「オートリーヴへ行かれていたんですか。シャントルーヴの住人が言うのもなんですが、あそこも結構な田舎でしょう」
自宅の離れに案内してもらった俺が、再びドークルと会ったのは、夕食の時間として指定されていた1時間後のこと。
離れ屋とは、マロニエの木を挟んで10メートルほどの距離がある、母屋の食堂でのことだった。
先に到着していたミノリは既に食卓へ着いており、いじましく皿を抱え込んで、オレンジソースがかかった兎肉に齧りついていた。
ドークルはあれから間もなく、別の従業員とフロント業務を交替したらしく、ラフな白いポロシャツ姿に着替えており、撫でつけていた黒髪も前髪を下ろして自然な形にしていた。
彼が座している隣の椅子には、ジュラルミンっぽい素材の目立つブリーフケースが置いてある。
離れへ案内してもらう時にも、彼が携行していたものだ・・・肌身離さず持っているのだろうか。
ワーカホリックというやつかも知れないが、少々病的に感じる。
しかしながら、こうして蛍光灯の下でリラックスした装いで座っていれば、ドークルはホテルの間接照明で見た時より、ずっと若く見えた。
案外、30歳そこそこといったところかもしれない。
「フランスではパリしか知らなかったから、バスが午前中しか走ってないなんて、ちょっとカルチャー・ショックだったよ。でもシュヴァルは凄いね! あれだけのインパクトは、そうお目にかかれないよ! 本当に行ってよかった。ねえ、支配人さん。この辺に写真屋さんってないかな。写真撮ったから早く現像に出したいんだけど」
「お前は、また無茶を言うな・・・」
「写真・・・ですか。さすがにこの時間ではもう開いておりませんが、ここから5分とかからない場所に1軒だけありますよ。ただ、経営者が老齢の方で、かなり気まぐれに営業されているようですから、明日必ず開いているかどうかは・・・ちょっと電話で聞いてみましょう」
そう言って、早速椅子から立ちかけたドークルを、俺は慌てて引き止めた。
「どうかお気遣いなく・・・だから、さっきも車で言っただろう。写真がすぐに出来あがったとしても、明日はパリへ帰るんだぞ? ここまで取りに戻るわけにはいかんだろうが」
「そういうことでしたら、お願いすれば郵送して頂くこともできると思います。御自宅で現像されていらっしゃいますから、午前中に頼めばその日の間に送って頂いて、翌日にはパリでお受け取り頂けると思いますよ。以前、やはり遠方から来られたお客様が、どうしてもモザイク小屋の写真を早く見たいからと仰られて、そのような手配をして頂いたと、大変喜んでおられたのを覚えておりますから」
「モザイク小屋・・・モザイク模様で飾った小屋が、この近くにあるんですか?」
俺が解説を求めると、ドークル氏は一瞬あっと言う顔を見せたが、次には満面の笑顔を浮かべながら説明を始めた。
彼としても俺たちに話したかった内容のようだった。
「ここのすぐ近く・・・というより、実はその土地も我がドークル家の敷地内になってしまうのですが、シャントルーヴ墓地があるんです。モザイク小屋というのは、そこにある独創的な建物のことですよ。名前の通りモザイク・・・それもガラスモザイクで壁や屋根を覆われていて、今日のような美しい晴天であれば、陽光でキラキラと輝いて見えます。さきほど申し上げたお客様のように、そのモザイク小屋を見る目的で、シャントルーヴを訪れる方もいらっしゃるぐらいで、この寂れた村のちょっとした名所にもなっている場所ですよ」
「すごい・・・そこってすぐ近くなの?」
ミノリが身を乗り出して聞いた。
随分と気に入って食べていた兎肉から、興味は完全にモザイク小屋へと移行したようだった。
「はい。先ほども申し上げましたが、墓地自体がここの敷地内にございますので、この家からも歩いて五分とかからない場所ですよ。たとえばこのグラス・・・そちらのランプシェードもそうですが、これらはシャントルーヴ・ガラス製品です」
そういってワイングラスやテーブルの端に置かれた、可愛らしいランプを指さすドークルの顔は、モザイク小屋の説明をするとき以上に嬉しそうであり、誇らしげに見えた。
「つまり、・・・この村はガラス産業が盛んなのか?」
ホテルのフロントにあった、印象的な赤いガラスシェードのランプを思い出す。
言われてみるとランプシェード以外にも、あの場所にはありとあらゆる、ガラス製品が置かれていた。
