アドルフの話はこうだった。
今日彼は、ステファヌを連れてメッシーヌ・ベルシーを訪れたらしいのだが、その帰り道、二人の目の前に、メッシーヌ・ベルシーの元留学生であり、フリージャーナリストだと称する、フランス語が流暢な中国人が現れた。
彼は中国とフランスの若者達による、文化交流の為に話を聞かせてほしいと告げて、ステファヌだけを伴い、カフェへ入っていったのだという。
特に不審な印象はなく、このところステファヌもシャルルのことで参っていたから、いい気分転換になるだろうと思い、二人をカフェに残してアドルフは先に帰って来た。
だが、もしも彼が言っている中国人とウェイとが同一人物だとすると、その目的はけして、中国とフランスの若者の文化交流などではないだろう。
「そういえばウェイは、邸からでてきた直後、アヴリルへ、ホテルへ戻る前に寄ってほしいところがあると言っていたな・・・」
今更会話を思い出した俺は、助手席のアドルフに教えた。
大学の寮が教団の支部だと言われるほどに、信者にメッシーヌ・ベルシーの学生が多いのなら、当然、本日あの屋敷には、さぞかしメッシーヌ・ベルシーの学生が溢れていたことだろう。
実際、ウェイに情報提供をしたアメリカ人も、メッシーヌ・ベルシーの留学生で、ウェイ本人も元留学生だ。
復活祭を直前に控えた邸へ、彼が入れた理由を、ウェイ本人は、その後輩のお陰だと言った。
ということは、邸でそのアメリカ人留学生と会っていた筈だ。
そこで他の信者や、メッシーヌ・ベルシーの学生を紹介され、話を聞いた可能性は極めて高い。
中にはシャルルの友人がいただろうし、ウェイの興味が何よりも、これから死姦されようとしているシャルル本人にあったことは想像に難くない。
当然話題は、シャルルに関する情報収集に絞られ、その中でステファヌの存在を知ったのだとすれば・・・。
ステファヌもまた、メッシーヌ・ベルシーの学生であり、あるいは信者の中にステファヌの友人がいた可能性だって低くはない。
全ての共通点は、メッシーヌ・ベルシーだ。
「ここを出て、大学へ直行したんだろうな・・・」
信号待ちの時間が、気が遠くなるほどに長く感じられた。
パリの景色はすっかりとイルミネーションに彩られている。
イエナ橋の向こうから、ぼんやりと赤い鉄骨を輝かせたエッフェル塔が、明るいレーザービームを回転させながら放っていた。
真実を知らされたステファヌは肉親の死にショックを受け、しかも兄の亡骸が衆人環視の元で凌辱されようとしていると聞かされて、黙っているわけはないだろう。
漸く車が流れ出し、遅々として動きの鈍い夜のパリ市内の交通渋滞から、時間をかけて、俺達はフォントネーを目指した。
「本日は大切な儀式がございますので・・・」
「こっちも大切な領収書を、渡し忘れちゃったんだよねぇ。このまんま帰ったんじゃ、オーナーに怒られちゃうよ。責任とってくれんの?」
ひっそりと静まり返った邸の玄関からは、そのような声が聞きとれた。
ルブール邸の警備は、実に念入りだった。
まずは門の前にガタイの良さそうな男が二人・・・これはおそらく、信者などではなく、雇われた警備会社の人間なのだろう。
ミノリが手にしている、ルブールの直筆でサインされた注文書を彼らに見せると、ここは難なく通過できた。
そして、俺とアドルフは車へ残り、ミノリ一人で玄関へ向かわせると、恐らく警備員から無線で予め俺達の訪問を聞いていたのだろう、応対に出て来たダミアンと彼女は、目下玄関前で交渉中なのである。
「でしたら、ここで僕がお預かりしまして、先生には僕から今日中にお渡し致しますから・・・」
「何言ってんの、そんなこと出来るわけないじゃん! あなた、何者? リラダンさんじゃないでしょう?」
「僕はダミアン・デ・ゼルミーと申しまして、先生の・・・」
