをパリ市内のホテルへ連れて行った、・・・いや、その前にどこかへ立ち寄ると言っていただろうか。
確かにウェイの話は衝撃的で、もっといえば悪趣味だった。
同時に信頼性には乏しく、とても、はいそうですかと頷いて、信じられる類いの内容でもない。
荒唐無稽と笑い飛ばしてもいい、・・・ティエリの話さえ、聞いていなければ。
実際に少年はルブールと性交渉を持っていた。
だからといって、セックスと死姦とではわけが違う。
しかしルブールは血の繋がりがない少年の遺体を、遺族へ連絡もせずに何日も手元へ残し、エンバーミングまでさせて、その肖像画をミノリへ描かせた。
ダミアンは特別な儀式を本日行うと言い、そのためにルブールは禊をするという。
さらに屋敷を彩る、異様な花の量。
充満する甘い香り・・・ウェイによると、香にドラッグが使われているという。
本当にルブールが死姦行為に及ぶのだというなら、相手はあの少年で間違いないだろう。
しかしティエリの話を聞く限り、少なくともエンバーミングの段階では、死後の純潔は守られていたと信じられる。
そして昨日俺が、少年を実際に見た印象から言っても、静かに横たわるその佇まいは、極めて清潔であり、可憐で、無垢であり・・・とても、遺体が冒涜されているようには感じなかった。
つまり、ウェイの話を信じるとしても、死姦はこれから実行に移されるということなのだろう・・・。
しかし、本当にそんなことがあるのだろうか・・・あるいは俺を揶揄っただけなのか・・・。
連中の儀式とやらは、ドラッグとセックスによる、狂ったパーティーだとウェイは言った。
そのような騒乱の中で、集団を司る長は何を説き、どういう行動を行うのだろうか。
クスリをキメてハイになり、誰かれ構わず身体を交える信者達のなかで、遺体の少年は選ばれて、ルブールは彼の白い裸に触れて。

・・・何もしなくていいから・・・もう少しだけ・・・。

「・・・・・・っ」
不意にゲイバーでの記憶が、脳裏に蘇った。
「おじさん、大丈夫・・・?」
助手席のミノリが心配そうに声をかけてくる。
「ああ・・・ええっと、そこからイエナ橋を渡るからな」
「知ってるよ、・・・何度も送ってもらってるじゃない」
「そうだったな・・・すまん」
エッフェル塔の長い影が伸びているシャンド・マルス公園からセーヌ川を渡る。
太陽はだいぶ西へ傾き、移動遊園地の回転木馬にも、既にオレンジ色の照明が点っていた。
噴水を吹きあげるシャイヨー宮の前庭を見ながら、新緑が清々しいナシオン・ユニ通りを通過し、進路をやや東寄りへとって、さらに北上した。
シャンゼリゼ通りを目指したその道すがらに、フルニレズは建っている。
「いいけど・・・なんだかここのところ、おじさん達ちょっと様子が可笑しいから。オーナーと、やっぱり何かあったの?」
「いや・・・大したことじゃないんだが・・・、なんだ、アドルフも可笑しいままなのか?」
バーで分かれて以来、アドルフとはまったく口を聞いていない。
昨日のミノリの話では、確かに心ここにあらずな状態だとは、言っていたのだが、未だにそんな様子が続いているのだろうか。
考えてみれば、アドルフは俺の目の前で自慰をして見せたのだ・・・それは確かに、自己嫌悪で落ち込んでも仕方がないかもしれない。
だが、その直前には俺に射精をさせたわけで、俺達はその前に何度もキスをしていて・・・、あれは、つまりその・・・、ある種の性行為にあたるのではないだろうか。
「ちょっとおじさん、どこ行くの?」
「えっ・・・ああ、しまった・・・参ったな、シャンゼリゼに出ちまった」
その後、俺は一つ向こうの筋から引き返し、もう一度同じ通りへ入りなおして、漸くフルニレズへ到着した。
店は照明が消えており、ミノリが持っている鍵でシャッターを開けて、俺達は中へ入る。
アドルフはというと、恐らくメッシーヌ・ベルシー大学へ行っているのだろうとミノリが言った。
「どうやらステファヌのお兄さんが、最近、変な連中と付き合っているってわかったらしくてさ」
