「ほう、吸血鬼か。ヴァンパイア、グール、ラミア・・・呼び方は様々だが、洋の東西を問わず同じような伝承が世界各地で語り継がれている。一般的には死者がなんらかの理由で蘇り、人や家畜を襲うという内容で、大抵は疫病が形を変えた物と考えられているな。それ以外に社会的背景に潜む問題を擬人化しているという説もある。たとえばドラキュラが発表された19世紀のイギリスでは、工業の発展に伴う人々の流入で、大都市で貧困層による叛乱が起きていた。つまりドラキュラが労働者の生き血を啜る資本家の象徴というわけだ。翻って、若い男女が次々と死んでいったというその時代、この静かなるシャントルーヴ村で一体何が起きていたのか・・・よもや、ブラム・ストーカーが書いたようなペストの流行があったとは思えないが、何かの疫病があったのかもしれない」
ミノリから話を聞き終えたアドルフは、コーヒーカップをテーブルに戻すと、彼なりにそう分析した。
「死者が出る程の流行病なんて、今どきあるか? ・・・いや、ないこともないか。確か10年ほど前に、パリでも新型インフルエンザで、死人が何人も出ていた」
新聞やテレビが連日ヒステリックに騒いでいた、それほど昔のものではないニュースを俺は思い出す。
「あのときはリヨンで死んでいた筈だ。・・・だとすると、シャントルーヴで死人が出ていても不思議はないが、被害者が若い女だったり、その女が男を襲ったと言われている点が気になる」
「友達だったりしたら、感染しても不思議はないんじゃないか?」
「素行が悪くなり、彼女達に誑かされた男が死んだんだろう? ただのインフルエンザなら、もっと被害が広がっていても可笑しくはない。・・・この言い方だと、寧ろ梅毒かなにかを思わせないか?」
「今どき梅毒で死んだりするか?」
「今どきならな」
「そうか、時期がわからない・・・」
俺よりはずっと若いであろうドークルの話に、勝手に最近の出来事だと思い込んでいたが、そこには前提となる時代背景の説明が欠けていることへ、今更ながらに気が付いた。
「或いはもっと違う病かもしれないが・・・ミノリ、さっき死人が蘇ったと言ったな」
不意にアドルフがミノリへ話を振った。
「うん。5年ぐらい前に死んだ女の子がね、その10日後に生き返ったんだって」
「そっちは随分と最近の話だな・・・いや、あのときそんなにはっきりと言っていたか?」
記憶によるとドークルは、最近という言い方をしていただけで、はっきりと5年前とは断定していなかった筈だ。
「バタイユさんに聞いたんだよ。吸血鬼見たって話したら、詳しく教えてくれた」
「おい、見たのか?」
「バタイユって誰だ」
知らない名前だ。
「写真屋さんだよ。ドークルさんが本当に連絡入れてくれていたみたいで、今日の最終便に間に合うように現像してくれるから、明日にはパリで受け取れるって。良い人だったよ。・・・あのね、昨夜おじさんとモザイク小屋を見に行こうとしたら、道に迷っちゃって吸血鬼に遭遇したんだよ。凄く興奮しちゃった!」
「嘘つけ、お前ビービー泣いてたじゃないか」
「モザイク小屋?」
「泣いてなんかいないよ、びっくりしただけだって。おじさんこそ、変な理由付けてあたしの部屋に入ろうとしたくせに、信じらんない!」
「おい、それこそ変な言い方するな。俺はお前が怖がっていたから心配して・・・ああ、モザイク小屋ってのは、その墓地にあるガラスモザイクで出来た建物のことで、このあたりはガラス産業が盛んらしい」
そう言いながら、手近なガラスコップを持ちあげてアドルフに見せてやった。
「水が入っているそれのことなら、ただのコップに見えるのだが。・・・何が何やらさっぱりわからんが、どうせこの後はパリへ戻るだけだろう。だったらその前に、ひとまずそのモザイク小屋とやらを見てからにしないか?」
そう言いながらアドルフが立ち上がる。
「賛成! このまま帰るなんて絶対にありえないよ。わぁ、でもフィルム現像に出しちゃったよ、おじさんどうしよう!?」
「フィルムぐらいそこらへんの売店で買えば良いだろう、カメラごと出したわけじゃあるまいし。だがミノリよ。その前にお前は、絵描きじゃなかったのか? いつから写真家に転向した」
「スケッチブックは当然持って行くよ。でも写真も撮りたいじゃない。あたし荷物取って来るから、おじさんチェックアウトしてて!」
「おいこら・・・ったく、当たり前のように精算押し付けていきやがって・・・」

 12

欧州モノ:『La boheme, la boheme』シリーズへ戻る