「あのねぇ、フルニレズは信用第一がモットーなの! そんなどこの馬の骨ともわからないような赤の他人に、お客様の大切な領収書を渡せるわけがないじゃん!」
敵のアジトへの突入を目前に控えた、緊迫した状況である筈なのに、ミノリが繰り広げるどこか間の抜けた玄関前のやりとりのお陰で、思わずニヤニヤと笑いが漏れてしまう。
「そろそろ、行くぞ」
すると後ろからアドルフに声をかけられ、俺達は様子を見ながら中庭の方へ回ることになった。
「信用第一がモットーってのは、本当なのか?」
「当然だ」
ミノリの会話を思い出し、アドルフに質問してみると、あっさりとそんな返事がかえってくる。
「そうだな・・・っと」
足音を立てないようになるべく土の上を選び、窓から建物の中へ影を見せないように腰を屈めながら、壁面に沿って移動をしていたつもりだった。
だが、ほんの少しの砂利を踏んだ途端、頭上の窓が開けられて、俺とアドルフは慌てて壁に背中を貼り付けるようにしながら、地面に腰を下ろす。
「誰だ?」
「どうかしたのか」
「いや、・・・今、庭に誰かいたような気がして・・・」
窓からはそんな会話が聞こえて来る。
不意に少し離れた茂みから、葉を揺らすような音が聞こえて、ドキリとした。
「なんだ・・・!?」
「カラスだろう・・・まったく脅かすなよ。・・・おい、中ではまだ香が焚かれているんだから、さっさと窓閉めろよ。通りすがりの住民にでも気づかれたら、厄介だ」
信者らしき二人が、そう話して頭上の窓が閉じられる。
気配が消えるのを待って、俺はようやく息を吐いた。
「やれやれ・・・これで寿命が5年は縮まったぞ」
「そうだな。たまたま手に触った石ころが、上手く茂みに命中してくれたよかった」
「お前が鳴らしたのか、今の・・・・って、あっ・・・」
頭のすぐ斜め上から聞こえて来るその声を聞きながら、俺は体勢を戻す。
そして改めて、アドルフが腕を回して俺の肩を引き寄せるようにしており、俺はというと、彼の胸に抱きつくような恰好で、その場に蹲っていたことに気が付いた。
ゲイバーでの出来事で気不味くなって以来、あまり気持ちの良い話ではないとはいえ、シャルルの一件で、どうにか再びアドルフと普通に話せるようになったというのに、すぐにこれでは・・・。
「まあな。この体勢からでは、まともに投げられるかどうか自信がなかったんだが、どうにか成功してよかった。・・・・そこの扉に立っている奴は、貧弱そうだな。俺達もここらで、二手に分かれよう。揃って見つかっちまうより、別々に行動したほうが、可能性が高いだろう」
「そうだな・・・」
俺が取り乱しかけたことで、気遣ってくれたのだろう。
アドルフの方から身体を放すと、彼はさっさと前を向き、再び中腰の姿勢になりながら歩みを進めた。
「じゃあ、ここから俺は入る。お前はあっちへ回るんだよな」
「ああ。地下へ続く階段は建物の裏手になると思うから、その辺から入れる場所を探してみる。じゃあな」
「ああ・・・ピエール」
「ん?」
中腰の体勢のまま、アドルフを追い抜いて裏手へ進もうとした俺を呼びとめて。
「・・・気を付けるんだぞ」
暗闇の中で感じる、生温かい彼の息遣いと、口唇に当たる柔らかな感触。
「馬鹿野郎が」
そして俺を置き去りにして立ち上がり、堂々と扉へ向かって歩く、長身の後ろ姿。
bonsoir・・・何を考えているのか、そんなアドルフの挨拶が聞こえた次の瞬間、彼の胸に倒れて来たほっそりとした身体。
儀式用らしき、ポンチョタイプの白い装束に身を包んだ、信者と思われる少年の身体を、座らせるようにしてその場へ残し、アドルフは扉を開けて建物へと入っていった。
それを見届けて、俺も建物の裏手へ回る。
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