モンブランを追い掛けながらミノリが教えてくれた。
「おい、あまり構ってやるなよ・・・・変な連中ってのは、どういう連中なんだ?」
「うーん、よくわかんないけど、なんか新興宗教っていうの? 怪しいカルト集団みたいな・・・」
「なあミノリ・・・まさかと思うが、その怪しいカルト集団のアジトから、今俺達はパリへ帰って来たんじゃないのか?」
「ああ・・・そういうことなのかな。光の家だかなんとかって名前の団体で、真の家族がどうのこうのっていう・・・最近、大学生ぐらいの若い男の子達が、よくハマッっていて、メッシーヌ・ベルシーにも会員が多いらしいよ」
「なんてこった・・・」
俺達はステファヌの兄貴の、ほんの近くまで近づいておきながら、のこのこと手ぶらでパリへ戻って来てしまっていたらしかった。
そのとき、シャッターを開閉させる音が聞こえ、続いて事務所の扉が開けられた。
「ミノリ、来ているのか・・・ああ、ピエール・・・」
「よお・・・なるほど、酷い顔だな」
相変わらずな黒尽くめの装いで、長身を包んだ男は、色白の顔をさらに白くさせ、落ち窪んだ青い目の下に、暗い陰を落としながら、乱れた長髪を乱暴に後ろで纏めて立っていた。
つまり、碌に寝ていない顔だ。
「オーナー、お帰り。ねえ、あそこのキャンディー食べていい?」
「ああ・・・速やかに人質を解放してくれるなら、要求を受け入れよう」
ミノリは足元へモンブランを下ろすと、小走りにキッチンへ入り、テーブルの上へ出しっぱなしになっているグラスジャーの、アルミ蓋をクルクルと捻って指を突っ込む。
そして、中から苺の形をした赤いキャンディーをひとつ取り出し、ポイッと口へ放り込んだ。
この家には、ときどき意外な物が置いてあるのだが、そのひとつがこの愛らしいことこの上ないキャンディーボトルだろう。
アドルフが苺のキャンディーを食べる姿は想像しがたいし、まったく食べないというわけではないだろうが、恐らく好んで手は出さないだろう。
アルミ蓋のグラスジャーの方に原因があり、大方、モントルイユの蚤の市で一目惚れをして購入してきたものを、飾りたいがために、わざわざ苺のキャンディーを買ってきて中へ入れたのだ。
だからテーブルへ、出しっぱなしになっている。
まあ、ミノリが喜んで中身を消費しているようだから、それなりに役目を果たしていて何よりだが。
「メッシーヌ・ベルシーへ、行っていたんだってな」
ミノリの手から逃れて、俺の足元で丸く蹲っているモンブランの頭を撫でてやりながら、アドルフに聞いてみた。
「ああ」
シャツのボタンを外しながら廊下へ消えたアドルフは、上半身裸のままで部屋へ戻って来ると、クローゼットから同じようなシャツを取り出し、そちらへ袖を通した。
通り過ぎる瞬間に、あのとき強く感じた甘い彼の香水が、またひときわ濃厚に香った。
記憶を掻き乱されそうになり、俺は軽く頭を振って、気を引き締める。
今は、そんなことに捕らわれているときじゃないのだ。
おそらくアドルフも、今日は忙しく、走り回っていたのだろう。
だからといって、ミノリがいるのだから、半裸でうろつきまわるのは、止めて頂きたいのだが・・・近いうちに本人へ注意するとしよう。
当のミノリはというと、こちらも気にせず、機嫌良くキャンディーを頬張っていた。
いつの間にか、ボトルを抱え込んでいる。
着替え終わったアドルフは、俺の目の前で腰を下ろすと、深々とソファで背を伸ばし、後ろで縛っていたゴムを解いて、乱暴に髪を掻きむしった。
「何かあったのか」
そう尋ねる俺を見て、アドルフは一瞬目を見開き、俺に視線を合わせて来た。
そして、少し考えるような顔になり、息を吐くと。
「まあな・・・結果から言えば、ちょっと厄介であり、状況が判明したという意味では、それなりの進展があった」
「ステファヌのお兄さん、やっぱり変な宗教に入っちゃってたの?」
瓶をカラカラと鳴らしながらミノリが聞いた。
