鬱蒼とした茂みを背に、一層黒々と建っている石造りの建築。
もしや、あれがモザイク小屋ではないかと思ったそのとき。
「何をしている!」
誰かを非難するかのような声が聞こえ、反射的に背後を振り返った。
予想していたよりもずっと近くに立っていたのは、背の高い男。
月光でもはっきりとわかる、彫りの深い顔立ちと黒々とした少し長めの髪。
恐らく瞳の色も黒であろうその目元は、雄々しい眉の下で鷹のように鋭い眼光をこちらへ向けている。
作業着のような繋ぎの服を来ていた男は、右手に鉈のような刃物と左手に麻布のような生地の厚い、大きな袋を提げている。
俺達が驚きで声を出せずに茫然と立っていると、男はさらにこちらへ一歩、一歩と近づいてきた。
「ひっ・・・」
隣で息を呑むような、細く掠れた悲鳴が聞こえたかと思うと、次の瞬間にはミノリが俺の手を引っ張りながら一目散に反対方向へ走り出す。
「あ、こら・・・おいっ」
「きゃああああああああああああああ」
小さな身体のどこに、こんな力があるというのか。
恐らくは火事場のなんとやらとでもいった法則によって、俺は墓場の通路を引き摺り回された。
それから一体、どこをどう走ったものか・・・おそらくはミノリの帰巣本能によって、奇跡的にも俺達は僅か5分でホテルの玄関前へ辿りついていた。
「お前な・・・準備運動もなく全力ダッシュしたら、心臓に悪いだろうが・・・」
肩で息をしながら、どうにかミノリへ教育的指導をするが、相手は20代前半だ。
「見ちゃった・・・見ちゃったよ、どうしよう・・・本当、心臓止まるかと思った!」
己の掌を左右の膝頭へ突き立て、荒い呼吸を繰り返す俺の目の前で、ミノリは目を大きく見開いたまま、疲れも見せずに騒ぎ続けている。
若さというのは、誠に驚異であると思い知る。
「そんなに興奮していて、大丈夫か? 部屋でいきなり叫び出すんじゃねえぞ。なんとなく、怒られるのは俺のような気がするから」
夜中に突然ドークルが部屋へやってきて、苦情が出ていると嘆かれるなんて、まっぴらである。
目の前にいれば叱ることもできるが、離れていては注意しようもない。
そうなると、ミノリを離れに連れて来るしかないだろうが、最悪の場合、二人揃って追い出されかねない。
夏とは言え、やはり路上で夜露をしのぐのは、中年には辛い。
「ねえ、おじさん! あれ絶対吸血鬼だよね、本当にいたんだ!」
「はあ?」
ミノリが狂言を口走り始めた。
「あたしたちの顔見られちゃったよ! 絶対今夜襲いに来る!」
「まさか、さっきの男のことを言ってるのか? どう見ても墓場の作業員だろうが、ゴミ袋持っていたし」
用具入れだったかもしれないが、まあどっちでもよい。
「夜中にウロウロしているなんて変だよ!」
「急用だったんだろう? っていうか、お前大概失礼だぞ。さっきもいきなり悲鳴上げて走り出すし・・・まあ、初対面から怒鳴ってくる野郎も、礼儀正しいとは言えねえが」
考えてみれば、それも妙な話ではある。
私有地の墓地とはいいえ、あれほど広い敷地面積があるのであれば、通り道に使う住人がいてもおかしくはないだろう。
あるいは、見慣れない顔で警戒されたのかもしれないが、何も突然、怒鳴りつけることはないであろうに。
「どうしよう、どうしよう・・・」
気が付けばミノリが同じ言葉を繰り返して、俯いている。
よく見れば、顔色があまり良くはない。
「お前、ひょっとして震えているのか?」
熱でもあるのではなかろうかと思い、前髪を掻き分けて額へ掌を当ててみる。
「ちょっ・・おじさん・・・?」
「少し熱いな・・・。なんだったら、やっぱりこっちで一緒に寝てやろうか? そうすれば吸血鬼に襲われる心配も・・・」

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