ロビーのテーブルに置かれた灰皿、天井のシャンデリア、窓の一部には花柄のステンドグラスが埋め込まれ、あちらこちらに置かれた花瓶や置物、それらの全てが非常に個性的であり、カラフルで美しかった。
さきほど案内された、俺が宿泊させてもらうドークル宅の離れも然りである。
このワイングラスも脚が黄色から水色のグラデーションに色付き、さらに所々へ入っている気泡がキラキラとしていて可愛らしい。
「この地域は元々何もない、本当に貧乏な田舎だったんですよ。あるとき村に大きなゴミ処理施設が作られたのですが、そこには割れた酒瓶が沢山ありました。村の近くに大きな酒蔵メーカーがあったんです。そこで村は瓶を溶かして、グラスやランプシェードに作り直し、住人達の日々の生活用品として使いはじめたんです。それをレストランなどでも利用していたところ、持って帰りたいから売って欲しいと仰られるお客様が増え始め、試しにホテルなどで、土産物として販売してみると、なかなか好評だったのですよ。そこから形を工夫し、色の種類を増やして改良を重ね、やがてシャントルーヴ・ガラスとして出荷できるほどに育ったというわけです」
「なんとも素敵な話じゃないか。たしかに、ただカラフルというだけではなく、色も美しいし、このキラキラとした気泡がワインの赤を乱反射させて、ロマンティックでさえあるな・・・これなら、土産物として買って帰りたいという人の気持ちもよくわかる」
俺が同調すると、ドークルは少し照れくさそうに苦笑した。
「その気泡なのですが、実は元々の廃ガラスを再利用する際に、製造過程でどうしても入ってしまう泡でして・・・つまり、粗悪品ということなんですよ」
「そうなのか?」
これは予想外の返答だった。
といっても、確かにガラス工芸の技術も良し悪しも、俺には知識が皆無だ。
「はい。ですからシャントルーヴ・ガラスは割れやすく、温度変化に弱いんです。それゆえ、土産物として持って帰って頂く際には、かならず厳重に梱包させて頂きます。
その為費用がどうしてもかかってしまい、粗悪なガラスであるにも拘わらず、土産物としては販売価格が高くついてしまうんですよ。
それでも良いから買って帰りたいと仰ってくださるお客様には、感謝の言葉もないぐらいなのですが。
あくまでシャントルーヴ・ガラスは使い捨ての日用品向きです。もちろん、ホテルの客室やロビー、あるいはステンドグラスに使用しているものは、耐久性が求められますから、それなりの技術も込められた高価なものですが、廃ガラスの再利用がシャントルーヴ・ガラスの基本精神なんですよ。村の住人達はそれらを愛し、日用品に、あるいは先祖の墓参りに持って行き、花を飾り、故人が好きだった酒や菓子を供えたりします」
「なるほど・・・そうして墓参りにやってきた人々が置いていったシャントルーヴ・ガラスが、そこで更に廃ガラスになって、モザイク小屋が出来たってわけか」
漸く話が見えてきた。
「まるでシャルトルのピカシェットだね」
故人の墓を訪れる人々が残して言った陶器の欠片を集め、墓守人のイジドールが自分の家と庭をモザイクで埋め尽くしたピカシェットの家。
確かに似ていると言えば似ている。
そして、シャントルーヴのモザイク小屋は、住人達が愛したシャントルーヴ・ガラスによって作られているというぶん、さらに彼らにとっては思い入れもあることだろう。
そんな場所が、ホテルのすぐ傍というか、敷地内にあるのだ。
確かにこれは見てみたい気がする。
「それにしても墓地がホテルの敷地にあるだなんて、また変わった話だな」
「元々ドークル家の土地だったわけではございませんが、先代の時分に大規模な都市化計画がございまして、その際に・・・食事がお済みのようでしたら、お皿をお下げしましょう。コーヒーをお持ちします」
「ああ、すまないな・・・」
なんとなくではあるが、少々不自然に話を打ち切られた気がした。
ドークルの表情も、先ほどとは打って変わって硬い。
シャントルーヴ・ガラスについては、あれほど熱弁を奮ってくれたというのに。
考えてみれば、自宅の敷地内に墓場があるというのは、あまり気味の良い話ではないかもしれない。
あるいは、その都市化計画とやらの際に、嫌な思い出でもあるのだろうか・・・この話については、俺もこれ以上続けないことにした。
コーヒーを運んできてくれたドークルは、俺が電話を2度もかけていた相手について聞いてきた。
06
欧州モノ:『La boheme, la boheme』シリーズへ戻る