「あ〜あ、こいつあ、また派手にやられちまったなあ。きっとその辺にいる吸血鬼の仕業だろうよ」
駐車場へ着くと、元修理屋のリシャール・カレはS560の周りをくるりと歩きながら、一人でうんうんと頷いていた。
「はあ・・・」
俺は溜息と相槌の間ぐらいの応答を返す。
いつまで吸血鬼の話題から離れないつもりなのか・・・そう考えていると。
「なあカレ、その吸血鬼っていうのは黒い服を着て、太陽が苦手でって他に、何か特徴はあるのかい?」
不意にアドルフがカレに質問した。
「そんなもん吸血鬼っていったら、あとは十字架と大蒜が嫌いで女好きに決まってんでしょうが。・・・あんたは違うみたいだけどな」
なぜわかったのか知らないが、カレはアドルフがゲイだと見抜いているようだった。
「一般的にはそうだが、このシャントルーヴに伝わる吸血鬼伝説っていうのを教えてくれないか」
「へえ、ひょっとしてロジェから聞いたのかい?」
車から顔を上げると、はしばみ色の瞳を持つ目をやや細め、口元に微妙な笑みを浮かべながらカレはアドルフを振り返る。
思惑ありげな表情だった。
「そうだ。あるんだろう、この村に吸血鬼伝説とやらが。なぜそんな迷信を、ここの人たちは信じるようになったんだ」
「おい、そんなものを聞いてどうするんだ?」
アドルフが何を考えているのかわからず、俺が口を挟むと。
「そりゃあ、いたからに決まってるじゃないか」
カレがあっさりと宣言した。
「いたって・・・吸血鬼が!?」
ミノリが目を丸くして聞き返す。
「本気にするな。いるわけない」
「ところが本当にいたんだよ。そいつが誰か知りたくはないかい?」
カレが言う。
「修理屋さん知ってるの? 知りたい、知りたい!」
「おい、ミノリ・・・」
「ロジェ・ドークルの親父だよ」
俺が宥めるのも構わず、騙され易いミノリを相手に、カレがニヤニヤと気味の悪い笑いを浮かべながら言った。
「え・・・」
俺は言葉を切って、カレに視線を移す。
ドークルの父親が吸血鬼・・・どういう意味だろう。
「嘘、ってことはドークルさんも吸血鬼ってこと!? でも、普通にご飯食べてた・・・」
単細胞生物からさほど進化を遂げていないミノリが混乱していた。
「いやいやお嬢ちゃん、吸血鬼はドークルさんのお父さんで、ドークルさんは人間だよ・・・今のところはね。けど、最近の吸血鬼はご飯を食べるかも知れないから、気をつけるに越したこたあないがね」
「そうだった! オーナーもご飯食べてるもんね、おじさん?」
ミノリは未だにアドルフが吸血鬼だと思っているらしいが、面倒くさいので返事をせずに放っておいた。
それにしても。
「ドークルの親父というのは『アスタルテ』の先代オーナーのことだな。ひょっとして地域住民との間に、何かあったのか?」
不意にアドルフが、妙なことをカレに質問していた。
「あんたは、なかなか鋭いねえ。あったもなにも・・・あんときゃ流石に、俺もロジェと手を切って、学校の皆と一緒に奴を苛めてやろうかと思ったよ。けど、ロジェ自身はあの通り、優しい奴だから家の事とは関係ない。まあ、昔から少々ぼんやりしていて、何を考えているかわかんねえところはあったけどな。テオドール・ドークルってのは・・・ロジェの親父のことだが、あの男は悪魔みたいな奴さ。・・・25年前にこのシャントルーヴ村には、大規模な都市化計画があった」
シャントルーヴ村の都市化計画・・・・昨夜ドークルが言っていた話だった。
「その時にドークルが、墓地の敷地を買いあげたんだよな。・・・それも都市計画と何か関係あったりするのか?」
その話をしたとき、ドークルは気不味そうな顔をして、不自然に話を切っていた。
忌まわしい思い出か何かから逃げるかのように。
「ああ、モーベールの親父もあんときゃ気の毒だったぜ。都市化計画で墓地が接収されて失業したり、不当に賃金下げられたりしてなあ・・・。それまでシャントルーヴってところは、まるで陸の孤島でさ・・・駅もなければまともな道路もない。病院だって小さな診療所ぐらいしかなくて、大病を患ったら、リヨンまで出て入院するか、諦めて死ぬしかなかったんだ。そこで新しく就任した村長が、シャントルーヴに鉄道と道路を纏めて引いてくれることになった。そこまでは良かったんだが、その計画にはテオドール・ドークルが一枚噛んでて、移転が決まっていた墓地の敷地を買収したり、目の前に駅からの巡回バスを停めさせたり、高速からバイパスを引かせたり、やりたい放題しやがったんだ」
「よくある話だな。あんたが廃業したのも、ひょっとして何か関係があるのか?」
「俺が仕事を止めたのは、母ちゃんの方が稼ぎが良いからだが、俺の親父が廃業したのは、間違いなくテオドールのせいだ。俺の親父の店は、もともとここにあったんだよ」
そう言って地面を指した。
「ここって・・・まさか、この駐車場か?」
カレは苦々しい顔をして頷いた。
