「ああ、大学時代からの友達だよ。今はアヴィニヨンいる兄貴だか従兄だかの家を訪問中だから、ひょっとしてこの辺のホテルについて知らないか聞いていたんだ」
「さようでしたか・・・それでは、その方にもご迷惑をおかけしてしまったというわけですね。お帰りになられた際には、ぜひともお詫びしておいてください。・・・そうですね、よろしければ私どもで販売しております、このワイングラスをお持ち帰り頂きましょうか・・・それとも、ワインの方がよろしいでしょうか」
「ああ、いやいや・・・どうかお気遣いなく。っていうか、こんなメシまでよばれてんのに、これ以上気ぃ遣ってもらっちゃ、俺の方が恐縮しちまうよ。バカンス毎に泊まりに来ないといけなくなっちまう」
「それが狙いなんですがね」
そう言うとドークルは悪戯めいた顔でクスクスと笑った。
もちろん冗談なのだろうが、真面目そうに見えて、それなりにユーモアを持ち合わせる人柄らしかった。
「オーナーはね・・・ああ、そのアドルフって人、あたしの雇い人でもあるんだけど、モンブランみたいに色が白くって夜行性で、最近わかったんだけど、ドラキュラなんだって」
「オーナー・・・すると、アドルフさんという方は会社を経営されていて、お客様はそこでアルバイトか何かをされているということですか? それにしてもモンブランのように色が白いですか・・・・アルプスの名峰・・・お客様は中々詩的な感性を持っていらっしゃるようですね。そういえば、お手持ちの荷物にイーゼルがございましたが、学校では絵画か何かを勉強されていらっしゃるのですか? 一度拝見してみたいものです」
何か色々と誤解が生じているようだったが、俺は敢えて突っ込むのはやめにした。
ちなみにミノリが出したモンブランとは、今はミノリの魔の手から逃れて、シャンゼリゼのペットホテルでのんびり寝ているであろう、アドルフの飼い猫のことだと俺は思うが、ドークルにそれを知る由があろうはずはなかった。
「う〜ん、アルバイトっていうか・・・まあいいや。絵ならいつだって見せてあげるよ」
ミノリも自分の立場をはっきりさせようとしたみたいだが、結局曖昧なままで誤魔化すことにしたようだ。
アドルフとの雇用関係を考えてみれば、犯罪の片棒を担いでいることになるミノリにとって、滞在資格的観点において実に賢明な判断である。
説明するのが、単純に面倒くさかっただけだとは思うが。
「ドラキュラといえば、実はこの村にも吸血鬼伝説があるんですよ」
突然、そのような突拍子もないことを口走ると、ドークルはしたり顔で向かいに座っているミノリと俺の顔を交互に見つめた。
「何それ!?」
「珍しいな、東欧でもないのに」
ドラキュラのモデルともなったヴラド・ツェペシュは15世紀ルーマニアのワラキア領主であり、主にスラヴ人達の間で吸血鬼伝承が語り継がれているイメージがある。
「かつてこのシャントルーヴ村では、10代から20代のうら若き女性たちが、相次いで変死した事件があったんです。彼女達は死の直前、皆、まるで人が変わったように素行が悪くなって、村の男たちを誑かしていたと言われ、男たちもまた、彼女達の後を追うように、次々と亡くなっていきました。それらが吸血鬼による仕業だと、この村では言われているんですよ」
「なんだ・・・黒いマントを翻していたとか、血を吸っていたとかって話じゃないの?」
どうやらミノリには肩すかしだったらしい。
「一般的な吸血鬼伝説ってのは、大抵ペストの流行を恐れる人間心理がその実態だったりするからな。それに黒いマント翻してってのは、小説の世界の話だろ」
大抵のイメージは、映画や小説におけるドラキュラのイメージからくるものなのかもしれないが、スラヴ人達の伝説はそうではない。
虫やネズミに変身したり、惨殺されたり、自殺したために、死後吸血鬼になったり、・・・あるいは罪を犯した者がそうなったり。
だとすると、俺やアドルフも死後は吸血鬼ってことになる。
いずれにしろ、ドラキュラ伯爵のような洗練され、紳士的ですらある悪のヒーローは、フィクションにおける完全な創作だ。
「ですが、ラスネールさん、面白いことにあの小説もまた、シャントルーヴの吸血鬼伝説と無縁ではないようなのですよ。ブラム・ストーカーは小説において、ドラキュラ伯爵を黒い犬に変身させましたが、シャントルーヴの吸血鬼もやはり、犬に変身するといわれているのです。だからこそ、20世紀末のこの時代にフランスにおいて、未だにシャントルーヴの住人たちは、吸血鬼伝説を恐れなくてはならないのです。そう申しますのも、この辺りは近くに森があるせいか、野犬がとても多いのですよ。特に黒い大型犬は、シャントルーヴで非常に嫌われております。もちろん、うら若き女性たちが云々という話は、私も流行病が原因だと思いますが」
「まあ、そんなところだろうな」
田舎人というのは、素朴で敬虔で善良な人々であるがゆえに、迷信深いということだ。
「つまんないなあ」
「行儀悪いからやめなさい」
何を期待していたものやら、ミノリが不満そうに口唇を尖らせ、足をブラブラと揺らし始めたので、俺は叱った。
それを見ながら、客をがっかりさせてはいけないと考えたらしいドークルが、追加エピソードを話し始めた。
「それではこういう話はどうでしょう。死んだ10日後に行き還ったという少女の話です」
「何なに?」
次にドークル氏は、どう考えても作り話だろうその話を、できるだけ怖くなるように抑揚をつけ、細心の注意を払いながら、ミノリに語って聞かせてくれた。
吸血鬼よりは成功だったらしく、食事が終わってドークル邸を出た俺は、ホテルへミノリを送って行く道すがらその効果をさっそく知ることになったのだ。
「お・・・おじさん、今変な声聞こえなかった・・・?」
いつになく俺の腕にしがみつくようにして隣を歩いているミノリは、声を震わせながら俺を見上げてきた。
「鳥の鳴き声だろう・・・怖いんなら引き返すが、どうする?」
砂利道で足を止めながら、俺はミノリに聞いた。
彼女の背後には、立派な十字架が整然と並んでいる。
そう、俺達は数分前から墓地へ入っていたのだ。
「あの入り口の道を、もう一度通るのなんて、絶対に嫌だよ!」
ホテルの庭から墓地へ通じる門の周辺には、無縁仏らしい崩れかかった哀れな墓石が、土に埋もれるようにしてひしめき合っており、たしかに夜中に見るには、かなり不気味な光景といえた。
「嫌だと言ってもなあ・・・ホテルへ戻るには、結局あの門を戻らなきゃならんだろうし・・・そもそもお前がモザイク小屋を見たいって言い出したんだぞ。明日にすればいいものを・・・」
「そんなこと言ったって、これだけ月が明るいんだよ? ガラスモザイクだったら、キラキラ輝いてるかもしれないじゃん」
確かにその通りかも知れないが、だったら墓地で不謹慎にもキャアキャアと喚くのは自粛するべきだろう。
「まあ、正門前が無縁仏地帯っていうのも、可笑しな話だろうし、或いは別の門があるのかも知れん・・・しかし広い墓場だな。・・・だから、そうやって引っ張るな」
再び腕に強い力を感じた俺は、ミノリを窘めた。
「ねえねえ、おじさん・・・あれ見てよ」
「今度は一体何だって言うんだ」
声だけではなく、とうとう幽霊の姿まで見てしまったのかと呆れながら、俺はミノリが指さす方を見つめ、そして俺もまた息を呑んだのだった。

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