諦めて通話を切ると、俺はロビーのソファへ座り込んでいるミノリの元へ戻ったが、その夜結局アドルフがこのホテルへ連絡をくれることはなかった。
ちなみにアドルフ本人はというと、既に粗方の用事は片付いていたらしい。
電話に出ていたギー・フルニレの声の明るさからいっても、それは間違いがないだろう。
ギーと細君の間には、学生寮から目下帰省中の跳ねっ返り、一人娘のクロエ・フルニレがいるのだが、1週間前にクロエは停学処分を言い渡されており、高圧的な学校側の対応に即刻退学すると息巻いていたのだそうだ。
今月初めにクロエは寮のシャワールームで倒れたところを、後から入って来た寮生に発見されており、白いその肌には赤く痛々しい縄目跡が付いていたのだという。
苛め発覚と早合点した善良な保険医は学校への報告に加えて、独断で警察へ通報し、両親・・・つまりフルニレ夫妻へ密告を済ませた上で、クロエの交友関係を洗い浚い単独調査したが、1週間も経過したころになって、逃げ切れないと観念した寮長が顔を真っ赤にして校長室へ出頭してきた。
連日学校中が自分のことで大騒ぎし、学内には常に刑事がうろついていたのだから、十代の彼女はさぞかし怯えていたことだろう。
クロエよりも1歳年上のこの少女には、間もなく停学処分が言い渡されたが、それにはクロエが怒り心頭で異議を唱えた。
確かにクロエを縛ったのは寮長だが、それはクロエが望んだことであると・・・・つまり、二人は随分と前から恋愛関係にあり、学校寮でSMプレイを楽しんでいたというのだ。
そして寮長が停学になるなら、自分も同じ処分にしろと自ら申し出たクロエの希望は、速やかに叶えられた。
クロエは両親に対し、自分たちの愛は本物であると説き、頭の古いリセの卒業資格など若く輝かしい彼女の人生には価値がなく、いずれ自分と寮長は結婚するつもりなのだとまで宣言した。
これに困ったギー達は、餅は餅屋だろうとばかりにアドルフに相談していたのだそうだ。
結果から言うと、クロエは週明け寮へ戻る・・・といっても、そろそろ夏季休暇に入ってしまうのだから、そのまま寮長と旅立って恋のアバンチュールを楽しむことは目に見えている。
さらに学期の境とともに刑期も終了するのだから、一件落着というわけだが、年度が変わって彼女の性癖が変わるわけでもないだろう。
まあ、この先どうなるかなど誰にもわからないことだ。
俺が公衆電話から戻って来るのを待っていたかのようなタイミングで、通話を終えたドークルが俺たちを呼んだ。
だが、改めて教えられた情報は、アドルフへ電話を架ける前と同じ結果だった。
どのホテルも、今夜は満室である。
そこでドークルから、思いがけない提案があった。
「もしよろしければ、私の自宅へお泊りになりませんか?」
まだ受話器へ右手を置いたままの姿勢で、ドークルが俺を見ながらそう言った。
「あなたの家に・・・ですか?」
予想もしていなかった彼の申し出に、俺は戸惑った。
いくら部屋に空きがなく、周辺のホテルも満室だからといって、従業員が客を自宅へ宿泊させようなどという話へ、さすがに二つ返事で応じられない。
見ず知らずの人間を家に受け入れることは、勇気がいるだろうし、もしも彼に家族がいるなら彼らにも迷惑だろう。
そもそも、そこまでして貰う理由も権利も俺にはない。
仮に一人暮らしだとして、たとえば俺が若い娘であれば、誘惑したいということかもしれないが、ドークルはあきらかに俺を見て言った。
もちろんそれが、ミノリに向かってされたことだったとしても、こんな申し出はすぐに断るだろう。
・・・なるほど、本心としてはミノリを誘いたかったのかもしれないが、不躾だと判断し、俺に言ったということなのかもしれない。
実のところ、彼には毛色の変わったロリコン趣味があって、さらに行きすぎた奥ゆかしい恋愛傾向の青年・・・ということなのだろうか。
あるいは、ドークルはアドルフと同じような性的嗜好という可能性もありうる。
それとも単純に金銭目的ということだろうか・・・俺が金持ちに見えるとも思えないのだが。
失礼千万であろう俺の思い巡らしが顔に出ていたのであろうか、ドークルはやや苦笑を漏らしながら打ち明けた。
「実は私の自宅は、このホテルの敷地内にございます。こう見えまして、このホテルも、辺り一帯の土地も、父の遺産なんですよ」
「ということは、貴方がここのオーナー?」
せいぜい30代後半にしか見えないこの青年が、かなりの資産家であったことへ、俺は素直に驚いた。
「はい・・・まだまだ未熟者ではありますが。母屋はここから庭を挟んだ場所で、そこには使っていない離れがございます。昔馴染みの使用人が、ホテル同様に、その離れも手入れを致してくれておりますので、ホテルと同じとはいかなくとも、さほど居心地は悪くないと存じます」
離れであれば互いにそれほど気を使わずに過ごせるだろうし、この青年が純粋な好意から申し出てくれていることも理解した。
本気でそんなことを考えたわけではないが、どう見ても俺より金持ちに違いない彼が、俺の財布を狙っているとも思えないし、ましてや誘惑目的とも考えにくい。
何よりもこの申し出を受け入れなければ、今夜俺は車で過ごすより他はなさそうだった。
「それじゃあ、ありがたくそうさせてもらうよ」
結局俺は、ミノリの宿泊代と同じ料金を支払う事で、彼の自宅の離れ屋へ泊まる事にした。
ドークルは金をとるつもりもなかったらしいが、さすがにそこまで甘える理由はない。
その代わりにと、彼は俺たちを夕食へ招待してくれた。
俺はこれも断るつもりだったが、空腹が限界だったらしいミノリが勝手に承諾した。
話が決まり、ミノリのチェックインを済ませて、俺は再びアドルフへ連絡を入れることにした。

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