「うちもモーベールと同じで、土地を村に接収されたんだ。道路を引くからって言われてさ。確かに当時の時価で金は貰ったし、それで新しい土地も買って今の場所で店も出したが、辺鄙な地域で客なんか来やしねえ。しかも道路を引くって言ってたこの場所は、親父が敷いたアスファルトもそのままで、なぜかホテルの駐車場になってやがる。それでもまあ、親父のやり方がもっと上手ければ、店を畳まずに済んだ筈だって言われりゃ、その通りなんだけどな」
「なんだか気の毒だったな・・・」
とりあえず、ドークルの父親が守銭奴だということだけはよくわかった。
ちなみに先ほどから出ているモーベールという名前の男は、墓地の管理人である、例の作業着を着た大男のことだろう。
「日本にもそういう、嫌な金持ちはよくいるけど・・・・・、でもさ、そのときに墓地は村へ買い上げられて、ドークルさんが買ったわけでしょう? なのに、霊園が今でも残っているのはどうして? まさか、ドラキュラだからお墓が欲しかったってわけじゃないでしょう?」
ミノリが独創的な推理を付けくわえながら、指摘した。
墓地のまま残すのであれば、なぜテオドール・ドークルは土地を奪ったりしたのであろうか。
考えてみれば、奇妙な話である。
「もちろん、始めは別棟を建てるなり、庭やプールを作るなりしたかったんだろうな。大きな反対運動が起こっちまったんだ。あの墓地に先だった家族が眠っている住民は多い。それにあそこにギヨーム・モーベールが作った綺麗な小屋があるのを知ってるかい?」
「モザイク小屋のことか。あれは当時の墓地管理人が作った建物だったのか」
アドルフが聞き返した。
ギヨーム・モーベールというのが、あの作業着を着た管理人の父親の名前であり、素晴らしいガラスモザイク小屋の製作者名であるらしかった。
「そうさ、見事だろう? この村は高齢者が多くて、必然的に墓参りにやってくるのも年寄りばっかりだ。なのに、移転が決まっていた場所ってのは、日にバスが3本しか通らないないような、ド田舎だからなあ・・・しかもバス停から、若い男の足で30分も歩くような、山の中腹だぜ。ひでえ話よ。・・・とにかくさ、そんなわけだから、あの小屋は老人たちにとって、昔から恰好の休憩場所だったんだよ。とくに、こんな暑いと爺さん、婆さんにはそういう場所が必要なのさ。だからギヨームが直接テオドールに掛け合って、墓地と小屋を残させた。ついでに一時的な失業状態に陥っていたギヨームは、見事に復職してみせたが、テオドールの不興を買って村に圧力が掛かり、何だかんだと理由を付けられて、賃金を半分以下に減額されちまったのさ」
「何それ、最悪! ・・・でも、失業状態からは免れたんだよね・・・なんでだろう。ドークルさんのお父さんにしてみたら、きっと厄介な人だった筈なのに」
「飼殺されたんだろうな」
ミノリの疑問にアドルフが答えた。
恐らくそういうことだろう。
加えて、こんな田舎ではそう簡単に他の仕事が見つかるわけでもないだろうし、家族がいるギヨーム・モーベールにしてみれば、選択の余地もなかっただろう。
「そして墓地を残された村人たちの怒りは見事に鎮まり、芸術的なガラスモザイク小屋は評判を呼んで、交通の便が改善されたシャントルーヴには、これまでと比較にならないほど、多くの人が多く訪れるようになった。・・・・しかも最寄りのバス停は2時間に1本しか走っていない。移転先だった山の中よりましとはいえ、今みたいな時期じゃあ、年寄りでなくても、冷房の利いたホテルのレストランで、冷たいブランマンジェが食べたくなるだろう。なるほどな」
守銭奴だ。
俺の話を聞いてカレがニヤニヤと笑っていた。
「あんたも、なかなか良い勘してるな。けど、それだけならテオドールが吸血鬼だなんて、俺も言いやしないさ」
「まさか本当に生き血を啜っていたなんて、言うんじゃないだろうな」
この男はさきほど、嘘か本気かわからないような調子で、吸血鬼の振りをしたアドルフから、逃げるようにここへやって来ていた。
俺は少々胡散臭い気持ちで確認する。
「啜ってたんだよ・・・ただし、美女の生き血じゃなくて、あそこの汁だけどな」
昼日中にいやらしい笑いを浮かべながら、そんなことを言うカレに戸惑い、俺は困惑する。
アドルフがわざとらしく咳払いをした。
ミノリだけがわけもわからず、目をキョロキョロとさせている。
「あそこって・・・」
「ミノリ、これでブランマンジェでも食べてきなさい」
「えっ、いいの? おじさん達は?」
「おじさん達はもう少し、大事なお話があるから」
「大事な話って、あそこのこと・・・」
「ミノリ、あと5分で午前中のマカロン・サービスが終了するぞ」
話を遮るようにアドルフが口を挟むと、ミノリは駆け足でホテルへ戻って行った。
「まったく・・・嫁入り前の娘が、あそこ、あそこと連呼しやがって・・・。悪かったなアドルフ」
「お安い御用だ」
どこか呆れたような声でアドルフが答えた。

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