「そうらしい。シャルルが姿を消した最後の日は、その教団で定例会と呼ばれる集会が開かれていて、彼もそれに参加していた。同じ集まりに参加していた、複数名のサークル仲間からも、その証言がとれている。しかも彼らに言わせると、その集会では、少々非合法なドラッグが出回っていたらしく、相当ブッ飛んだ内容だったらしい。その子達は、けして純粋に、宗教的な興味や哲学的な好奇心から、参加を決めたわけではなかったが、だからといって下手をすれば、両手が後ろへ回るような、ヤバいことに首を突っ込みたかったわけでもなく、それきり教団とは関わりを絶っていると言っていた。だが、メッシーヌ・ベルシーには、このカルト集団へ深く嵌ってしまっている奴らも多く、その殆どが寮の学生で、詳しい連中の間では、『光の家メッシーヌ・ベルシー支部』とさえ言われているようだ・・・、相当根深い問題みたいだな。とにかく、そのとき集会へ参加していた学生達は、ちょくちょく大学を休んでおり、教団の活動へ情熱を注いでいるらしいと推測できるものの、完全に行方不明になっているわけではない。失踪しているのは、あくまでシャルルだけなんだ。考えたくはないのだが、あるいは教団との間で、何かトラブルに巻き込まれている可能性もあるのだろう。偏見かもしれないが、カルト教団が引き起こす事件に、誘拐や拉致は、けして無縁ではないからな」
それだけ一気にまくしたてると、アドルフは立ち上がりキッチンへ入っていった。
カウンターでキリマンジャロをコーヒーメーカーにセットしているその背中に向かって、俺は先ほどから少し気になったことを質問してみる。
「なあ、ステファヌの名字ってたしか、小説家みたいな名前だったよな」
「ああエミール・ゾラか・・・そうだ。綴りも同じ筈だぞ。だが、血縁だとか親戚だという話は聞いていない。彼の実家は確か、モンペリエで牡蠣の養殖を営んでいる」
「そうなのか・・・」
「牡蠣かぁ〜・・・長いこと食べてないなあ」
牡蠣の代わりに、またひとつキャンディーを口へ放り込みながら、ミノリが言った。
「なんだ、牡蠣が食いたいのか? ブラッスリーで良ければ、いい店を知っているから教えてやるぞ」
「結構ですよ〜。パリで食べても、牡蠣鍋ってわけにはいかないもんね」
「牡蠣鍋? それは一体何だ?」
「白菜、春菊、白葱、しめじ、焼き豆腐、結び糸蒟蒻、なんかと一緒に、土鍋に仕掛けて、合わせ味噌で煮込むの。牡蠣からいい出汁が出て、身体は温まるし、最高に美味しいのよ・・・今は夏だから、それは要らないけど」
「何を言っている。牡蠣といえば、生牡蠣だろう。銀皿に氷を敷き詰めて、海藻と一緒に美しく盛り付ける。レモンを絞り、シャブリかミュスカデと一緒に、一杯やるのが良いんだろうが。ビネガーでもいいぞ。火を入れるなんて、ありえん。磯の香りが消えちまう」
「加熱して殻へ戻し、カレーソースをかけてもいけるし、エスカルゴバターでソテーしても意外と上手いぞ。・・・それはともかく、いつから牡蠣談義になったんだ?」
マグカップを3つ抱えてもどってきたアドルフがそう言って、俺とミノリの前にキリマンジャロを出してくれた。
匂いにつられて、モンブランが寄って来る。
アルプスの名峰を名前に付けられたこのペルシャ猫は、どういうわけかコーヒー、それもキリマンジャロが好物だ。
まあ、そうなるように俺が仕向けたようなものなのだが。
「オーナーありがとう。モブラン行儀わるいよ、足を乗せちゃだめ!」
「モンブランはこっちだ」
そう言ってアドルフは猫を抱えて部屋の隅へ行くと、目の前にパリサンジェルマンFCが、カップウィナーズ・カップの優勝記念に出したらしい、白い陶器の皿を置き、そこへ茶色い液体を注いでやった。
液体は猫用に予め冷ましてあったらしく、モンブランは必死になって、ピチャピチャとそれを舐め始める。
異様な光景だ。
「ところで、話を戻すが・・・」

 08

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